その日のボルケイノは、どこか緊迫した雰囲気が漂っていた。
「おはようございまーす」
扉を開けながら、俺は店内に挨拶する。
「あ、ケイタ! 遅いわよ!」
この声は、ミルシア女王陛下か。
毎回のように面倒事を連れてくるから、トラブルメーカーめいたところがあるけれど、メリューさんはそれをあまり気にしたことが無いらしい。メリューさんはもう少しお人好し過ぎるところを治したほうがいいのかもしれない。いつか身を滅ぼしそうだ。
「どうしたんですか、ミルシア女王陛下。あなたがやってくるということは、またご飯を食べに来たと思いますが。それ以外にも何かあったんでしょうか」
カウンターに入りながら、俺は質問する。
とりあえず会話を続けておかないといけない。会話を途切れさせておくのは、正直あまりよろしいことでは無いからだ。
「実は……」
「どうかしましたか」
「ええと……」
言葉を濁し始めた。
もしかして何か大変なことでも起きたのでは無いだろうか。だとすれば、一喫茶店の店員である俺に解決出来そうでもないし、話したがらないのも納得出来る。
「ケイタ、何をしているんだ。急いでこっちに捌けて服を着替えろ」
メリューさんがそう言ったのは、ちょうどそのタイミングだった。
そうだった。確かに今、私服で対応していた。接客業にとってそれはNG。話を聞くにせよ、先ずはいつもの格好にならなければ話にならない。
「ミルシア女王陛下。ちょっと着替えてきます。失礼します」
丁寧に挨拶をして、俺はバックヤードへと捌けていった。
キッチンではメリューさんが鍋の火加減を見ていた。
「おはよう、ケイタ。先ずはお前が来てくれて助かった、といったところか。あいつと私は長い付き合いだが、人間だからな。ドラゴンメイドと話をするよりも、人間と話をしたほうがいいと思うのだよ」
「……はあ、つまり、ミルシア女王陛下が何か悩みを抱えている、と?」
「そういうことだろうな。まあ、そこまでは分からない。だから、それをなんとか見つけて、できる限り癒してあげるのがお前の仕事だ。トークスキルはもうだいぶ上達してきただろう? 私も食事でアシストするつもりだ。だから、それまではなんとか頼むぞ。煮込み料理だから少々時間がかかるものでね。……というわけで後はよろしく。着替えを済ませたら急いでカウンターへ戻ってくれ。恐らく、ちょうどそのタイミングくらいでミルシアのコーヒーが尽きるだろうから、お代わりの確認もしてくれよ?」
火加減を確認しているか若干早口でまくし立てて、また調理に戻っていくメリューさん。
それは面倒事を俺に押しつけただけではないだろうか――そんなことを思ったけれど、ここでメリューさんに口答えしたところで状況が改善するとも思えない。
そう思った俺は、急いで着替えるべくさらにキッチンの奥にある更衣室へと向かうのだった。
更衣室で着替えを済ませて戻ってくると、メリューさんは料理を一品完成させていた。
相変わらずの早さだといえるけれど、問題はその料理だった。
「……肉じゃが、ですか?」
「あの国の郷土料理ってなんだか知っているか?」
あの国、ってもちろんミルシア女王陛下の居る国のことだよな。
だとすればあの国の郷土料理は確か……。
「野菜と肉の炒め物……でしたか。確か」
「その通り。まあ、それにはきちんとした名前が無かったから、今回は便宜上、お前の国で親しまれている『肉じゃが』を作ってみた。どうだ、昔と比べて味は近づいたかな?」
よく見てみるとお盆の隣には小皿が置かれている。その小皿にも肉じゃがが少量入っている。もしかして味見用にそのまま置かれているのだろうか。
そう思って俺は質問しようとしたが、
「どうした、ケイタ? そこにある小皿が見えないか」
質問する前にメリューさんから『食べて良いぞ』という言葉をいただいたので、有難くそれを受け取ることとした。
小皿を手に持ち、箸を持った俺はそのまま箸を構えて、馬鈴薯を箸で切った。
口に入れると、ほくほくとした馬鈴薯が口の中に広がった。
それだけじゃなくて、マキヤソース仕立ての味がよくしみている。そういえば俺の世界で食べていた肉じゃがは醤油に砂糖、味醂を上手い具合に入れていたんだったか。これはマキヤソースをメインに味付けしているのだけれど。
「これ、マキヤソース以外には何を使っているんですか?」
「メロウスというお酒を使って、あとは砂糖かな。ああ、でもアルコールは飛ばしているから安心してね。メロウスを入れると香りが良くなるし、味がまろやかになるのよね」
「メロウスって、どんなお酒なんですか?」
「お米のお酒だったかな。でも普通に飲料用に使うわけでは無くて、料理用に使うものなのよね。飲んでもいいけれど、まあ、いずれにせよ未成年のあなたにはまだまだ早いものね。ちなみにミルシアの国も十八までは飲酒が出来なかったはずだから、彼女にもあげちゃだめよ」
なるほど。やはりレシピはほぼ同じらしい。ということは俺の世界と同じような味覚がメリューさんにもあるということになるのだろう。
ぼうっと考えていると思われたのかメリューさんに肩を叩かれ、そこで俺は我に返った。
「さあ、冷める前にこの定食をミルシアに持って行ってあげて。きっと、お腹が空いているでしょうから」
言われるまでも無い。
俺はそう思いつつもメリューさんの言葉に従う形でお盆を持ってカウンターの外へと向かうのだった。
「……これは?」
ミルシア女王陛下の前に定食を置くと、目を丸くして俺に質問した。
「これは肉じゃがですね。肉と馬鈴薯、それにカロットを入れています。カロットは甘くて美味しいですよ」
「へえ。肉じゃが……聞いたことは無いけれど、見たことはあるわ。これ、アルシスがよく作ってくれた……」
アルシスさん。
確か、ミルシア女王陛下の国、グラフィリア王国のメイド長だったか。
もしかして、今回ここにやってきた理由は――。
「アルシスさんと、喧嘩でもしましたか。具体的には、口喧嘩を」
それを聞いたミルシア女王陛下は目を丸くして、頬を赤くする。
どうやら俺の言葉は図星だったらしい。
「な。な……、どうして分かったの……?」
「いや、もしかして、そうなのかな……って思っただけですよ。ほんとうに、そうなんですか?」
「それは……。うん、まあ、そうね」
馬鈴薯を口に入れて、何度も、何度も、その味を噛み締めながら頷くミルシア女王陛下。
そしてその余韻が残っているうちにご飯を一口。味について何らかの感動を覚えているのかもしれない。目を瞑りながらうんうんと頷いている。
そして、少しの間を置いて箸を置く。
「……あんたの言うとおり。私、アルシスと喧嘩をしたの。些細なことでね。なんで喧嘩したかを教えることすら笑っちゃうくらい」
それから、ミルシア女王陛下はぽろぽろと喧嘩した理由をこぼしていった。それから、喧嘩してからどうしてここにやってきたか、についても。
「私ね。自分の国以外何も知らないのよ。確かにあの国はずっと戦争を続けている。けれど、それだけなのよ。他国との交流は私がやっているけれど、それも儀式的なものばかり。きちんとしたものは大臣が行っているから。もちろん、内容は理解しているけれど、大臣はいつも私のしていることにしゃしゃり出てきて……。だから、私は自分の国のことしか知らない。きっとそれは大臣の優しさなのかもしれないけれど」
「自分の国からも逃げたくて……。そして、その場所が、」
「ボルケイノしか、無かった」
ここを選んでくれるのは、ボルケイノの店員という立場からすれば有難いことだと思う。
けれど、普通の人間としてミルシア女王陛下と接してみると、それはまた違う考えとなる。
「……仲直りしたら如何ですか?」
俺は気がつけばその言葉を口に出していた。はっきり言ってそれはタブーに近いこととも言えるだろう。他人同士の仲に口を出すのは、あまり良いことではないだろう。それは俺が怖い物に触れたくないから、という自分勝手な都合があるからかもしれないけれど。
◇◇◇
エピローグ。
というよりもただの後日談。
結局あのあとミルシア女王陛下は食事を終えると、いつも通りお金を多めに置いていってそのまま帰っていった。表情が柔らかくなったことを見ると、どうやら悩んでいたことはある程度落ち着いたらしい。それはそれで良かったと思うけれど、それで良かったのかという疑念も生まれていた。
結果的に、ミルシア女王陛下とアルシスさんは仲直りしたらしい。
なぜそんなことが分かったかというと、ある日の朝、グラフィリア王国首都店の軒先を掃除しているときにやってきた一通の手紙から判明した。
その手紙はメリューさん宛かと思っていたが、よく見ると俺宛だった。
何というか、この世界に俺の名前を知っている人間なんて数少ないはずだったけれど、どうして――なんて思ったけれど、その疑問は直ぐに解消されることとなる。
「ミルシア女王陛下、から……?」
薔薇をあしらった切手が貼ってあった封筒の裏には、綺麗な字でミルシア女王陛下の名前が書かれていた。
掃除を終えてボルケイノの中に入って、カウンターに腰掛ける。
まだ朝早い時間なので、お客さんが来ることは無い。だから安心して手紙を見ることが出来る。そう思って俺は封筒の封を切った。
そこには一通の手紙が入っていた。手紙を書いたのはミルシア女王陛下で、封筒と同じく俺宛に書かれた手紙だった。
手紙の内容は簡単に言ってしまえば、あのあとアルシスさんと仲直りしたこと、メリューさんが作った肉じゃがを聞いてアルシスさんが躍起になったことが書かれていた。
そして、仲直りすることを決意したのはメリューさんの料理もあったけれど、俺が一声かけたことがきっかけだということも――書かれていた。
俺が、仲直りしたらどうですか、と言わなかったら直ぐに仲直りしようとは思わなかったでしょう――ミルシア女王陛下も案外人に流されるところがあるんだな、なんて思いながら手紙を読んでいた。
そして最後は、この文章で締めくくられていた。
――ケイタ、あなたボルケイノでの仕事は楽しいかしら? あなたの仕事が、楽しく続くことを祈っているわ。また、お店で会いましょう。親愛なるあなたへ。
手紙を読み終えた俺は、封筒に戻して、ポケットに仕舞った。
そうして俺は椅子から立ち上がると、仕事の準備へと取りかかった。
「……ええ、とても楽しいですよ。ミルシア女王陛下」
その言葉は、誰にも聞こえないくらい小さく呟くのだった。