「私たちの話を聞きたい?」
シュテンがそんなことを言ったのは、ある昼下がりのこと。例に漏れず今日も暇なボルケイノは、早めの昼ご飯を終えてまったりと休憩に入っているところだった。
メリューさんはそれを聞いて、うんうんと楽しそうに頷きながら、
「だって、あなたたちのことあまり知らないもの。そりゃ、私が身元引受人になった時はいくらか話は聞いたかもしれない。けれどそれは上辺だけの問題でしょう? 仲良く、そしてずっとここで暮らすんだから少しは聞いておかないとね。ティアもそう思うでしょう?」
「私は別に。そこまで気にすることでは無いと思いますが。そもそもプライベートな質問では? デリカシーの無い代表であるあなたがズケズケと聞いていくのも如何なものかと」
ティアさんは毒舌たっぷりにメリューさんの言葉に返した。
「あなたねえ……!」
メリューさんはティアさんの言葉に少し(というか思い切り)苛立ちを隠せないようだったが、
「いいですよ、別に」
それよりも先に行動したのはシュテンだった。
「シュテン……」
ウラはそう彼女が答えると思っていなかったのか、シュテンのほうを見る。
「彼女たちにはお世話になったし、気概がないことだって十分理解している。もちろん、私たちを何処かに売り払おうなんてことも考えていない。そうでしょう?」
「当たり前だ。ここで働いているみんなは私の仲間だからな」
メリューさんはそう言って軽く自分の胸を叩いた。
「ウラ。もう話しましょう。私たちのことを。どうして私たちがあの場所で……テロをするに至ったのか。それについて話をしましょう。そうでないと、私たちは真にボルケイノの仲間になれた気がしないから」
「シュテン……」
ウラはシュテンをただじっと見つめる。
彼女の意志が強いことに改めて気付かされたからかもしれない。いずれにせよ、今の彼女たちの間に入る余地などありはしなかった。
そうして、永遠にも近い時間、彼女たちは見つめ合っていた。きっとお互いに考えていたのかもしれない。
先に口を開いたのは、さっきとは打って変わってウラだった。
「……それでは、お話ししましょう」
その一言で、空気が変わったような気がした。変わったのは、空気よりも雰囲気のほうが近いかもしれないが、この際細かい話は飛ばしてしまったほうがいいだろう。
そうして、ゆっくりと彼女は語り始めた。
シュテンとウラ、そして彼女たちが共に過ごしていた、『鬼の里』の話を――。
◇◇◇
鬼の里。
もともと何か別の地名があったらしいけれど、結局のところ、その地名は私たち鬼族には忘れ去られていて、私たちの中ではただ『里』としか呼ばれていない。
そんなところで生まれた私たちは、物心がついたときから、人間に対して恨んだ気持ちを持つよう言われて育ってきた。
人間は、自分たちの住処を奪った悪い存在である――と。そう言われて育ってきた。だから、人間に憎悪を抱くようになるのも当然だということになる。
「シュテン、ウラ、来なさい」
大人の鬼――というと、語弊があるかもしれない。その里に居るのは、全員が鬼なのだから――に声を掛けられて私は頷く。隣に立っている、ボールを持っているシュテンもまた、私にワンテンポ遅れた形で従った。
シュテンと私は仲良しだった。小さいころから家族ぐるみで付き合いがあるから、だからかもしれないけれど、私とシュテンはいつも一緒に行動していた。
その大人は、シュテンは知らないかもしれないけれど、私は誰だか知っていた。
ソンチョウと呼ばれる男性は、ほかの大人から敬われている存在のようだった。私やシュテンも、おのずとその男性に尊敬の念を持つようになった。そのソンチョウという存在が里で一番偉い存在であるということは、暫くしてから知ったことになるのだけれど。
ソンチョウの家に入り、私たちは客間へと案内される。シュテンと私は、それぞれ慣れない正座をして待機していた。いったい自分たちは何のためにここにやってきたのだろうか、と考えていたけれど、その疑念はすぐに払われることとなった。
「やあ、シュテンとウラ。……別にそれほど緊張しなくていいよ。それどころか、楽にしてもらって構わない」
ソンチョウが私たちの前にやってきて、そのまま安座で腰かけた。
そういわれたので、私たちもそれに従う形で安座にした。
「……今、君たちを呼んだのはほかでもない。この世界は人間が多く蔓延っている。そのことは君たちも知っていることだと思う」
ソンチョウは深い溜息を吐いたのち、さらに話をつづけた。
「この世界がどうなっていくか……それは君たちも知らない、いや、或いは気付いていることだろう。人間だけではなく、吸血鬼や獣人……正確に言えば『亜人』と呼ばれる存在がこの世界を統治するようになっていった」
それくらい、別に勉強さえしていれば自然と手に入れる知識だった。
そして、それに続く『策』についても。
「我々は、ずっと虐げられ続けているこの時代に、終わりを告げなければならない。このような状態を、お前たちのような次の世代に残すわけにはいかないのだ」
「……話が見えてきません。ソンチョウ。いったい、私たちに何をさせようとしているのでしょうか?」
私が訊ねると、長く目を瞑り――やがてゆっくりとソンチョウは話し始めた。
ソンチョウの話を簡単に要約すると、ソンチョウは昔から他部族に対する鬼の扱いがぞんざいであることを心苦しく思っていたのだということ。そしてそれをどうにかしたいと考えていたことだった。
そのためにソンチョウが考えた手段は――至極簡単なものだった。
「君たちには、今の状況を変えてほしい。そのためにも、その担い手になってほしい。私は、いや、大人たちは皆そう思っているのです」
「……ええと、いったい、どういうことなのでしょうか」
シュテンのほうを見ると目を丸くしていた。きっと彼女も何を言われているのかはっきりと分かっていない状態なのだろう。
それは分かる。私にもこの話が唐突過ぎて先が見えてこない。
見えてこないものを、どうにかして明確にしたい。それが私の一先ずの目的だった。
そして、それはシュテンだって同じだったと――思う。
「数ヶ月後、吸血鬼の国である会議が行われます」
ソンチョウは人差し指を立てて、そう言った。
「亜人会議。――簡単に言えば、亜人同盟を組んだ連中どもがこれからの利権をどうしていきましょうか、と話し合う糞みたいな話し合いです。当然、利権争いから漏れた我々鬼は利権など手に入るはずもありません。寧ろ、利権を貪り尽くされる……正確に言えば、吸収される側ですかね? 話すことすら嫌になりますが、そのような立場になってしまっている。否、正確には、させられている。気がつけば、彼らの思惑通りに物事が進行している。それも我々に話し合いの席を持たせることもなく。それは我々にとって屈辱の連続です。しかしながら、彼らは我々と話す機会を持とうとせず、そのまま進めていった。この結果が――これです。ほんとうは私が直々けじめをつけないといけませんが……」
「つまり、鬼の利権を奪ったのはほかの亜人だということですか?」
「正確には、吸血鬼ですね。吸血鬼の一族は冷酷で残酷です。ですから私腹を肥やすためなら何だってします。それが恐ろしいことなのですよ。まあ、おおよそシュテンやウラ、あなたたちも気付いていることかもしれませんが……。いつまでこれを続けなくてはならないか。一生続くかもしれません。永遠に、鬼はこのままでなければならないのかもしれません。それは、あってはならない。我々は誇り高い鬼の種族。そんな鬼が、このようなところで燻っていてはならない。未来に、明るい希望を残さねばならないのです」
握りこぶしを強く見つめながら、ソンチョウは何度も頷いた。
そしてそれを見ていたシュテンは――やがてそれと同調するようにゆっくりと頷いた。
「――それからは、あなたたちも知っているとおりかと思います」
ウラはそこまで話を終えて、漸く落ち着いたと言わんばかりに深い溜息を吐いた。
ウラが話してくれたのは、長い昔話のように見えたが、とはいえそれほど難解なものでも無い。
「……なるほどね。そして、その後に亜人会議を潰すために、鬼神同盟に入った、と」
「ええ。鬼神同盟は、名前の通り鬼が主体となったテロ組織でした。しかし、中には鬼の考えに賛同してくれるほかの亜人も居たもので……、そのような人たちに手伝ってもらうこともありました。まあ、その人たちはほんとうに珍しいだけの話でしたが」
「……その人たちは、どうなったんだ?」
俺の質問にウラは首を横に振る。
「無責任かもしれませんが、私は知りません。聞いた噂によれば、それぞれの国に強制送還されて、反逆罪に問われているようです。確かに、そう思われても仕方ないように思えます。だって彼らの国から見れば鬼は未だ差別が根強い種族ですからね」
「それじゃ、結局……」
誰も幸せにならなかった、というオチになるのだろうか。
正直、それじゃ可哀想過ぎる。
「でも、仕方が無いことだと思っているのですよ、私としては」
ウラはどこか達観したような、そんな口調で呟く。
「私たちとしては、あのときはあれでなんとかなると思っていました。あそこで反旗を翻すことで、ほんとうに鬼にとって良いことになる……そう思っていたのです。けれど、当然ですよね。そんなこと、有り得ないんですよ。そんなことが簡単に叶う訳がない。復讐は復讐しか生み出しません。いつかは、その鎖を断たねばならない」
「でも、あんたたちは今こうやって平和に、そして幸せに過ごしている」
メリューさんが唐突に話に割り入ってきた。
「え……?」
「『大義』とは言うが、別にそんなことはどうだっていい。確かに、シュテンとウラが入っていた組織は、鬼の地位向上のために活動していた。けれど、そんなことは別に個人が抱えなくていいだろ。それこそ立派な洗脳だ」
「でも、私たちは現に……」
「逃げちゃえばいいんだよ。そんな重苦しい責任は、子供のうちから背負わないほうがいい。大人にすべて任せてしまえばいい。そして子供はワガママに要望を大人に一方的に突きつければいいんだ。子供は、それが仕事だ」
メリューさんの話は、そこで強引に打ち切られた。
理由はメリューさんが何か焦げ臭い匂いに気付いたからだ。そういえば、デザートのケーキを焼いているとか言っていたな。もしかしてオーブンをつけっぱなしで来ていたのだろうか?
メリューさんは慌てた様子で厨房へと向かう。その様子はどこか珍しく見えて、俺たちは愛想笑いをしながらそれを見つめていた。
シュテンとウラも、どこかその笑顔には堅いものがあったが、それでも少し心のしこりがとれた用にも見えた。そう考えるとさっきのメリューさんの話は、良かったのかもしれない。そんなことを思いながら俺は紅茶のおかわりを準備すべく、カウンターの中へと向かうのだった。