見覚えのあるダークエルフの騎士がボルケイノにやってきたのは、夕方のことだった。
しかし、正確に言えばそれは間違いだった。騎士の後ろにはずらずらと彼女と似たようなダークエルフの騎士たちが――それも、どれも彼女より幼い容姿の――入ってきた。
「よかった。やっぱりここにあったのね……」
入った瞬間、ダークエルフの騎士はほっと一息溜息を吐いた。
「団長、ここがあの……」
「そうだ。あの噂にもあっただろう? 帝都にもできたと言われていたが、まさかこのような場所にあったとは……。マスター、やはりあそこでは不都合でもあったのかね?」
不都合、か。
たぶんダークエルフの騎士が言っていることは、ボルケイノの扉がそこまで開通したということを指しているのだと思う。ボルケイノの扉は至る所に設置されている――というのは言い過ぎかもしれないが、数えきれない場所に設置されていることは間違いない。それは今もティアさんによって管理されており、新規追加された場合もティアさんが厳選したスポットとなっている。削除もあるけれど、それはあくまでもお客さんがつかなかった場合。ボルケイノだって客商売だから、そのあたりはシビアだ。
ダークエルフの騎士は話を続ける。
「まあ、それはあまり聞かないほうがいいだろう。そちらにも、いろいろなスタンスがあるだろうし。……そうだった、先ずは話を聞いておかないと。十五名で、ちょっと宴会をしたいのだが問題ないだろうか? いや、急にやってきたのもそうだし、喫茶店で宴会をお願いするのもどうかと思っているのだが……」
「いえ、別に問題ないと思いますよ。一応、メリューさんに聞いてきますね」
そう言って俺は、一度カウンターから離れるのだった。
◇◇◇
予想通りというか想像通りというか、あっさりメリューさんはそれを了承してくれた。
「とりあえず適当に料理を作っておくから、お前はこれを出しておいてくれ」
そう言ってメリューさんはお酒の入った瓶と、小皿を差し出した。
小皿にはじゃがいもをふかしたものが入っている。しかし、それだけではどこか味気ないような気がするけれど……。たぶん、これはお通し的なものだよな?
「メリューさん、これっていったい……?」
「ん。ちょっと待っていろ。まだオマケがある。それだけじゃなんも味がついていないから、ただ口の中がパサパサするだけだぞ」
「知っているなら何かしてくださいよ」
「何か言ったか?」
あ、つい口から出てしまった。
「いえ、何も」
俺はすぐに訂正して、何も言わなかった、と発言する。
そしてメリューさんがふかした芋に何をするのか、ただじっと見守っているだけだった。
メリューさんがどこかから取り出したのは、塩辛だった。
「……塩辛、ですか?」
「味をつけるならただの塩でもいいんだけれど、やっぱりこれが一番よね。ああ、そういえばあなたの世界では塩辛って言うのかな。私はこれをソレインと呼んでいるよ。ソレインは塩の味が濃いからこういうものにトッピングとして追加するのが一番良いのよ」
ソレイン、か。
見た目そのものは塩辛に見えるけれど、どうやら呼び名は違うらしい。
「ソレインをつけて、ほら、食べてみな。少しは解っておかないと」
そう言われて、メリューさんはふかした芋にソレインをつけて俺に差し出した。
「ほら」
そうしてメリューさんから皿を受け取ると、俺はそのふかした芋を口に運んだ。
美味い。
芋の甘味と、それを引き立てるようなソレインの塩気。……それにしてもソレインには何が入っているのだろうか。日本の塩辛は独特な風味があるので、人を選ぶ味のような気もしないでもないが。
「どうだ、ケイタ? こっちの世界の料理も、なかなか美味だろ」
「ええ、そうですね。……それに、塩辛……あ、向こうの世界では塩辛って言う似たような食べ物があるんですけれど、それよりも癖が無いので、寧ろ食べやすいほうかもしれないです」
「そいつは結構。……ふうん、シオカラね。ぜひとも食べてみたいものだけれど」
「癖が強いので、メリューさんの舌に合うかどうかは解りませんよ」
「そいつは食べてみないと解らないだろう? ……まあ、それは道理だ。とにかく、これを早く出してあげてくれ。酒は未だだったか?」
「そうですね。未だです。もしかしたら、もうしびれを切らしているかも」
「だったらさっさと出して来い。どういうものとか言っていなかったから、取り敢えずエールでいいだろ。あ、ケイタの世界ではビールというんだったか? いずれにせよ、それを出しておくといい。確かあの世界での主流はエールだったはずだ」
「エールにソレイン、ですね……。解りました、それじゃ持っていきます」
そうして俺は、エールの瓶を持ってくるために保冷庫へと向かうのだった。
保冷庫へ向かう道中、サクラに出会った。
「あら、ケイタ。どうしたの、こんなところまで?」
「それはこっちの台詞だ、サクラ。お前、まだ営業時間中だぞ。まさかサボリじゃ」
俺が言葉を言い切る前に、サクラは俺の頭を殴ってきた。
まだ言葉を言い切っていないだろ! 舌を嚙むぞ!
とまあ、そんな文句を言おうとしたが、それよりも先にサクラが持っているものに視線を移した。
それは空の皿が載っている盆だった。
「……ああ、そうか。シュテンとウラの昼食を片付けていたんだな?」
その言葉にサクラはコクリと頷く。
シュテンとウラは今日お休みだ。とはいっても彼女たちの家はボルケイノの裏にあるバックヤードで、正確に言えばその部分はメリューさんとティアさんの家でもあった。
そのためお休みであったとしても、食事は通常営業のボルケイノで食べることになる。とはいえ、通常営業中のお店で料理を食べるわけにはいかないから、メリューさんが適当なタイミングで料理を作って、それを誰かが運ぶ――といった形だ。
「シュテンちゃんとウラちゃんは、ほんとうに仲が良いよね」
「……同じ里で育ったらしいからな。詳しいことは知らないが」
シュテンとウラについては、知らないことばかり――というのが正直なところだ。なぜなら彼女たち自体あまり昔のことについて語りたがらないから。それが本音であった。
しかしながら、俺からしてみれば、共同生活をしている以上、いつかは少しでもそのことについては語ってほしいと思っている。それはもちろん、シュテンとウラが俺たちのことを信頼してもらえるかどうかにかかっているわけだが。
「まあ、それはいいや。で? どうしてあんたがこの通路に居るわけ? まだ仕事は終わっていないはずよね?」
「ああ、そうだ。保冷庫から酒をもってこようと思っているんだ」
「ああ、お客さんがやってきたのね? ……どうせ大量に持っていくんでしょう? だったら、私も手伝うわよ」
「……それは有難い」
お言葉には甘えたほうがいいだろう。そんなことで、俺とサクラは一緒に保冷庫へと向かうのだった。
◇◇◇
保冷庫から戻って、エールをケースごと持ってきたところで、メリューさんが俺たちを見て、こう言った。
「あら。サクラも手伝ってくれたの。台車とか使えばよかったのに」
「それも良かったんですけれどね。ちょうどサクラが居たものですから」
「だからって、女の子にエールのケース持たせるのはどうかと思うけれど?」
「いいんですよ、メリューさん。ケイタはいつもこんな感じですから」
「まあ、サクラが言うなら別にいいけれど……」
メリューさんはそう言って料理を作り始める。
俺たちに背を向けたまま、メリューさんは思い出したように話を続けた。
「そうだ。急がないと、お客さんが苛立ってしまうぞ。……水は出しているが、酒とお通しも出していない状態なのだろう? だったら猶更急がねばいけない。それくらい、理解しているよな?」
それはもう重々承知しています。
俺は急いでエールの瓶とグラスを二つ盆に置いて、お通しのお皿を二つ置いたことを確認したうえでその盆を持ってカウンターへと向かうのだった。
エール瓶とグラス、それにお通しを持っていくと、ダークエルフの兵士は若干苛立っているように見えた。
「何だ、遅かったな。てっきりエールが無いのかと思ったぞ」
「遅くなってしまって、申し訳ございません」
「いやいや。別に問題は無いよ。……おい、みんな! エールが来たぞ!」
「隊長、数が未だ全然足りないですよ!」
「それもそうだったな! いや、ゆっくり待つがいい。このお店はそういうゆったりと流れる時間を楽しむ店だから」
これは急がねばならないな。そう思って俺はバックヤードへと戻っていくのだった。
エールが全員に行き渡るまで、それからそう時間はかからなかった。
「それじゃ、乾杯!」
隊長と呼ばれた女性が声を上げると、みな並々にエールを注いだグラスを上に上げた。そういえばこの文化は俺の世界でも使われている文化なので、酒飲みに関する文化は度の世界でも変わりないんだろうな、と俺はふと思っていた。
エールを片手にお通しを続々食べ始める隊員たちは、笑顔で包まれていた。
それを見ると、少しだけほっとした。塩辛ってそこまで異世界の人間に愛されているのだと、少しだけ安心した。俺の世界でも若干独特な風味があったので、好き嫌いがある食べ物の代表格だというのに。それとも、エールによくあうおつまみということなのだろうか?
「ケイタ! 別の料理が出来たから、急いでキッチンに来てくれ!」
「解りました!」
俺は客席に一礼して、そのままキッチンへと再び戻っていった。客席は徐々に盛り上がっていき、それとともに酒の香りがほんのり部屋を満たしていくようになっていった。
二時間もすれば、全員が潰れているか或いは酔いが回ってきたのか落ち着いた感じで話をしていたかそのいずれかになっていた。
隊長と言われていた女性は、独りでゆっくりとグラスを傾けていた。
「……もうこんな時間か」
隊長は時計を見つめてそう言った。
「勘定をしてもらえるかな」
「はい。こちらになります」
俺は紙を差し出す。俺の世界でいうところの伝票だ。ボルケイノではあまり伝票を使うことは無いのだが、このように大量の注文があった場合は備忘録的な意味も兼ねて伝票が使われる。とはいえ、手書きで書いているので、そのあたり誰にも読めるような字で書かねばならないし、かなり丁寧にやらないといけないところではあるのだが。
伝票を見て隊長は何回か頷くと、腰につけてあった袋からちょうどの枚数の金貨を差し出してきた。
俺はそれを受け取ると、「ありがとうございました」と一言だけ告げる。
同時に踵を返すと、隊長は何回か手を叩く。
「さあ! 宴会は終わりだ。時間もそろそろいい頃合いだし、もう帰ることにするぞ!」
それからはあっという間だった。
隊長と呼ばれた女性の指示によってものの数分で片づけが終わり、続々と帰っていった。
最後に隊長は笑みを浮かべて、俺に一礼してボルケイノの扉を閉めていった。
何というか、嵐が過ぎ去ったような、そんな静けさを――俺は感じながら深い溜息をひとつ吐くのだった。