今日は定休日。普通ならば、お休みを頂くのでボルケイノに行くことはない。
だが、その空いているタイミングを利用して俺はカウンターで勉強をしていた。理由は単純明快――。次の試験で赤点をとると、冬休みの課題が倍になってしまうためだ……!
そういうわけで俺は桜を呼び寄せてカウンターで勉強会と洒落込んでいたわけだ。
「だから、そこに代入しちゃいけないんだって。それをすると計算が面倒になるから、先ずは与えられた式をある程度整理しないと」
「あー、成る程。……というか、桜はほんとうに頭がいいよな……。勉強とかしているわけ?」
「そりゃあ、勿論。ここでの休憩時間にもしているし、家に帰っても毎日二時間は勉強しているわ」
そりゃあ、成績も上位をキープしているわけだ。
少なくとも、そんな生活俺がしてみたら一週間も持たないだろうな。
「別に勉強をするな、とは言わないが……、少しは休憩しないと、やる気が持たないぞ。どうだ、二人とも。食事にするというのは?」
そう言ってきたのは様子を見に来たのか、カウンターにやってきていたメリューさんだった。それにしてもメリューさんは定休日でもメイド服を着ているのか。いったい何着替えを持っているのだろうか? あまり考えないほうがいいかもしれないし、本人に質問するなんてもっての外かもしれないけれど。
メリューさんはニコニコこちらを見つめていたが、どうしてそんな表情をしているのかさっぱり理解できなかった。
対してそれに賛同したのは桜だった。桜はシャープペンシルを置いて、伸びをすると立ち上がる。
「そうしましょうか。私、手伝いますね。あ、ケイタはあとその問題が解けるまで待っていてね。私とメリューさんで準備をするから」
そういわれてしまったら、準備なんて手伝えるわけもなく。
仕方なく、俺は桜から言われた宿題を片付けることにするのだった。
◇◇◇
料理が出来上がったのは、それから十分くらい経過してのことだった。実際にはもう少し経過していたかもしれないけれど、実際に時計を見ながら勉強をしていたわけではないから、曖昧な時間ということになってしまう。
ちょうど宿題が解き終わったタイミングだったので、「待っていました!」という感じだった。シャープペンシルを机に置いて、ノートと教科書を片付け始める。
「あら、ケイタ。宿題は終わったの?」
「バッチリだよ。取り敢えず、あとで見てもらっていいかな」
「いいけれど……。まあ、いいわ。取り敢えず、カウンターに置くから持って行って」
そう言って桜はカウンターの上に大皿を置いた。それにしても大きい皿だな、いったい何をよそっているのだろうか……。そんなことを思いながら大皿を俺の前に置いた。
皿の上にあったのは、赤いソースの海だった。そしてソースの海の中心にはスパゲッティで出来た島がある。ソースの海にも卵にウインナーなど浮遊物(言い方は良くないかもしれない)が多数浮かんでいて、とてもボリューミーな感じになっていた。
いったいこれは何という料理なのだろうか――見たことのない料理だけれど――そう思って、俺はメリューさんに問いかけた。
「メリューさん、これって……」
「これって、あんかけスパゲッティですよね」
俺の質問よりもいち早く反応したのは桜だった。桜はずっとこの言葉を言いたかったのか、今もうずうずしている様子だ。ははあ、もしかしてさっき、向こうでこのやり取りをデモンストレーションしていたな?
そんなことを考えていたが、答え合わせなど出来るはずがない。案外桜は恥ずかしいことが嫌いな人間なので、そういうことを指摘すると逆切れされかねない。面倒ごとは可能ならば避けてしまいたいのが俺の主義だ。
「あんかけ……スパゲッティ?」
「文字通り、太麺のスパゲッティにあんをかけたものだよ。……とはいっても全国区じゃなくて、名古屋限定らしいね。私も名古屋の知り合いに教えてもらってからはまっちゃって。まあ、名古屋に行かなくても秋葉原にそういうお店があるからね」
「……サクラ、お前はいったい何を言っているんだ……?」
「ああ、ごめんなさい。メリューさん。私とケイタの住んでいる世界の話です。……まあ、それはそれとしてケイタ、食べてみましょうよ。私が、メリューさんにリクエストしてみたの。どういう味付けかということから、どういう材料を使っているか、というところまで!」
「サクラから聞いた情報と『食べたいものが見える』ヤツで得た見た目だけで作ったから、もしかしたら少し変になっているかもしれないが、それについてはご愛嬌ということで許してくれ。私も食べたので、それから感想を言ってもらえれば私も何とか改善していこうではないか」
「……解りました」
桜と俺の分が運ばれて、桜が俺の隣に腰掛ける。
そうして桜は俺にフォークを差し出した。有難く受け取ることにして、両手を合わせる。
「それじゃ……、いただきます」
そうしてソースに絡んだスパゲッティをフォークで掬って、口の中に入れた。
直ぐに広がったのは、辛味だった。マキヤソースベースの味付けに、唐辛子が入っていると思われるその辛味、コク、正直言って本物を食べたことはないが、あんかけスパゲッティってこんなものなのか、と思ってしまうくらいだった。
ところでほんとうにこれは本物に近い味付けなのか――と思って僕は隣にいる桜を見つめる。
桜はずっと食べていた。スパゲッティを掬って、それを口に運ぶ。ある程度咀嚼をして、飲み込んだらまたスパゲッティを掬う。その繰り返しだった。
「……なあ、桜。どうだ、このあんかけスパゲッティは? 本物を食べたことが……、あるんだよな? 桜は。だから、どうかな、って思うのだけれど。俺は食べたことがないし」
「んぐっ。うーん、美味しいよ。私も結構前に食べたきりだったから、その味を思い出して何とかメリューさんに伝えた形になるのだけれど……、このピリっときいた辛味は確かにあんかけスパゲッティそのものだと思うね!」
そう言っていた桜の表情は笑顔だった。はっきり言ってしまうが、こんな笑顔は滅多に見たことが無い。要するに、一番の笑顔と言えるのかもしれない。実際のところ、こんな笑顔を見たことが無い俺もまだまだだな、って思うのは正直な感想だけれど。
それはそれとして。
「……それにしても、このスパゲッティ、何か独特だよね。秋葉原にあるなら行ってみようかなあ……」
「そうだねえ、今度休みだし……。ね、ケイタ」
うん? と俺はそちらに顔を向けると、桜は俺の顔を見つめていた。
「一緒に行かない? そのお店」
――俺はそれを聞いてただぽかんとするばかりだった。
そのあとの勉強について、あまり身に入らなかったことについては、まあ、言うまでもないだろう。
◇◇◇
後日談。
またの名を、蛇足とも言う。
結局それから秋葉原のあんかけスパゲッティ屋へ向かうことが出来たのは、それから一週間後のことであった。定期試験を赤点ギリギリで切り抜けて、その祝いということで向かうことになったというわけだ。
秋葉原駅に降り立った時、あまりの人の多さにちょっと酔ってしまいそうだったが、何とか気力を振り絞ってそのお店がある場所へ向かうこととした。
……結論から言って、そのお店は閉店していた。それも数年前に。それをスマートフォンか何かで調べればよかったのに、調べなかったのが運の尽き、だろう。まあ、それについては悔やんでも仕方のないことだった。
「……しょうがないね、こればっかりは」
桜は俺の顔を見てそう言った。どうやら俺はそれほど悲しいことを表情に出していたのかもしれない。
俺は全然辛くなんかない。それを伝えて、その場所を後にするのだった。
実は桜とのデートが一番嬉しいことだということについては、その時の桜には到底言える話では無かったのだけれど。
実はこの後日談にはまだ続きがある。
その次の日、俺がバイトで桜が休みの日。メリューさんが洗い物をしている俺に向かってこう言ったのだ。
「デートはどうだった? ケイタ」
あまりに単刀直入過ぎるだろう、と思ったけれど、
「デートじゃないですよ、それに、いつ言いましたっけ?」
「あれ? サクラから聞いたぞ。二日前に、明日ケイタと食事しに行くんだ、って。とっても楽しそうな表情を浮かべていたけれど。まあ、その様子だとあまり楽しそうではなかったようだが」
「そんなこと」
「……ケイタ、一応言っておくが……、女はそういうことには敏感だぞ」
そう言ってメリューさんは厨房に消えていった。
「心に留めておきます」
俺のその言葉が、メリューさんに聞こえたかどうかは解らないけれど。