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第32話 勇者の晩餐 (メニュー:シチュー)

 その人がボルケイノを訪問したのは、ある夜のことだった。

 鎧、兜、盾と全身を青に包んだ少年だった。腰に剣を携え、胸元にはその格好には若干不格好なハートのペンダントがかかっていた。

 少年はカウンターに腰掛けると、兜を外して隣の椅子に置いた。

 少年は俺よりも少し年上に見えた。

 まあ、それはどうだっていい。別に客が子供だろうが老人だろうが普通に接して普通に対応するのが仕事だ。


「メニューを見せてもらえないかな」


 ボルケイノ定番のやり取りがやってきたので、俺は営業スマイルを一つ。


「申し訳ございません。このお店は、メニューが一つしかありません。それは、あなたが今食べたい料理です」

「……俺が、今一番食べたい料理……?」


 それを聞いて目を丸くする男。ま、当然だろうな。それを聞いて困惑しなかった客は誰一人としていなかった。

 ボルケイノには、その人が一番食べたい料理しか作ることが出来ない。それは即ち、無限にメニューが存在していることの裏返しではないか、ということになってしまうけれど、それについては別にどうだっていい。

 暫く考えて、少年は告げた。


「……じゃあ、何か美味しい食べ物は無いかな。実はちょっとこれから重要なことがあってね、気持ちを落ち着けておきたいんだ」

「気持ちを落ち着けたい……ですか。まあ、少々お待ちください。多分、そう遠くないうちに……」

「ケイタ! ちょっと来てくれないか!」

「わかりました! ……お客様、少々お待ちください」


 そう断りを入れて、俺は厨房へと向かうのだった。

 厨房にはメリューさんが立っていた。シルバーのテーブルにはいつも通り食べ物が置かれている。

 それは、ホワイトシチューだった。白いスープの海に、ニンジンや鶏肉、じゃがいもなどが沈んでいる。時折海に散らばっている黒い点々は胡椒だろうか。いずれにせよ、正統派という感じがして、とても美味しそうだ。不揃いに切られた野菜もどこか手作り感をにおわせているし。


「……これを持っていけ。あと、これも」


 さらにメリューさんはテーブルにお皿を置いた。そのお皿は平皿で、その上には大きなフランスパンが乗っかっていた。もっとも、この世界ではフランスは無いからそう呼ぶのではなく、おそらくはバゲットと呼んだほうが近しいかもしれないけれど。

 いずれにせよ、これを急いでお客さんのところにもっていかねばならないだろう。あっという間に温くなってしまう。特にこういうスープ物の料理ならば猶更。

 そう思って俺はトレーにその二つの皿を置いて、カウンターへと戻るのだった。


「お待たせしました」


 俺はそれをカウンターに置いた。正確に言えば、その甲冑を着た少年の前、といったところか。まあ、別にそんな細かいなことは言わなくていいだろう。

 それを見た少年は目を丸くしていたが、その時の俺はあまり気にしなかった。

 そうして、わなわなとしていた少年はゆっくりとスプーンを手に取って、そのシチューを啜る。

 そして少年は――ゆっくりと俺に問いかけた。


「……なあ、マスター。この料理を作ったのは……いったい誰だ?」

「誰、って……。ここのメイドですよ。ただまあ、その人が食べたいものの味を完璧に再現出来るだけで」


 言っていることは決して間違っていない。

 だからこそ、聞いた人間はそれについて違和感を抱くに違いなかった。


「そんな……それだけで、信じられるはずがあるかっ!」


 激昂するのにも、何か理由があるのだろうか。

 机を叩いて、文句を言いたそうにしている少年。

 はっきり言って、クレームはお断りだ。そう思って俺はおかえり願おうと思った。

 ちょうど、その時だった。


「お客さん。そういう風に対処出来なくなって困る気持ちも解るけれど、お店の設備に八つ当たりしないでくれないかねえ。それが壊れて修理するのはこっちなんだからさ」


 キッチンの向こうから、メリューさんがやってきた。

 メリューさんを見てさらに少年は驚く。まあ、普通に考えればメリューさんには角が生えているから、人間じゃなくて魔物か何かと思い込む人も多くないだろう。

 剣を手に取って、今にでも斬りかかりそうな目つきをする少年を見て、メリューさんは溜息を吐く。


「リーサ」


 短くその名を言うと、少年の手から剣が離れた。


「な……っ!?」

「ごめんなさいねえ、こんな手荒な真似をして悪いとは思っているんだけれどさ。でも、先に手を出したのはそちらだから、それくらい理解してもらってもいいと思うのだけれど。いずれにせよ、この店はあくまで喫茶店。自由勝手にバトルなんて始めてもらっちゃ困るんだよね」


 メリューさんは鋭い目つきで少年を睨み付けた。

 そしてもう少年には戦意など見られなかった。


「……済まなかった。つい動揺してしまって……。だって、これは……」

「あなたの母親が作ったシチュー、そのものだったからでしょう?」


 少年が言おうとした言葉に、メリューさんが続けた。


「そう、そうだ……」

「私にはお客さんが今食べたいメニューが解る。だからこそ、見えたのよ。あなたが食べたいものが……、あなたの母親が作るシチューだって」


 母親のシチュー。

 その意味に、何があるのか知らない俺でも無かった。

 彼の恰好からして長らく旅をしているか、或いは簡単に家に帰れないのかどちらかだろう。もしそれがほんとうであるならば、彼は家族の味を食べたいに決まっている。

 でも、それにはリスクがある。そのリスクは、その味を食べたことにホームシックに陥らないか、ということだ。母親の味を食べることによって、家に居た時の記憶がフラッシュバックして途端に家に帰りたくなるのではないか――そんな可能性だって、十分に考えられる。

 少年は、溜息を吐きながら、そしてゆっくりとシチューを啜った。

 カタン、とスプーンを置いて少年は目を細める。


「……なあ、マスター。話を聞いてはくれないか。長くなるかもしれないし、取り留めのない話かもしれないけれど」

「ええ、別に構いませんよ」


 こういう話は聞いたほうがいい。俺としても暇にならなくて済むということもあるし、こういうお客さんの話を聞いておくことで、お客さんのストレス発散に繋がることもある。

 そうして、少年はゆっくりと話を始めた。




 少年の話は長いものではなかった。ただ、どちらかというと思い出したり時系列が巻き戻ったりしてしどろもどろに思える点が多かった。だから、俺のほうで要約するとこんなことだった。

 少年は勇者だった。そうして二週間前に生まれた村を出て行ったが、孤独の戦いは弱冠十歳の少年には苦労ばかりが連なるものだったという。しかしながら、教皇というその世界で一番の権力を持ち、なおかつ神の言葉を代行する役割の存在から、勇者だと言われて断る人間はその世界にいるはずもなく、少年は仕方なくそれに従うことしか出来なかったのだrという。

 しかし孤独の戦いに疲れてしまい、唯一の仲間と呼べる存在も魔王の毒に倒れてしまったのだという。そして今は魔王城手前の町に仲間を置き、一人あるものを探しているのだという。


「……あるもの、って?」

「世界のどこかにある世界樹、その葉には生き物を蘇生させる力があるといいます。それを探している最中に、滅びた街を見つけて……唯一無事だった建物の扉を開けたら、」

「成る程。ここに着いた、ってことね……」


 そう言ったのはメリューさんだった。メリューさんはうんうん頷きながら、少年に言った。


「いずれにせよ、そのシチューを食べなさい。温まるわよ。一応言っておくけれど、ここは魔王とは何の関係もない。もっと言えば、別の世界だから」

「別の……世界?」

「このきれいな設備を見て、異世界以外の何が思い浮かぶと?」


 メリューさんは両手を広げる。

 それを聞いた少年は、ゆっくりと頷くと、やがて食事を始めるのだった。



 ◇◇◇



 後日談。

 というよりも、ただのエピローグ。

 シチューを食べ終えたあと、彼は満足そうな表情で店を出て行った。そして、そのときメリューさんはあるものを渡していった。

 貴重なものだけれど、とは言っていたが、その葉は少年が言っていた『世界樹の葉』なのだろう。どうしてメリューさんがそれを渡したのかは――俺の知る由もない。

 ただ、一つだけ言えること。それは、少年が店を出て行って暫くして、昼食のタイミングでメリューさんがぽつりこう言ったことだった。




 ――なあ、ケイタ。あの勇者、無事に仲間を助けることが出来ればいいな?




 その言葉に、俺は「そうですね」と言って頷くことしか出来なかった。

 メリューさんのその表情には、過去に自分も同じ経験をしたような、なんてそんな悲しい雰囲気を漂わせていたから。

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