ドラゴンメイド喫茶、ボルケイノ。
そこのお得意さんである羊使いのヒリュウさん。
いつも狼を連れてきているヒリュウさんはプリンアラモードを食べている。
今日は、そんなヒリュウさんのお話し。
◇◇◇
「ヒリュウさん……珍しいわね。いつもなら、この時間にやってくるはずなのに」
はじまりはメリューさんの言葉だった。
時刻は午前十時。ボルケイノがオープンしてから一時間。いつもならこの時間くらいにはやってきて、いつものようにプリンアラモードを食べるのだが……。
何か、心配だ。
そして心配なのはメリューさんも一緒だった。
「心配だな。ちょっと、ケイタ。リーサとともにヒリュウさんの家に向かってくれないか? ヒリュウさんも年だし、何かあったかもしれない」
「ヒリュウさんの家ってことは……カルノー山脈でしたか?」
カルノー山脈。
ある世界の、とある国。その中心に位置する巨大山脈のことだ。放牧が盛んにおこなわれていて、ヒリュウさんも代々羊飼いとしてそこに住んでいる。そのカルノー山脈の麓にある町、ボルケイノの扉はそこに繋がっている。
「そうだ。ヒリュウさんはうちのお得意さんだ。だからこそ、心配なんだよ。それくらい解るだろう? それにリーサはあまり外の世界に慣れていない。今後どこかに一人で買い物をしてもらうこともあるだろうよ。私はこの仕込みが忙しいから……頼めるのがケイタ、お前しかいない。解るな?」
そこまで言われては仕方ない。そう思って、俺はリーサとともに出かけるためリーサを呼びに店の奥へと向かうのだった。
リーサと俺の準備が出来たのはそれから十五分程経過してからだった。メリューさんが作ったヒリュウさんへの『お土産』も持っている。何やら特殊な器に入っているようで、ある程度の振動なら吸収してくれるらしい。何だよ、そのオーバーテクノロジーは。
「それじゃ、行ってきます」
そして、俺とリーサはボルケイノの扉をくぐった。
カルノー山脈、その麓の町イスリア。
俺とリーサはそこに到着した。
「何度見ても思うけれど、この町はほんとうに長閑だよな……」
石畳の床、石壁の家、人は少ないが誰も皆笑顔だった。
物は無いが、それについて不満は無いように見える。それが、この町の人たちだった。
「ケイタ。あなたもこの町に来たことがあるの?」
「何度か、ね。ヒリュウさんに羊肉とミルクを買いに来たことがあるよ」
「ふうん……。いい街だよね。空気もいいし、人もよさそうだし」
リーサは鼻歌を歌いながらそう言った。どうやら上機嫌のようだった。
リーサがそう思ってくれているならそれはそれで大変ありがたいことだと思う。
「……それにしてもこの町のどこにヒリュウさんは?」
「この町には居ないよ。正確に言えば、この町の高台に居る。カルノー山脈の雄大な土地を使って羊を飼っているからね」
「あら、あなたたち。ヒリュウさんに会いに行くのかい?」
声の聞こえた方向に振り向くと、そこにはお店があった。野菜や肉、嗜好品など雑貨を売っているお店のようだった。
「あら、あなたたち。ヒリュウさんに会いに行くのかい?」
声の聞こえた方向に振り向くと、そこにはお店があった。野菜や肉、嗜好品など雑貨を売っているお店のようだった。
「ええ、そうですけれど……」
「だったらちょうどいい! これをヒリュウさんに持っていてくれないかい? ヒリュウさんに渡すのを忘れてしまってねえ。いつもならこの時間にやってくるのだけれどすっかり遅いものだから。……風邪でも引いているのかしら」
溜息を吐いてそう言ったのは割烹着を着た恰幅のいい女性だった。おそらくこの店の店主なのだろう。
女性が渡したのは白い風呂敷に包まれた何かだった。それが何であるか俺とリーサには解らなかったが、頼まれたことは引き受けるに越したことは無い。
風呂敷を受け取って、俺とリーサは町を後にするのだった。ゆっくり歩けば三十分はかからないだろうが、しかし山道を歩くことになる。俺はいいけどリーサはあんまり体力の無い印象があるし、こりゃいつも以上にゆっくり歩かないといけないだろうな、その時はそんなことを思っていた。
ところが、実態は逆だった。
「……ケイタ、休みましょうか?」
「ふう、ふう……。う、うん、そうしようか。それにしても、体力があるね、リーサは。ちょっと想像と違って驚いちゃったよ」
そう。
今ここで話があるように、俺の予想とは大きく違うものになっていた。確かに俺はこの山道を数回上り下りしていた。だからこそ、昇り切れるという油断があった。そして、その油断に見事にはまった。
今はというとリーサが俺より少し前に行ってちょうど座り心地のよさそうな岩を見つけたのかそこに腰かけて俺を待ち構えている状況だった。
俺は荷物を持っているからその分がある――と言ってもそれはただの言い訳に過ぎなかった。そんな言い訳が通るとは思っていないから省くことになるとは思うけれど、それにしたってこれは酷い。もっと体力をつけないといけないな、と俺はその時実感した。
漸く岩場に到着して俺はリーサの隣に腰かける。
リーサは自分で持ってきていた水筒からお茶を飲んでいた。俺も飲もう、そういえばのどが渇いていた。
水筒を開けると冷えているお茶が未だ温度を保っていた。有難い。身体が火照っている以上、このように冷たいものはかなり嬉しい。
そう思いながら俺はお茶を一口飲む。口の中に冷たいお茶が入っていく。それは喉、そして胃に流し込まれる。きっと胃もびっくりしていることだろう。これほど冷たいお茶が流し込まれているのだから。
「……荷物、持ちましょうか?」
リーサの問いに、俺は首を横に振る。
そこまでしてもらうのは、流石に男が廃る。
「いや、大丈夫だよ。別にあと半分も無いから、さ。……それにしても、これはいったい何が入っているんだろう?」
「メリューさんに聞いていないの?」
そういえば、メリューさんに中身を聞こうとしたけれど、「到着するまでのお楽しみだ」としか言わなかったような気がする。これは、ヒリュウさんへのお土産なんだよな? なぜ配達する俺たちも知らないってことにするのだろうか。まあ、メリューさんはこういうことが好きだから……、仕方ないのかなあ……。
◇◇◇
ヒリュウさんの家に到着したのはそれから十分後のことだった。まあ、あの後すぐに家の影が見えたことだし、休憩もなしに頑張ってみたのだけれど、その結果家の前につく頃にはもうへとへとだった。
ドアをノックすると、直ぐに返事があった。
「失礼します。ボルケイノですが……うわっ!」
なぜ俺が唐突に発言を中断したか。それには理由がある。扉を開けた途端、狼が俺に襲い掛かってきたからだ。思わず倒れこんでしまい、荷物が散乱する。
狼は俺の身体の上に乗ったまま、動かない。いや、正確に言えばペロペロと俺の顔を舐めていた。くすぐったい、というかこそばゆい。
「おやおや、だれかと思えばボルケイノのマスターじゃないか。おい、マノン。離してやりなさい。その人たちは良く会っているだろう?」
それを聞いて狼――マノンは俺の上から降りた。
それで漸く俺は立ち上がることが出来た。
「それにしても、どうしたのかね。ボルケイノは宅配も行うようになったのかね? だとすれば、とても嬉しい話だが」
「いえ、今日はいつもの時間になっても来られなかったのが気になったので……」
「ああ、それか。それは……こいつじゃよ」
ヒリュウさんの足元には、一匹の小さい狼が居た。
「マノンの子供でね、名前はマティスというんだ。男の子だよ。しかしまあ、マノンと仲が良いものでね、いつも一緒に居る」
しかし、よく見るとそのマティスが弱弱しく見える。
「……解ったかね。私がここを離れることが出来ない、その理由が」
俺は小さく頷いた。
つまり、ヒリュウさんが今日ボルケイノにも、麓の町にもやってこなかったのは。
「マティスくんが病気にかかってしまったから、なのですね?」
言ったのはリーサだった。
それを聞いて、俯いたヒリュウさん。
「ああ。そうだ。……それにしても、わしは客人にお茶も出さずに立ち話をしていたとはな。とにかく、そこの椅子に座りなさい。わしがお茶を出してやろう。ボルケイノのコーヒーの味は出せんが、そのあたりは許してもらうことにしようか」
ヒリュウさんが三人分のコーヒーを持ってきたのはそれから十分くらい経過したときのことだった。
「お湯を沸かしてからだから、少々時間がかかってしまったわい。仕方がないが、許してくれ」
ヒリュウさんがトレーに乗せていたコーヒーカップをテーブルに置いていく。
そのタイミングを見計らって俺はメリューさんからのお土産を取り出した。銀色の箱だったそれを開けると、箱の中から冷気が出てきた。箱の中は冷気が立ち込めているようだった。
「……これ、すごい技術だな」
俺の世界でいうところの、ドライアイスだろうか。とにかく、そのような冷たい空気が出てきた。
リーサは驚くことなくそれを見つめて、
「へえ、氷冷魔法を箱に閉じ込めている、ということかな。それにしてもどういう技術を使っているのだろう。もしかして……あのキッチンにそれを作れる装置でもあるのかな?」
「そんなこと俺に質問しても知るわけがないだろ。俺だってあのキッチンには数回しか入ったことがない。あのキッチンの設備をすべて知っているのは、メリューさんとティアさんくらいだからな」
「ほっほ。まあ、そんなことはどうだっていいのではないかね。その中には何が入っているのか、先ずはそれを解決すべきでは?」
確かに。ヒリュウさんにそう言われて俺は箱の中から何かを取り出した。
中に入っていたのは――プリンアラモードだった。
プリンを中心にホイップクリーム、イチゴ、プレッツェル、キウイ、オレンジがきらびやかに盛り付けられている。毎回思うけれど、メリューさんは幅広いジャンルで完璧にこなすんだよなあ、まさに料理チートとでも言うべきか。
「おお、プリンアラモードじゃないか。これを配達してくれるとは、メリューちゃんも隅に置けないなあ」
そう言っていたヒリュウさんの表情はとても朗らかなものだった。
箱の中にはスプーンやフォークも入っていた。用意周到だな、と思っていたが最後に手紙まで入っていた。
「……何だろう、この手紙?」
俺は疑問に思って、綺麗に四つ折りにされていた手紙を、ゆっくりと開いていった。
「ええと、なになに? 『この容器はボルケイノのものだから、食べ終わったら水洗いしておくように。洗わなかったらケイタの給料からその分天引きしておくのでそのつもりで』……、そんなことお客さんに渡すものに入れておくなよ……」
「ほっほ、まあ、彼女らしいのう。まあ、後で洗い場を貸してあげよう。先ずは休憩とでも行こうではないか。……君たちが問題なければ、の話だが」
俺はその言葉にゆっくりと頷いた。
時刻は未だ昼過ぎだ。とはいえ、ボルケイノの時間軸ではあまり関係ないけれど。
そういうわけで俺とリーサも、ヒリュウさんと同じくプリンアラモードを食べることにするのだった。
◇◇◇
プリンアラモードの味は格別、と言っても過言では無かった。
ヒリュウさんはいつもプリンアラモードを食べている。そういえば初めにボルケイノにやってきたときは、『食べたことのないデザートが食べられると思ったが』ということだった。確かにここは喫茶店だし、ご飯ものよりかはデザート、になるだろう。そういうわけでヒリュウさんは普通にご飯を食べてから、プリンアラモードを食べることとした。そして、そのプリンアラモードを食べて、その味に虜になった。
「ほんとうに、この味は飽きが来ない。素晴らしいものだよ。昔はあまり出歩こうとは思わなかったが、このお陰で麓に降りるようになったからな。ボルケイノに行くには麓まで降りねばならないから、そこだけが非常に面倒な話ではあるがね」
そう言ってヒリュウさんはまた一口プリンを食べるのだった。その笑顔はまさに子供そのものだった。
聞くところによるとこの地方での甘味はあまり無く、プリン自体が物珍しいものだということだった。言われてみれば、甘味として売られているのはよく分からないクッキーのようなものだけだったし、軟らかい食感の甘味自体が珍しいのだろう。
「……ふう、美味しかった。やはり、これを食べないと何か上手くいかない感じがするのう」
そう言ってヒリュウさんは器を机に置いた。
器を見るととても綺麗だった。綺麗、とはいっても流石に食べた跡は少し残っているけれど、それでも綺麗といえるくらい残さずに置かれていた。まあ、プリンアラモードが大好きなヒリュウさんがそれを残すとは到底思えないし、当然のことかもしれないけれど。
そのあとはキッチンを借りて容器とスプーンを洗った。もちろん洗ったのは俺だ。ヒリュウさんが「申し訳ない」と言って洗おうとしたが、ヒリュウさんはあくまでもお客さん。そんなことをしてもらっては、お客さんではなくなってしまう。きっとそれはメリューさんも思っているだろう。だから、俺はその受け入れをやんわりと断った。
そうしてそのあとももう一杯コーヒーをいただいて、たくさんの羊のミルクと肉をいただいて、俺たちはヒリュウさんの家を後にするのだった。
◇◇◇
後日談。
というよりただのエピローグ。
この話を聞いていて、違和感を抱いていたかもしれないけれど、ヒリュウさんから頂く羊肉とミルクは何も今回が初めてというわけではない。時たまヒリュウさんが大量に持ってくる、ということだ。だからヒリュウさんに提供する料理は普段より安めに設定してある。それに、ヒリュウさんの羊肉とミルクはとても臭みが少ない。だから、抵抗がある人でも食べたり飲んだりすることが出来る。おかげでメリューさんの料理の幅が広がる、ということだ。
「それにしても、ヒリュウさんのミルクはほんとうに美味しいのよね……。おかげでプリンアラモードの材料には困らないし」
あれってヒリュウさんの羊から作られていたのか。てっきり、普通に牛乳から作られていたと思ったけれど。
それを聞いたメリューさんは目を丸くする。
「牛乳は高いから、安いミルクを使うしか無い。けれど、どうしてクセが強いものばかりになってしまう。それだけは大変だったのだけれど……、そのタイミングでヒリュウさんから羊のミルクを貰った、ということ。もう、奇跡にも偶然にも近いことよ。本当に有り難いことだと思わなくちゃ」
ボルケイノの事情はまだ深いことがたくさんある。そう思って俺はコーヒー牛乳を飲み干した。