ドアに付けられた鈴が鳴ったのは、ちょうどその時だった。
「あー、おなかすいた! こんなところに喫茶店があるなんて、ほんとうに助かったわ。私たち、神様に愛されているのかもしれないわね」
「失礼します。こんな姉で……」
対照的な二人の女性が入ってきた。
一人はへそ出しルックの格好にダメージジーンズとかなりセクシーな感じだ。
対してもう一人は薄黄色のドレスに身を包み、何かカードのようなものを持っている。
「……まあまあ、そんなことをいうからあなたは面倒な性格になっちゃうのよ。あ、お兄さん、どこ座ればいい?」
「どこでもいいですよ、空いているところなら」
「ふーん。じゃ、ニーナ。カウンター座ろうぜ」
「も、もう……姉さん、手を引っ張らないでよ!」
似ている風貌と『姉さん』と言っていることから、どうやら姉妹のようだった。
それにしても、ここまで性格って違ってしまうものなのだろうか……? あまり医学について詳しくないけれど、ここまで違うとちょっと面白い。
「ねえ、お兄さん。メニューとか無いの? それともここはメニューが一種類しか無くて、それしか提供してくれないとか?」
「いいえ、違いますよ。ここは『あなたが食べたいものを提供する』お店です。いわずとも料理人である彼女があなたたちを一目見ただけでわかります」
「ふうん……。まるで魔法ね。訳が分からないけれど、信じることにしましょうか」
「ね、姉さん……。あんまりそういうこといわないで上げてよ。商売だからそう言っているかもしれないでしょう?」
おい、二人の意見が一致したぞ。
それはそれとして。
メリューさんのチェックも済んだところで俺は水を提供する。
「あー、サンキュ。ちょうど喉が水を欲していたところだったのよね。そこらへんはさすがマスターって言ったところかな?」
「ありがとうございます。あの、姉さんの発言は放っておいてくださいね。たまにデリカシーのない発言をしますので」
たまに、ではなく常にしている気がするのですが、それは無視していい発言なのか。それとも一種のギャグなのか。
まあ、それなりに妹も信頼している、ということなのだろうけれど。その発言は逆に反感を買いそう……とは言わなかった。やさしさだ。これ以上何か言ったら妹が心労で倒れてしまいそうだ。今でもなんかすごく疲れているように見えるというのに。
「ああ、うまい!」
そうこう考えているうちに姉のほうは水を豪快に一気飲みして俺にグラスを突き出した。どうやらお代わりを所望しているということはすぐに理解できた。まあ、俺が水差しを持っていたから、だろうけれど。
取り敢えずそのグラスを受け取って俺は水を注ぎ、そのまま姉に手渡した。それを笑顔で受け取る姉。もともとの顔が美人だから、とても笑顔が生える。くそっ、性格がガサツなのにこれは卑怯だ。……だからといって、近しい関係になったらとても苦労しそうだけれど。
メリューさんがいつも通り料理を作り上げたのは、それから十五分後のこと。……ちょっと遅くないか? って思ったけれどあくまでもこれはメリューさんが食事を作ったときの『遅い』であり、通常のお店ならば十五分で完成はそれなりのペースだと思う。だってファミレスみたいにすでに出来合いのものを電子レンジでチンとかしているわけじゃないし。……あ、あくまでもイメージです。
「……これは?」
「ガパオライス……ですね。豚のひき肉とシソを香味油で炒めたものになります」
正確には少々違うのだが、そこを説明していくと彼女たちの世界観が崩壊しかねないので、これまでとしておく。
それに、彼女たちもその説明で納得しているようだし。
食べ始めようとした妹に対して、姉は手を付けずにその料理をじっと見つめていた。
「……姉さん、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないわよ。……ねえ、そこのあなた。申し訳ないのだけれど、私だけ別の料理にしてくれないかしら?」
別の料理?
こんな注文をつけられたのは初めてだ。なにせメリューさんはいつもその客が一番食べたい料理を提供している。だから、そんな返品まがいなことは今まで無かったのだが……。
「いや、とてもおいしそうなごはんであることは十分に理解できるのよ。できるのだけれど……、ちょっと別のものにしてくれない?」
「ごめんなさい、ワガママな姉で。けれど、姉もずっとこういう感じで……」
頭を下げるニーナさん。
そういうことではないような気がするけれど……そう思いながら、俺は姉のほうからガパオライスを回収してメリューさんのほうへと戻っていった。
◇◇◇
「やっぱり食べなかったか。まあ、予想の範疇だよ。あれで食べてくれるならば、私だってそう苦労しないからね」
俺がガパオライスをもってメリューさんに見せたとき、メリューさんはさもこのことが解っていたかのように頷いていた。
というか解っていたなら最初からそうだと教えてくれ!
「いやあ、悪かった。けれど私も悪気があってやったわけではないんだぞ? あの姉……名前は何ていうのか解らないけれど、食べたいモノは妹と一緒のクセに、好き嫌いが激しすぎるんだ。だから、どうにかしてそれを解決してやろう、ってことで第一回と挑んだわけだが……。まあ、想像通り失敗したわけだ。次は本気で挑むことにするか」
だったら最初から挑んでほしかった。
このガパオライスの目にもなってほしい。
「まあ、そう怒るな。そのかわり今日の賄いもガパオライスを出してやる。オイスターソースが余ってしまってね。これをどうしようかちょいと考えていたところだったんだ。珍しくていろいろ使い勝手はいいけれど、つい余ってしまうんだよな。最近は特に使う機会も少なかったし」
「……ところで話を戻しますけれど、メリューさんは好き嫌いも解るんですか?」
「それくらい簡単よ。まあ、それを食べられるかどうかまでは解らない。だから取り敢えず出してみた、ってだけのこと。もし怒られたらどうしようかなあ、って思ったけれど何とかなったね。いやはや、これで改めて好き嫌いを何とかする術を繰り出すことが出来る、ってもんよ」
「……つまりどういうことです?」
「まあ、見ていれば解るはなしだ。ガパオライスに入っているものを羅列してみれば、自ずとあの女性の苦手なものが解ってくるはずだ。ああ、別に正解しなくてもいい。間違っていても構わないから」
「はあ……。えーと、挽き肉と、パプリカと玉ネギ……ですか?」
「そうだ。ほんとうはもっと種類が入っているのだけれど、正解を早々に引き当ててしまったからこれで終わりにしよう。では、そのパプリカと玉ネギは重要かね?」
急にメリューさんからの質問攻めにあう俺だが、これは何となく理解できる。
ずっとボルケイノで働いてきたから、それくらいは簡単に理解できるものだ。
「たぶん、必要ですね。メリューさんは無駄な食材を使ったことはありませんから。少なくとも、お客さんに出す料理に対しては」
「ご名答」
頷いて、メリューさんは話を続ける。
「つまりどういうことかといえば、好き嫌いをいかに気にせず、美味しいものを客に提供できるか。私の師匠もそんなことを言っていたよ。先ずは好き嫌いを受け入れる。そうして、客に見合ったものを作る。コストはかかるかもしれないが、客は喜んでくれる。そうだろう?」
「……そうかもしれませんが、ここは店ですよ? 最近雇った人も増えましたし、少しはもっと『黒字』ってことも視野に入れてくれないと!」
「それはティアがやっているから問題ないの。ほら、あの子、赤字だったら文句言ってくるでしょう? いわないってことは……ボチボチやっていけている、ってことなのよ」
「そうなんですか、ティアさん?」
俺はティアさんに会話を振った。
ティアさんはいつも通り分厚い本を読んでいたが、それを聞いてこくりと頷く。
「ね?」
「嘘だぞ。絶対今話を聞いていなかった……! 何かの本を読んでいて、絶対、適当に話を流していましたよ……!?」
「またまた。ティアに限ってそんなことはないわよ。そういうわけで、まずは嫌いなものを限りなく無いものと扱えるようにこちらで何とかすること。それが大事、ってわけ。そういうわけだからこれ持って行って」
そう言って俺の手に渡されたのは、また出来立てのガパオライスだった。
もうすでにできていたのなら、この時間は何だったのか。
そんなことをメリューさんに質問したかったけれど、今はお客さんを待たせている。そう考えると、俺はガパオライスをもってカウンターへと戻るのだった。
ガパオライスを持っていったところ、姉の方はまた怪訝そうな表情を浮かべた。
「……まさか対策出来ずに手詰まりで、前と同じものを持ってきました、なんて言わないわよね? だったらその場で帰るわよ」
「御心配なく。きちんと対策されております」
たぶん。メリューさんがきちんとやっていれば、の話だけれど。そんなこと言ったらそれこそ逆鱗に触れてしまうので、言えるはずが無かったが。
それを聞いた女性は、不安な顔を浮かべたまま、恐る恐るスプーンで掬って、それを口に入れた。
目を丸くして驚いたのは、それから少ししてのことだった。
「う、美味い! 何よ、この美味しさっ‼ こんな美味しい食べ物があるなんてっ‼」
「だから言ったじゃない、姉さん。こんな美味しい料理を食べられないなんて、好き嫌いが多い人は大変だねって」
どうやら普段から姉はこんな感じで言われているらしい。……しかし、姉も姉でそれを矯正しようとは思わなかったのだろうか? まあ、案外好き嫌いをきちんと一人で治す人はあまり居ないと聞いたことがあるし、そういうものなのかもしれないけれど。
それはそれとして。
姉はこの料理が食べられるものだと解ってから、がつがつと食べている。何というか、口調から何から男らしい。もしかしたら姉だから頼られる女性にでもなりたかったのだろうか。それにしては好き嫌いが多いようだけれど。
まあ、食事を無事に楽しく食べられるようになったのならば、それはそれで有難いことだ。もし、あれでも食べられなくて金は払わないなどと言いだしたらどうしようか、とヒヤヒヤしていたところだったし。
少しして。
姉と妹がほぼ同時に食べ終えて、
「ごちそうさまでした!」
飛びっきりの笑顔で手を合わせていた。
そのタイミングで俺はコーヒーを二人に差し出す。可能性のことを考えて砂糖とミルクを気持ち多めに渡す。あの姉のことだ。もしかしたら甘党かもしれない。
そんなことを思っていたら案の定姉は砂糖を何と五つも入れた。ちょっと待て、さすがに溶けないぞ。最悪角砂糖を噛み砕くレベルの量だぞ、それって。
そんなことを考えていたら、やっぱり飲んだ時に溶けきらなかった角砂糖が口の中に入り込んだのかガリガリと角砂糖を噛み砕く音が聞こえた。
対して妹の方は二つという常識的な値を選択し、少しミルクを注いでスプーンで掻き回していた。姉の行動を見て、照れ臭そうに笑みを浮かべると、
「すいません、いつもこうなんです。決して、ここのコーヒーが美味しくないとか、そういうことではありませんから」
知っていますよ、だってあなたたち初回じゃないですか。初回でここのコーヒーの味を知ることが出来るってそれなりのレアケースだし。
そんなことを言うことはなく、ただいつものように笑みを浮かべて頷いていると、
「よし! コーヒーも飲んだし、そろそろ次の街に向かうか! ありがとうな、コーヒー。美味かったぜ!」
ほんとうにコーヒーの味を味わったのか解らないが、彼女なりにコーヒーを味わったのならば、それはそれでいいことだ。
「え、ちょっと……、姉さん、待ってよ! まだ私がコーヒーを飲み終わっていないのに……!」
そして、妹の方も大急ぎでコーヒーを飲み干すと、ぴったりのお金を置いてそのまま店を出て行った。もちろん、最後に忘れ物チェックもしていって。
「……なんだか、騒がしい客だったなあ」
まるで台風が何かのようだった、そんな二人の客を見送りながら、俺は誰にも聞こえないくらい小さな声でそう言ったのだった。