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第21話 こころとからだの栄養補給 (メニュー:串カツときんぴらごぼう)

 ボルケイノの扉が開いたのは、深夜帯のことだった。

 別にこの世界が第666時間軸であったとしても、この世界では普通に時間は進んでいく。つまり、休憩こそあるけれど一日中働いたとしても俺の世界では三時間程度しか経過していないってことになる。

 とはいえ、休憩が殆どだし(ボルケイノは暇な時間が多い)、給料もそれなりに貰えているし。別に文句なんて無い。だって暇だし。

 話を戻すと、その深夜帯は客が一番来ないと言っても過言ではない時間帯であって、その時間は残っている仕事を片付けたり空きスペースで勉強をしたり……いろいろと便利な時間帯だったりするわけだ。しかも疲れていたら奥の仮眠室で寝ていてもいいわけだし。


「……ごめんよ、今から一人大丈夫かな?」


 ドアの向こうを見るとネオンサインが見える。どうやら深夜帯なのは向こうの世界も変わらないようだ。というか……向こうの世界って紛れもなく、俺の住んでいる世界じゃないか。たぶん。


「いらっしゃいませ。ええ、大丈夫ですよ」


 その人の言葉を聞いて、俺はそう言った。

 その人は草臥れた様子だった。スーツを着用しているところを見るとサラリーマンのように見えるけれど……こんな時間まで仕事をしていたのだろうか? ちらりとサラリーマンの時計を見ると時刻は午前一時をとっくに回っている。日付を越してまで仕事をしていた、ということになる。

 しかしながら、そんなことはどうだっていい。いつの時間だってお客さんが来たらそれなりに対応しなくてはいけないのだから。


「……このお店はメニューが無いのか?」


「はい。ここはお客様が一番食べたいものを料理人が分析し、お出しするお店となっていますので」


 俺はもうテンプレートとなっているそれをサラリーマンに伝えた。

 サラリーマンは首を傾げながら、頷いた。


「まあ、そういう珍しいところもいいか。……じゃあ、取り敢えずお酒をくれないか? ビールだよ、ビール。お願いするよ」


 そう言われたので、俺は厨房へと向かうのだった。



 ◇◇◇



 厨房にはメリューさんがすでにビール瓶とグラスを用意していた。しかもトレーに載せている。それにしても、ほんとうにメリューさんは準備が良い。


「あ、あとこれも」


 俺がそれを持っていこうとしたタイミングでメリューさんは小鉢をトレーの上に置いた。お通し、ってやつか。ちなみに小鉢の中身はきんぴらごぼうとなっている。これ単品でも食べたい。

 まあ、それはさておき。

 急いで俺はカウンターへと向かい、カウンターにビール瓶とグラス、それにお通しを置いた。


「お通しになります」


 そう一言付け足して。

 それを見たサラリーマンはビールをグラスに注いで、一口。

 そしてそのままグラスに入ったビールを飲みほしてしまった。


「ああ、美味い。最高だな、このビール」


 ちなみに、このビール瓶だがシールははがしてある。理由は単純明快、異世界のものを知られてはならないためだ。本来、このビールは異世界産のものであるため、このサラリーマンが飲むことはない。しかしながら、それを異世界産であると知られなければいいため、このようにシールをはがして対処しているというわけだ。

 再びグラスにビールを注いで、今度はきんぴらごぼうを一口。

 ニンジンがゴボウ以上に大きく切られているところがポイントであり、なおかつニンジン独特の匂いもそのまま残されている。普通ならばニンジンが嫌いな人間にとってはさっさと外してもらいたいポイントかもしれないが、メリューさんにとっては素材の味をそのまま楽しんでいただきたい、ということからそういう風に作られている。

 とはいえ、メリューさんのお通しは毎日変わるし、メニューが明確にローテーションで決定しているわけではない。メリューさんが食べたいものがお通しになるので、火によっては一口大のハンバーグがお通しで出ることもある。その時はたいていのお客さんは大喜びするものだ。

 そのきんぴらごぼうがメリューさんの提供するお通しの中ではかなり人を選ぶ――もちろんそれは味という意味ではなく使われている食材がかなり人を選ぶという意味であるのだが――つまりそのサラリーマンの反応も俺にとっては少々気がかりだったのだ。

 しかし、サラリーマンはそのままニンジンを食べてそして噛み砕きながらそれをビールで流し込んだ。


「いやあ、美味いきんぴらだ。何というか、昔懐かしい、という感じがするよ。……ところでさっき言っていた、『食べたいものを出してくれる』というやつだっけ? 出来れば品数増やしてほしいなあ。何というか、一品で出すんじゃなくて、居酒屋のメニューみたく出してほしいってこと。解るかな?」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 そう言って俺が裏方に行こうとした、ちょうどその時だった。


「お待たせしました、一品目です」


 メリューさんが皿を二つとソースの小瓶を手に持ってきた。

 皿の上には揚げ物が幾つかと付け合わせの定番であるキャベツが乗っかっていた。もう一つの深皿には何も乗っていないところを見ると、どうやらそこにソースを入れる感じだろうか。

 そしてテーブルに置いたそれを見て、俺はその揚げ物の正体が解った。

 玉ねぎと豚肉、つくねを紫蘇で巻いたもの、レンコン、小さい卵にウインナー。

 それには衣がついていて、すべて串に刺さっている。

 そう、メリューさんが持ってきたものは串カツだったのだ。


「串カツ、か。うん、いいチョイスをしているね。ちょうど食べたいと思っていたところだ」


 そう言って小皿にソースを注いで、適当に一本選んだ男はそれをソースに漬けた。軽くじゅう、という音が聞こえたような気がする。まあ、衣の揚がっているいい香りがしているところをみると、大方作り立てなのだろう。揚げたてのコロッケにソースを漬けるとそういう音が鳴るともいうし。

 男はそれを口にする。それを口にしたまま、串カツをビールで流し込む。

 その様子は酒をまだ飲めない俺が見てもとても幸せそうにみえた。


「やっぱ揚げ物は揚げたてに限るね。さすがだよ、あの女性が作ったのかい?」


「そうですね。このお店の料理はすべてあのひと……メリューさんが作っています」


 ふうん、と頷いて再びビールを一口。


「あ、ウーロンハイをもらってもいいかな?」


「ウーロンハイ、ですね。かしこまりました」


 俺はそう言って、裏方――厨房に注文を伝える。

 ウーロンハイが登場するまでそう時間はかからなかった。やはり時間はかからないものなのだ。だって焼酎にウーロン茶を混ぜたものだからな。飲みやすいし。あと、脂っこい料理にも似合うらしい。実際に飲んだことがないから、あくまでもいろんな人から教えてもらったり自分で調べたりしたことで得た知識でしかないけれど。

 串カツをあっという間に平らげてしまい、ウーロンハイもちょうどいい感じに減ってきている。

 それを見計らったのかどうかは定かではないが、メリューさんは三品目、卵焼きを持ってきた。卵焼きにはネギが入っており、これがアクセントになっているのだ。たまに昼のとき作ってくれるのだが、これがまた美味しい。


「卵焼きか。いいねえ、ちょうど口の中が脂っこい感じになっているわけだし、ベストなチョイスだな」


 そう言って卵焼きを箸で掴んで口の中に放り込む。

 そしてウーロンハイで卵焼きを流し込んでいく。

 それが一つのルーチンワークになっているようにも見える、そんな感じだった。




 締めの料理はラーメンだった。


「……ラーメンか。しかも中華そば風。昔懐かしい感じがするな。まさかこんなレトロな喫茶店でこんな感じのラーメンが食べられるとは思いもしなかった。いや、そもそも喫茶店で酒が出ること自体が普通じゃないか……」


 ごもっともな言葉だった。

 たぶん俺の世界でも酒を提供する喫茶店はそう多くないだろう。そこはきっと喫茶店の皮をかぶったスナックかバーに違いない。あくまでも俺の勝手な推測だけれど。

 ラーメンにはメンマ、チャーシュー、ノリにネギとコーンが乗っている。まさに中華そばのテンプレートといってもおかしくない。しかしながらメリューさんのこだわりが生きている商品の一つともいえるそれは、メリューさんの気まぐれで出来る料理であるとはいえ、自信作の一つでもあった。だったらメニューとして定常提供すればいいのだろうが、メリューさんの気まぐれな性格と、お客さんの食べたいものを提供するスタイルがあるためか、それが出来ないのだった。

 ラーメンを食べるサラリーマンだったが、その食べ方はとても綺麗だった。俺の勝手な考えで酔っ払いは自ずと食べ方も汚いって思っていたけれど、そうじゃない人もいるんだな。ちょっと安心。

 そうしてスープまで飲み干したところで、サラリーマンは笑顔になっていた。




「いやあ、こんな美味いラーメンは初めて食べた。これも、あの女性が?」


 嘘を吐く意味も無いので、俺は即座に頷いた。

 サラリーマンは大きく頷くと、財布を取り出す。


「そういえば、会計は幾らだったかな……。まあ、あれほどの料理だから、それなりにするのかもしれないが」


「千円になります」


 その言葉を聞いて、サラリーマンは目が点になった。


「……は?」


 そこでサラリーマンはおもわず普段の様子に戻ってしまったのだと思う。まだ顔を赤らめているのできっと酔いは醒めていないと思うけれど、ピークは過ぎているかもしれない。


「ですから、千円になります」


「いやいや、それはちょっと安すぎないか? 名古屋の飲み屋でもその値段設定をするのは横暴すぎないか?」


「と、言われましても……。実際に、私たちが会計したのはこの値段になります」


「とは言ってもだな……。まあ、いいか。そう言われるならしかたない。甘んじてそれを受け入れることとしようか」


 そう、自らに言い聞かせるように言ったサラリーマンは千円札一枚を置いて、そのまま店を後にした。



 ◇◇◇



 メリューさんが後片付けをしていた俺に、後々こんなことを言ってきた。


「あのサラリーマンはとても悩んでいるようだった」


 そう話を切り出したメリューさんは、いろいろな話をし始める。あのサラリーマンは仕事で疲れていることや、自分が仕事のことで悩んでいても話を切り出せないこととか、まるで本人から直接聞いたような新鮮な話題だったといえるだろう。

 それを聞いて、俺は質問した。


「……もしかしてメリューさん、それってあの人から聞きましたか?」


「いいや。誰にも聞いてはいない。……だけれど、解るんだよ。料理を食べている人の顔を見てくれば、何となく浮かんで来るんだ。だから、それをもとに言っただけだ。もしそれが本当だったとすれば、の話だけれど、他人である私たちにちょろっと話す感じで気分が安らぐかと思ったわけだけれど……、人間そううまくいかないものだね。ま、嘘か本当か、信じるかはケイタ次第だけれど」


 そう言ってメリューさんは裏方へそそくさと戻っていった。

 まったく、メリューさんは何が言いたかったのだろうか?

 その時の俺には、まったく解らなかった。

 その時の、俺には。



 ◇◇◇



 それが解るようになるまで、少々時間を要した。

 朝のニュースで、飛び込み自殺が報道されるまでは、俺はそのことについてすっかりと忘れていた。

 その駅は自殺者が多い駅ではあったけれど、ただ時間的にあのことを思い出してしまうのは、半ば当然かもしれなかった。

 俺は、メリューさんが最後に言った言葉を思い出した。

 他人である私たちに話してくれれば。

 確かにそれはその通りだった。断片的でも、誰でも構わない。ただ思っていることがあるならば誰かにぶちまけてしまえばよかっただけの話だった。そうすればあのサラリーマンの未来も変わるかもしれなかった、はずだ。

 俺はそう思いながらも、そろそろ登校の時間であることを思い出し、テレビの電源を落とした。

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