アルシスさんの話は続く。
「……まあ、魔法も一応素質がある。別にこの城に仕えているメイドが全員魔法を使えるわけではない。魔法を使えないメイドだって居ることも間違いないし、別にそれだからと言って差別することもない。当然といえば当然だ。それに、そんなことで差別することは非常にくだらない話であるからね」
アルシスさんの話は矛盾を孕んでいた。
即ち、魔法が使えないメイドを差別することはくだらないが、亜人を差別することはくだらないことではない――そういうことになる。
それについての間違いを。
それについての矛盾を。
アルシスさんはきちんと理解したうえで話をしているのだろうか?
そうであったとしても、そうでなかったとしても。俺にとっては少々嫌な話であるということには何ら変わりはないけれど。
「……そろそろ煮えてきたのではないですか?」
リーサの言葉を聞いて、俺は慌てて火を弱める。確かに鍋の中身を見ると、コトコトと煮えたぎってきているし、香りもいい香りだ。貝を使っているのか、潮の香りがする。
適当なタイミングでさらに火を弱めて、完全に火を止める。
「出来上がりかしら?」
アルシスさんの問いに、俺は頷く。
それを見てからアルシスさんは鍋の中身を覗いた。
「成る程……。貝を使った粥ね、もちろん貝本体を使っているわけではなくスープの旨味として使っている程度だと思うけれど。香りは悪くないようね」
そうしてアルシスさんは火が消えたことを確認してから扉を開けた。
「それじゃ、次に向かう場所は……もう薄々気づいていると思うけれど、ミルシア女王陛下の部屋だ。熱が出ているからな、あんまり外に出て体調を悪化させるわけにもいかない。一応言っておくが、粗相のないように、な? まあ、幾度となくミルシア女王陛下があの店に来ているらしいから、粗相のないようにはなっているとは思うが」
「……もうちょっと、刺々しい口調を何とかしたらどうですか?」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
おっと、つい声に出てしまった。失敬、失敬。仕事を失いかねない。
「……ならいい。では、向かうぞ」
アルシスさんはそう言って部屋を後にした。
俺とリーサもそれを見て後を追いかけるように部屋を出て行くのだった。
ミルシア女王陛下の部屋までそう時間はかからなかった。アルシスさんがノックをして、俺たちは中に入る。
ミルシア女王陛下は椅子に腰かけていた。窓から外を眺めている様子だったが、入ってくるのを見て俺たちのほうを向いた。
「あら、アルシス。ちょっと遅かったじゃない。きちんと持ってきたのかしら?」
「ええ。きちんと持ってきていますよ。ほら、それを置いて」
俺はアルシスさんに言われたようにそれをテーブルに置いた。
「……もしかして、あなた、ケイタ?」
ぴたり。
それを聞いて俺は思わず手を止めてしまった。
その反応を見たミルシア女王陛下は笑みを浮かべて、
「どーして、女装なんかしているわけ? もしかして、ここはメイドしか入れないから、とかそんな理由で? うそでしょう。ちょっと、びっくりなのだけれど……」
笑いをこらえながらも、そう言ったミルシア女王陛下。
俺だってしたくてしているわけじゃねえよ! と反論したかったけれど必死でそれを堪えて、テーブルにそれを置いた。
「……これは、お粥?」
「貝のエキスがたっぷり入った粥になります」
俺は簡単にそれの説明をする。
それを聞いたミルシア女王陛下はスプーンで一口それを掬って、ふうふうと息で冷ます。
「……いい香りね。やっぱり、メリューは素晴らしいものを作るわ」
「それくらいのものであれば私たちでも容易に作ることができます」
「果たしてどうかしら? ……まあ、今はここでとやかく言う必要は無いわ」
そうしてミルシア女王陛下は一口、その粥を口に入れた。
まだ熱かったらしく、必死でそれを堪えつつも、何回か噛んで、それを飲み込んだ。
笑みを浮かべたまま、ミルシア女王陛下は無言でそれをまた掬い口に入れて、また掬う……というルーチンワークのようなことを始めた。
やっぱり美味しいものを食べると、無言になる人が多い。
とやかく言っている人もいるけれど、こんな感じになる人のほうがモノを美味しく食べている、という感じがする。いや、別にとやかく言っている人に文句をつけたいわけではないが……。
ミルシア女王陛下が粥を食べ終えたタイミングを見計らって、アルシスさんは俺のほうを向いて、
「まことに申し訳ありませんが、このお皿を洗っていただけませんか? ……これから、ミルシア女王陛下は着替えをしないといけませんので、そこに男性が居るのは非常に面倒なことになります。……それくらい、常識の範疇で理解できますよね?」
だからどうして逆撫でするような発言ばかりするのか。
そう思いながらも言い返すことは出来ず――俺はそれを受け取って、先ほどの厨房へと向かうのだった。
◇◇◇
後日談。
というよりもただのオチ。
あれからお皿を洗っていた俺だったけれど、ちょうどお皿の水分をふき取っていたタイミングでリーサとアルシスさん、それにミルシア女王陛下が厨房にやってきた。
ミルシア女王陛下は俺の姿を見るなり爆笑していた。何だよ、したくてしているわけじゃねえんだよ。それくらい理解してほしい。
けれど最後にミルシア女王陛下は笑顔でありがとうと言ってくれた。そしてその言葉をメリューさんにも伝えてほしいといった。それくらい朝飯前だ。もう夕方になっているけれど、別にその言葉を使うのはどのタイミングだってかまわないはずだ。
さて、急いで戻ろう。
この女装という恰好にもオサラバする時間がやってきたということだ。
……ちなみに戻ってきてから、メリューさんがとくに労いの言葉をかけたわけでもなく、いつも通りの会話しかしなかったため、俺は大急ぎでメイド服から普通の服に着替えて、なるべくそのことを忘れようとしていた。
忘れたくても、その後忘れることのできない、むしろ悪化したイベントが発生したのだけれど。
ミルシア女王陛下がお店にやってきたのはそれから二週間後の話だった。
「メリュー、来てあげたわよ!」
いつも通りの掛け声で入ってくるミルシア女王陛下。それを聞いてメリューさんは料理をつくりはじめる。いつも通りとはいえ、メリューさんもメリューさんだ。ネタが尽きないのだろうか?
……それはさておき、俺もいつも通りの接客をする。
カウンターの席に座ったミルシア女王陛下にお水とお手拭きを差し出したところで、ミルシア女王陛下が首を傾げていた。
「……どうかしましたか?」
俺は疑問に思って訊ねる。
ミルシア女王陛下は不敵な笑みを浮かべて、俺に言った。
「いや、前はメイド服を着ていたのに、あれは一回きりだったのかな、って思ってね。なかなか似合っていたのに、勿体ないなあ」
――そのあと、しばらくはそれを聞いていたサクラがいちいち俺にその話題を振ってきたことについて、そしてその反応を見て楽しそうにしていたというのは言うまでもない。
ちなみに、ほんとうに最後のオマケとして。
まだ俺が着たメイド服は残しているらしく、時折メリューさんが「メイド服のぬくもりを味わいたいのならば、どうぞ?」と言って持ってきてくる。毎回俺は断っているのだが、メリューさんはそれでも諦めない。
なんというか、俺に着ろと言っているのだろうか?
だから一度言ってやったんだ。
仕事じゃなくてプライベートのお願いなら、いつでも着てやりますよ、って。
メリューさんはつまらなそうにメイド服を仕舞っていたけれど、一先ずこれで解決しただろう。……何か変な誤解をされていなければいいのだが。