はじめまして。私の名前は柊木桜。新しくボルケイノに入ったメンバーになります。
まあ、何で入ることになったかと言えばそんな難しいことを言う必要は無いと思うのだけれど――とにかく、私としてはここで務めていくことは別に悪い話じゃないと思っている。
ケイタが長い間ここで働いているだけでも、このお店がいいお店ってことは解るしね。
朝は別に決められた時間に入ることは無い。放課後に行くのが大半、っていうけれどそんな時間から入ると朝の仕込みには参加しないのかな? ……と思っていたら、どうやらこの世界に流れる時間は私たちの世界に流れる時間とは違うスピードで動いているようで、あんまり意味がないらしい。……そういえば、今日は何か甘いものが食べたいなあ。ホットケーキとか。バニラアイスを乗せていてそこからはちみつをかけると、もう最高だよね。今日、時間が余ったらホットケーキを提案してみようかなあ。
……なんてことを考えていたら、もうこんな時間。急いで扉を潜らないとね。
そういうわけで午後四時半にその扉をくぐると、ボルケイノ時間では未だ午前八時前。正直言って便利な世界観だけれど、アリと言えばアリ。ケイタがずっと働いていける理由もなんとなくわかる気がする。
「おはよう、サクラ。今日はケイタのことを手伝ってもらうのもいいのだけれど、少しはあなたに料理のことも学んでほしいかな」
メリューさんは開口一番そう言った。
はて、料理――ケイタは料理を作ったことがない、ということになるのだろうか? まあ、男に料理を任せられない、って人は多いしそういう観念は異世界でも変わっていないのかもしれない。
「そのためにも、私が持つ能力について教えてあげないとね。……さすがにあなたにそれを教えてあげることは出来ないのだけれど、能力の意味を理解してもらうことは必要になる」
そう言ってメリューさんは私をじっと見つめた。
どうしてメリューさんは私のことじっと見つめてくるのか解らないけれど――、とにかく私はメリューさんの目を見返した。
少しの時間だけだったと思うけれど、とても長い時間に感じられた。
先に折れたのはメリューさんのほうだった。笑みを浮かべると、メリューさんは頷く。
「今あなたが食べたいものは、ホットケーキじゃないかしら? それもバニラアイスをトッピングした、とびっきりはちみつのかかったやつ」
それを聞いて、私は目を丸くしていた。
「実はちょいと『目』が良いのさ」
そう言ってメリューさんは自らの目を指さした。
「目が良い、というのはまさに文字通りの意味だよ。ちょっと考えればその人が今食べたいものを教えてくれる。まさに天職ともいえる能力だ。正直言って、この能力があるからこそ私はこのお店をやっていけると言ってもいいのだけれどね」
「……そうなんですか」
私はそれでも信じられなかった。
けれど、ファンタジー的世界観ということを考えると、そういうことも案外普通なのかもしれない。……というか、それってただの読心術なのではないだろうか?
「それにしても、どうしてそんな能力を……?」
私の言葉に、メリューさんは笑みを浮かべる。
「うれしいねえ、信じてくれるのかい。まあ、本当のことだけれど」
「……え? 本当なんですよね? だったら、信じますよ。嘘を吐いていないのであれば」
「嘘は吐かないよ、私は元来嘘を吐くことはしない、と決めているのでね。……さて、休憩するとしようか。ホットケーキを食べるでしょう?」
そう言ってメリューさんは厨房へと向かった。
メリューさんに休憩中の手を煩わせるわけには……そう思って私も厨房へ向かおうとしたけれど、それをメリューさん自身に抑えられた。
「いいのよ、別に。私が作りたくて行きたいのだから」
「それではせめて紅茶だけでも……」
私は矢継ぎ早にそう言った。せめてそれだけでも、私はしたいと思った。しなければならないと思った。
それを見たメリューさんは笑みを浮かべると、大きく頷いた。
「そこまで言うならば、やってもらいましょうか。その気持ちを無碍にすることも出来ないしね」
「はい! ありがとうございます!」
そうして私は、紅茶を入れるべくカウンターの裏へと向かった。
メリューさんもメリューさんで私を見守りながら、厨房の奥へと消えた。
◇◇◇
メリューさんがホットケーキを持ってきたちょうどいいタイミングで、私も紅茶をいれ終えた。
「ホットケーキ、焼きあがったわよ」
メリューさんの手にはそれぞれ一枚のお皿があり、そのお皿にはホットケーキが三枚と蜂蜜、それにバニラアイスが溶けかけの状態で乗っかっていた。
それを見て私はすぐにでも食べたい! と思ったけれど、まだ紅茶をティーカップに入れていなかった。そう思った私は早く食べたくて大急ぎで紅茶を入れようとした。
「駄目よ、サクラ」
……そこで私はメリューさんにさえぎられた。
「……え? どうしてですか。まだ紅茶を入れていませんけれど」
「入れていないのは見てわかるわよ。問題はあなたが今から『大急ぎ』で紅茶を入れようとしていること。そんなことがオーケイだと思っているわけ?」
「え、いや……どういうことでしょうか? さっぱり、理解できないのですが」
「だから。……まあ、いいわ。ちょっと貸してみなさい」
そう言ってメリューさんはホットケーキの皿をカウンターに置くと、ティーポッドを私の手から奪った。
メリューさんは私を見て、首を傾げる。
「いい? きちんと見ていなさい?」
そうしてメリューさんは紅茶を注ぎ始める。
それはゆっくりと、それでいてあまり音を立てていない。
「メリューさん……」
「いいの。これで」
ホットケーキが冷めてしまう!
私はそんなことを考えたけれど、これ以上メリューさんのことを怒らせるわけにもいかない。そう思った私は何も言わなかった。
「……あなた、ホットケーキが冷めるから、あるいはホットケーキを早く食べたいから紅茶を急いで注ごうとしたでしょう?」
目が丸になった。
どうしてメリューさんはそんなことが解ったのだろうか。
「見て解るわよ。急いでやっているんだもの。それで溢してみなさい。片付けが大変。……今は従業員だけだからそれだけで済むかもしれないけれど、問題はお客さんが居る状態でそれをやらかしたら……どうなるかしら? お客さんはここに一時の平穏を求めてやってきているのよ。その平穏を、一瞬でも奪ってはいけない。だから、私は正してほしい。そう思って、あなたにこれを教えているだけ。だから、次回からは……ね?」
「は、はい!」
メリューさんのウインクを見て、なぜかドキッと胸が高鳴った私。
なぜだろう……? この気持ち、もしかして……?
いいや、そんなことはないと思う。私は何とかその気持ちを振り払って、きれいに注がれたティーカップをソーサーに乗せてカウンターに置いた。
ミルクを注いだポッドとシュガーポッドも忘れずに。まあ、後者は常にカウンターに置いてあるからいいのだけれど。
「それじゃ、美味しいティータイムとしましょうかね。ちょっと早いかもしれないけれど」
「はい!」
そうして私たちはティータイムを始める。
ホットケーキはほんとうにおいしかった。焼き加減もちょうどいい感じで外はサクサク、中はフワフワという感じになっている。それに蜂蜜とホットケーキの熱で溶けたアイスクリームがうまく混ざり合って染み込んだ味が、口の中で蕩けていく。
メリューさんは凄い。
まだ長い期間ここに居たわけじゃないけれど、それが日に日に犇々と伝わってくる。
私もまだまだ頑張らないと! 少なくとも、ケイタと同じくらいには!
そう目標を立てた私は心の中でガッツポーズして、もう一切れホットケーキを口に入れるのだった。
「そんな、肩に力を入れなくてもいいよ?」
ホットケーキを食べたタイミングでメリューさんは私に言った。
さらにメリューさんの話は続く。
「人はいつだって失敗する。そりゃ最初の時は慣れないことが多いから、なおさら失敗は増えるよ。それを気まずいとか苦しいとか思っちゃダメ、ってこと。これが大事。それをいかに次に繋げるか、それが大事なんだから」
その言葉は、別にボルケイノの仕事にかかわった話じゃない。普段の日常生活においても役立つ言葉だった。
成る程。確かにあまり考えたことはなかった。失敗しないように、と気張りしていたから……。
「だから、困ったことがあったらすぐ私かケイタに相談しなさい。もしケイタに言いづらいことがあれば私に言ってもいいから。忙しいときはさすがに対処出来ないかもしれないけれどね」
「はい。ありがとうございます!」
こんな調子で、私とメリューさんのティータイムは過ぎていく。
これが私の一日。ボルケイノで働いていく上で起きた、小さな出来事の一つ。
こうして私は今日も、ボルケイノで頑張って働いていくのだった。