――少し、物語を整理しようか。
なに、そんな難しい話ではない。昔から伝えられている、この世界の言い伝えについて、だよ。
この世界は君が知らない世界だ――え? 何故それを知っているのか、って。そりゃ私は人の上に立つ人間だ。下に居る人間のことを何も知らずに、王を名乗れない。
……まぁ、真実を告げるのならばメリューから聞いていただけのことだ。私と彼女は仲がいいのだよ。店内のやりとりだけでも感じられるだろう?
君のその中途半端に張り付いた笑顔は無視しておこうか。それにしても、君もなかなかこの世界に慣れてくれないね。ここは同じ世界だろう? なのに、それを、何故?
脱線してしまったな。そろそろレールを元に戻そう。きっとそれをしても、文句は言われまい?
要するに、一つだけ端的に結論を述べることにしよう。
ドラゴンメイド。こいつは、価値が高い。もちろん種類が多くないから、人間の絶対数と比べると非常に少ないという意味も持っているが、もっと別の意味も持っている。……どういう意味か、って? そいつは、『少しくらい自分で考えろ』と言いたいところだが時間も無い。ここは私が簡単に答えよう。
ドラゴンに対する価値は、人間にとって『食材』でしかない。
どの部位がうまいとか、どの部位がカレーによく合うとか、そんなちゃちな議論しかしない。
一応言っておくが、君たちの世界にあるという『保護』なんてことは考えていない。私としてはむしろそういうことは大歓迎なのだがね。この世界の人間は全員……いいや、それは言いすぎたな。ほとんどの人間がそんなことを考えていない。人間は、人間以外のものはすべてが人間が消費していいものだと勘違いしているからだ。一応言っておくが、そいつは盛大な勘違いだ。盛大な間違いだ。そんな横暴、あってはならない。きっと空に居るカミサマは、その悪行を見ていることだろう。いつか、人間が裁かれる時がやってきたとしても、私たちは何も言えない。それほどの悪行をしてきたのだから。
……話を戻そう。つまりは私が言いたいことは、竜人というのは、ただでさえドラゴンが希少な価値を持っているのに、それが人間の姿をしているとすれば……その価値はどれくらい跳ね上がるのか、という話だよ。
◇◇◇
それを聞いて俺は思わず部屋を脱出しようとした。
しかし、背後からミルシアの声が聞こえる。
「……まだ話は終わっていないぞ、少年。時間がないことも承知しているが、まずは段取りを踏まねばならない。私たちがどうするか、というよりも、どうやって彼女たちを救い出すか、という話になるわけだがね」
ミルシアの言葉は紛れもない正論だった。
だから俺は、何も言い返せなかった。
別にそれに対して何か持ち合わせがあるわけでもないのに。
別にそれに対して反論をしたかったわけではないのに。
ただ今は――それについて、言い返したかった。
「そもそも、ドラゴンにそれほどの価値を見出したのは、いったいどれくらい前の話になると思う?」
「どれくらい……って、そんなこと解るわけが無いですよ。だって俺はこの世界の歴史なんてちんぷんかんぷんなんですよ?」
「それはお前がこの世界のことを知りたくない、否、知ろうとしないだけだ。何ヶ月この世界に片足突っ込んでいるのか知らないが、普通なら少しくらい知っていてもおかしくない。寧ろ嫌でも入ってくるレベルのはずだ。だってあの喫茶店にはいろんな世界からいろんな人間がやってくるのだから」
それを聞いて僕は目を丸くする。つまり、ミルシア女王はそのことに気付いていた――ということになる。
目を丸くしていた僕を見て、くすりと微笑むミルシア女王。
「何だ? その素振りだと……まるで私が何も知らない存在のように扱っていたように見えるなぁ。だが、解るのだよ。そんな小細工が解らぬのならば、王としてやっていくことは出来まいよ」
「それは……」
「言い過ぎだと思うか? 残念ながら私はそんなこと考えたこともない。考えるまでも無いのだよ。別にあの喫茶店に秘められたオーバーテクノロジーが軍事転用可能だったとしても、私はそれを使わない」
「何故……だ?」
「あの喫茶店を利用し続けてきた、たくさんの客への裏切りになるからだ」
それを聞いて、僕は何も言えなかった。何も言い返せなかった。
彼女がそこまで発言するということは、即ちそれほどまでにあの店を愛しているということになる。
そこまで彼女が思っているなんて、知らなかった。
そして、その話を聞けば、殊更メリューさんたちを急いで助けなくてはならない――そう考える。
物語はそれほど単純ではなく、奇々怪々としたものとなっているのかもしれない。
だが、それでも。
僕は二人を助けないとならない。
僕は二人を――救出せねばならない。
だって僕は、ドラゴンメイド喫茶『ボルケイノ』の店員なのだから。
「……どうやら固まったようだね。どうだい、お前さえ良ければ直ぐにでも出発することが出来る。あぁ、大丈夫だ。別にお前だけで行かせようとか、そんな鬼畜なことは考えちゃいないよ。我が国が誇る屈強な兵士をお供に連れて行かせよう。あぁ、お礼なんて考えるんじゃないぞ。私は普段からボルケイノを贔屓にしているからな、これくらい当然だ。それでも何かお返しがしたいと言うのなら……そいつはお店のサービスで返してもらうことにしようか。どうする? お前が『今すぐ出発したい』と言うのなら今からでも出発出来るぞ?」
「俺は……」
俺はどうしたい?
ミルシア女王にそんなことを問い質された。
……何言っているんだ、って思わず殴りたくなったが、ギリギリのところで理性が勝った。
俺がどうしたいかなんてそんなことは決まっている。
メリューさんとティアさんを助けるんだ!
だから俺は――誰にも解るように、しっかりと、それでいて若干オーバーリアクション気味に頷いた。
◇◇◇
私は暗闇の中で目を覚ました。
そこが倉の中であるということに気づくまで、私はそう時間がかからなかった。なぜ解ったかといえばあたりに保存用の食材が無造作に置かれていたためだ。まったく、これだから食に無頓着な人間は困る。保存をなおざりにしているから食中毒や病気になりやすい病原菌が食材に住み着くのだろうが。せめてそういう基礎的なデータを理解してから保存等してほしいものだ。
「……どうやら目を覚ましたようだな」
扉が開け放たれ、外から誰かが入ってくる。逆光や中の仄暗さでどういう顔をしているのか解らなかったが、かろうじてそれが男であると声のトーンから認識できた。
「これがドラゴンメイド、か……。おうおう、ずいぶんと可愛らしい顔をしているじゃねえか」
そう言って男は私の髪を引っ張り強引に私のそばに顔を近づけた。
無精ひげを生やし、瞼は半分開いていないような感じ、口も臭いし服からも同じような臭いがする。できることなら鼻を抓んでさっさとここから逃げ出したいくらいだったが、両手がふさがれてしまっていてはそうすることもできない。
「私たちを、どうするつもりかしら?」
「お前たちドラゴンメイドをどうするか、ってきまっているじゃねえか。高く売りつけるんだよ。それを食材に使ってもいいし名前の通りメイドとして使ってもいい。最悪娯楽のために永遠に性欲を満たすための存在になるかもしれねえな! ヒャヒャヒャヒャ!」
最低最悪の考えだった。
まだこんな前時代な考え方を持つ人間がいるのかと思って失望したと同時に、これが希少種たるドラゴンメイドの宿命なのだと改めて認識せざるを得なかった。
「そう。私を売るのね」
「なんだ、お前を売ることは俺の自由だろうが。お前はもう、俺の所有物なんだよ!」
きっと、私がドラゴン狩りに行った時もこんな似たような感情だったのかもしれない。さすがに所有物までは言わなかったかもしれないけれど、これが自分のものであるという認識は強かったかもしれない。
斯くも人間は自分勝手に行動する。自分さえ良ければ相手のことなどどうでもいい。目の前に立っている人間はそれを代表する人間だった。人間の闇の部分をうまい感じに汲み取った人間だった。
「人間というのは、ほんとうに悲しい存在なのね」
私の中を怒りという感情が支配する。
私の中を悲しみという感情が支配する。
だから私は気づけなかった。
私という存在が、私という状態が、少しずつ変化しているということを。
「……な、なんだその姿は……」
私でも、その姿はどういう姿だったのか解らなかった。
だが、最後にその男の――その言葉だけは覚えていた。
「近づくな、ば、バケモノ……! なんだよ、ドラゴンメイドはこんなバケモノに変化するなんて、知らなかったぞ!!」
男の言葉を最後に――私の意識は途絶えた。
◇◇◇
メリューさんとティアさんは、そのあとすぐとある倉庫にて発見された。
大きなけがもなく心配して損をした――というのは少々言い過ぎかもしれない。
だが、俺が気になったのはメリューさんが見つかった、その場所。その様子だった。
「メリューさん、ほんとうに覚えていないんですか?」
俺は開店準備中で何かを煮込んでいる最中のメリューさんに問いかける。
「何が?」
「だから、言ったじゃないですか」
そう前置きして、俺は疑問を告げた。
「――どうして俺たちが到着したとき、あの部屋は真っ赤に染まっていたんですか」
それが俺とミルシア女王陛下の謎だった。
メリューさんは眠っていた。ティアさんは別の部屋にいた。
そして二人を捕まえたであろう賊は、その部屋で肉体が分散していた。もはや人間の死体ではなく、ミンチと化していた。記憶に残るとトラウマになる、ということでミルシア女王陛下が魔法を使ってそれを軽減してくれたものの、それでもたまに思い出す。こうやって自分で言ったときが一番思い出す。だが、疑問を解決するためには致し方ない。
メリューさんは鍋の中身をおたまで掻き回しながら、
「そんなことを言われてもなあ……。全然覚えていないのだよ。何があったか、というのは。だから忘れてしまった、というよりもほんとうに私が眠っているうちにあったのだろうな。名前も言わずに私たちを救った、いわばヒーローみたいな存在が居た……ということでいいではないか。結果として、私たちは助かった。これ以上、何を語ることがある。別に問題ないだろ?」
「ええ、私もその意見に同調します」
そう言ったのはティアさんだった。ティアさんはカウンターでずっと分厚い本を読んでいたが、視線を動かさないままメリューさんの言葉に続けて言った。
「確かにいくつか不明瞭な点はあったでしょう。けれど、それを穿り返して何の意味があるのでしょうか? 私はそれについて、何の意味もないと思いますが」
「おっ。珍しく推すね、ティア。いいぞ、言っちゃえ」
「メリューは黙っていてください」
ぴしゃり、と言われて黙るメリューさん。
「……まあ、そうかもしれないけれど。気になってしまうのが人間の性、ってものでさ。だから少し訊ねてみた、ってだけ。解ったよ、これ以上は詮索しない。それでいいでしょう? ミルシア女王陛下にもそう伝えておくよ」
「そうしていただくと、助かります」
ティアさんはぺこり、と頭を下げると再び本を読む作業に移った。
そうは言われたけれど、やはり気になってしまう。
血まみれの部屋。無事だったメリューさん。
ただ気になったのは――メリューさんの手枷足枷は既に外されていたにも関わらず、ティアさんのそれは外されていなかったということ。
仮にヒーローとやらが倒したとしても、ティアさんに気づかずメリューさんの手枷足枷だけを外すことは考えられるのだろうか?
いや、考えられない。そんなヒーローは見たことが無い。
だとすれば、いったい――。
だが、そこで考えがまとまるわけもない。俺はひとまずその考えを頭の片隅に置いて、開店準備の作業に移った。
――因みに俺がその意味を知ることになるのは、少しだけ後の話になる。