久しぶりだね。いやはや、まさかここまで期間が空くとは。さすがに心配したぞ。だって殆ど毎日、あるいは毎週のように来ていたのに予告無しに一か月居なくなるのだからな。心配した私の身にもなってくれよ。
……うん? そんなことはいいが、いつものマスターはどうしたか、って?
そうだねぇ、彼はちょいとお休みなんだよ。彼は彼が住んでいる世界の所属に照らし合わせれば、学生という身分になるからね、今は勉強が忙しいらしいよ? まぁ、彼にとってはそれが本職なのだから致し方ないことなのだけれど。元よりそんなに忙しくないからね、彼が休もうが二人で軽く回せるのさ。
それじゃ、どうして彼を雇っているのか――って?
――そいつは面白い話だ。
食前酒代わりに聞いてくれるかい?
その、今となっては笑い話になる、彼を雇ったときの昔話を。
ただ、残念なことに少しばかり長い話になる。それは少々勘弁してほしいものだね。
◇◇◇
「メリュー、残念なことと残念なこと、どちらからお聞きしたいですか?」
「残念なことしか無いんだったら、重要度の高いものからお聞かせ願いたいものだね」
「食料が尽きました。補充しなければ料理が作れません。それと、今日も客が来ません。ゼロです」
それくらい、どっちも知ってることだっての。だからそれをどうにかしないといけないものだったが、しかして案外そう簡単に物事は上手く進まないものである。
……とまあ、かつてのことをまるで今起きているかのようにナレーションしてみたわけだが、これが案外難しい。だからもう、時系列とか関係無く、ただただ適当に説明していったほうがいいだろうな。きっと今は覚えちゃいないことだってあるだろうし、逆に今だからこそ感じられることだってあるはずだ。私はそう思う。
まぁ、つまりは……今もあまり客は来ていないんだが、かつてはその『たまにやってくる客』ですら居なかった。何かの間違いでやってくる客が、殆どだった。料理は美味いと言ってくれるが、色んな難癖をつけてくる奴らが殆どだった。だから儲けは無し、むしろ赤字と言っても過言じゃなかった。そもそもこの店を譲り受けた時点で、赤字だったけれどな。膨らみすぎて、もうどうしようもないくらいに。
「……客が来ないのは仕方がないと割り切るしかない。しかし、もう片方の問題は本物の問題だな。かなり不味い状況だ。急いでこれを脱却しないと、いざ客が来た時に具材が無いからメニューが作れません、なんて洒落にならないぞ」
「とはいえお金が無ければ何も買えません。それもまた、事実でしょう?」
ティア――今私の目の前で淡々と事実を述べたメイド服の少女のことだ――の言い分は何も間違っちゃいなかった。正しいことしか、彼女は言わなかった。
詳細は言えないが、私はティアを信頼している。信用しているとも置き換えていいかもしれないね。とりあえず言えることといえばそれくらい。
まぁ、話は戻すけれど、だから私は彼女の言葉に耳を貸して、さらにその普通に聞けば素っ頓狂な言葉も信じて疑わなかったわけだ。別にそれくらい普通の考えだし、君にだってそこまで心を許した人間が居るのでは無いのかな?
「とにかく、お金が無いからには何も進められないわね……。はっきり言って、このままじゃ私たちの生活だって危うくなるでしょうし」
「……そうかもしれません。ですが、それはもう神の啓示に近いのかもしれません。あるいは、神の与えた試練そのもの……」
「出た出た、ティアの宗教おたく。言いたいことは解るけれど、私には何も通用しないわよ? だって私は神なんて居ない、って考えているからね」
「無神論者、ってことですか」
「そうとも言うわね」
私とティアの会話は続いていく。それは内容の殆どが他愛も無いものばかりだったわけだけれど、それでも楽しいか否かと言われれば、きっと楽しかったのだ……と思う。
カランコロン、と鈴の音が鳴ったのはその時だった。あまりにもその鈴が鳴る機会が少なすぎたからか、私は一瞬それが何であるか思い出せなかった。今思えば傑作だがね。
それは店の入口の扉に備え付けてあるもので、それが開けば自動的に鳴るものだった。
即ち、来客を知らせるベルだった。
来客は黒い服に身を包んだ少年だった。黒い服は、後に聞いたが学生が着る制服らしい。まったく、なんというか便利な国だよ。要は学校に行くための服を、学校が提供してくれているんだからな。
「いらっしゃい。今は席が空いているから好きなところに座ってもらって構わないよ」
「あぁ」
淡白な返事だった。
そして彼はたった一言だけ――言った。
「何か、食べ物をくれないか」
私はその一言を聞いただけで、何か嫌な予感を感じた。もしかして、何かあったんじゃないか? って思ったわけだよ。
だが、残念ながら彼に食べさせていいものが見つからなかった。……いや、それは間違いだな。正確に言えば、『その知識が無かった』といえばいいか。初めて見た国、世界、食べ物だったわけだよ。だからそれについて、私は何も出来なかった。
だからと言って、それでは許されない。飯を食いたいと言っているのに出すモノが無いなど言える訳が無かった。
「じゃあ、どうすればいいか?」
そんなの、答えはとっくに出ていた。
彼の目の前に皿を幾つか置いたのは、彼がそれを言ってから五分後のことだった。あんまり待たせすぎてもいけないからな、こういうことはスピードが肝心だ。……いや、もちろん味も大事なんだが、ここでは割愛させてもらう。話が長くなってしまうからな。こだわりなんてそんなものだ。語らせてしまえばそれこそ徹夜なんて簡単に迎えてしまう。まぁ、私はあんまりこだわりは言わないんだがな。そんなこと言ったってキリがないし。
「……あの、何ですか、これ」
早速少年からの質問があったので、私は言った。
「これはな、芋の煮込みだ。芋と肉、それに幾つかの根菜類を適当に入れて、マキヤソース仕立てに味付けすれば、あっという間に完成というわけだ。家庭料理としても、そこそこ有名だな」
「俺……何も注文していないんですけど」
「ここは私が食べたいものを読み取る。そして作るんだ。簡単に言えばお客さんは待っているだけで暖かいご飯が食べられる。これほどすばらしいものも無いだろう?」
「な、成る程……」
少年はちょっと押され気味だった。まぁ、しょうがないといえばしょうがないかもしれないな。実際問題、この店はどの世界で比べてもこの一軒しかない、非常に珍しい店だ。
だからこの店に対する疑問や「本当なの?」という考えは何ら間違っちゃいない。むしろ正しい考えだろう。
「いただきます」
手を合わせ、フォークを手に取る。……しかし、その表情はどこか怪訝だ。いったい何があったというのだろうか?
そういう疑問の視線を少しの間送っていたところ、彼は顔を上げて首を傾げながら、言った。
「あの……箸は無いでしょうか?」
「箸……とは?」
「二本の棒なんですが……。それを使って挟むんです。この国でこの料理を食べるときは、それが主流なもので……」
ふむ、箸か。聞いたことの無い代物だが、それと同時に興味が湧いた。今度試しに仕入れてみようかな。
箸は無いから、そのフォークで食べてくれないか? 私はそう言った。それを聞くと少しだけ俯いて「そうですか……」と言った。なんだか悲しんでいた様子だったが、箸はここに無いのだ。申し訳ないが我慢してもらうしか無い。
一口、また一口食べていくと徐々に少年の感情が柔和になっていく。
どうやら少年の舌にその料理は合ったらしい。良かった良かった、先ずは一安心といえるだろう。これで舌に合わなかったら今すぐ出て行かれる可能性だってあったわけだからな。
まぁ、及第点というやつだ。
「ごちそうさまでした。……ふう、何だか食べたら色んなものが抜けちゃいましたよ」
食べ終わった頃には、少年はすっかり笑顔を取り戻していた。はっきり言ってそれはとても嬉しいことだ。自分の作った料理で他人を喜ばせることが出来た、それだけで料理人の極みと言えることだろう。
はてさて、少年は食べ終わったので普通に少し休憩後に会計、そして出て行くというのがルーチンとして間違っていないことになる。
だがしかし、少年は会計後(余談だが彼が払ったお金は見たことが無い紙幣と小銭だった。……換金出来るだろうか? というか、してもらわないと困るのだが)、こんなことを言い出した。
――ここで働かせてくれませんか、と。
とまあ、あとはどうにかこうにか彼が仕事をするようになって、なぜか知らないがこの店も客がよく来るようになった。なぜかは知らないが、もしかしたら招き猫か何かだったのかもしれないな。まあ、それはただのジョークになるわけだけれど。
さて、物語はそれでおしまい。そろそろ食事を作ることにしようか。食前酒としては長くなってしまって、すっかりお腹も空いてしまっているだろう? 大変申し訳ないね。いまティアが出かけているものだから私しか店員が居ないんだよ。だからてんてこまいでね。申し訳ないが、いつもより少々時間がかかってしまう。だから、少しだけ待ってくれ。いいか、そのまま待つんだぞ。よろしくな。
◇◇◇
さて。
ここで語り手はいつもの俺にバトンタッチ。
昨日はお休みをもらったのでその分働かないとな。
……しかし、まったくよくない噂が流れている。まずはそれを訂正してもらわねばなるまい。
「メリューさん、ちょっといいですか」
「ん? どうしたんだい?」
「最近メリューさんまた誤った噂を流していると聞いて」
「誤った噂? 私が何か間違っていることを言ったかな」
「言いましたよ。俺のここに入ったエピソード。あれ、だいたいあってますけど、最後が違うじゃないですか」
「最後? ……ああ、君から就職したいって言ったハナシ?」
「それですよ!」
俺は思わずカウンターをバン! とたたいてしまったが、そのまま話を続ける。
「ほんとうは、メリューさんのほうから『働かないか?』といったくせに!」
そう。
実際客に美談めいて流れているエピソードは、俺が直接メリューさんにここで働きたいと懇願しているオチになっているが、それはまったくの誤りだ。デタラメと言ってもいい。
正解は、むしろ逆。
俺はそんなこと言っていない。むしろメリューさんが唐突にここで働かないかといっただけなのだ。
「それを今度は訂正してくださいよ! あと次から話すときはそこは修正してください! 絶対に!」
「ええ~、別にいいじゃない。そんな、減るモンでもないし」
「減るとか減らないとか、そういう問題じゃないんですよ! 間違った知識が広まっていること自体が問題なんですから!!」
メリューさんは踵を返して――ずっと背を向けて話をしていた――、俺に言った。
「なあ、ケイタ。――今、楽しいか?」
唐突な質問だった。
「楽しいか、って……ここで働いていて、ってことですか?」
「あたりまえだろ。それ以外、何がある」
「まあ、いろいろとあるじゃないですか。俺の人生とか。……まあ、そんなボケは置いといて。……まあ、普通に好きですよ、ここで働くことは。大変ですけれど、いろいろな出会いがあるし、知識も知ることが出来る。たぶん、ここで働く前じゃ絶対に手に入らなかった知識も、たくさんあるでしょうし」
「そうか。……そうだよな。それならいいんだ」
再び踵を返して、仕込みを再開するメリューさん。
結局、メリューさんは何が言いたかったのか、今の俺には解らなかった。ついでにさっきの噂話の結末についてもうやむやにされてしまったけれど、またいつか近いタイミングで言うことにしよう。
そういうことで、俺も踵を返して、まだ残っている作業を再開させるべく、カウンターへと向かうのだった。