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始まり

「お前を殺して、俺はもう一度産まれる!」


 ヴィジョンの腹から、色とりどりの低級悪霊が吐き出される。その津波のような大群の中を切り拓き、小路はかつての親友に向かって走っていた。


 だが、埒外が間に入れば、もう動けなかった。脇腹を刺され、蹴りで吹き飛ばされる。


「小路くん、小路くん!」


 埒外──蓮はそれを空座うつろざと呼んでいる──は、ゆっくりと倒れ伏す彼に近づいた。


「……殺して」


 その、あるのかどうかわからない心から絞り出したような一言。彼の頬を涙が伝い、一つの覚悟を齎した。


「……承知した、成仏させてやる」


 傷は既に癒えている。鈍い痛みだけが残る。それを抱えながら、彼は立ち上がる。


「蓮、お前もだ。その心の亡霊を、俺が祓う」

「面白いことを言うなあ、ええ? やってみろよ! 間小路ィ!」


 地面を蹴り、加速。自分自身が爆弾になったような気分で空座に向かった彼の斬撃は、容易く受け止められた。


 小路の加速は、この当時では、自身については『前進』にのみ適応できる。『後退』には使用できない。よって、攻撃を防御された時に退くのではなく、そのまま通り抜けることが、彼にとって最も最適な選択となる。


 背後に回った彼は体の向きを変え、胴体を空座に向ける。これで、相手へ動くことは『前進』となり、加速できる。


 反応できないはず──彼はそう思っていた。相手が死ぬことを望んでいるからには。しかし、空座は完璧なタイミングで振り向き、彼の得物を弾き飛ばした。


 手を叩き呼び戻す。悪霊の上を取りながら、短機関銃を数発。ブラックダイヤの装甲に傷はつけるが、それ以上のダメージはなかった。


 着地の瞬間に、剣が足元を刈ろうとしてくる。顔を上に向けて、僅かに上昇。回避した。ずっと空を飛んでもいいが、魔力も無限ではない。ピンと張り詰めた睨み合いをしながら、次の加速の時機を待っていた。


 疲れはある。しかし、肉体は軽かった。死を見たことで、今ならアレができる気がする──そんな心境の中で、賭けるか否かの判断を迫られていた。


 とにかくまずは力を抜き、いつでも仕掛けられるようにする。


「一緒になりたいよ」


 悪霊は呟く。


「どうして、どうして殺そうとするの?」


 最初は、彼も相手に知性や感情があるのだと思っていた。だが、この矛盾だ。この矛盾を前に、彼は断じた。最早、そこに存在するのは叶の残滓であり、適当な言葉を譫言のように発しているだけ。ならば、せめて縛り付けられたその魂を楽にしてやるべきなのだ。


 幾多もの血が沁み込んだ剣鉈に魔力を流し込む。その切っ先を想い人の心に向ける。


「終わらせよう、全て」


 ついに飛ぶ。今出せる全力で、鉈を鎧に叩きつける。そして、割れた。散った。青い空に、黒い破片が舞う。過ぎ去った彼は、銃口を彼女に向ける。


「稲番・二ノ番!」


 雷の矢が放たれ、悪霊の腹に穴を開ける。再生はされたが、再び地面を蹴った彼は、胸の装甲を叩き割った。


 彼には一つ策があった。そのために、まずは全身の鎧を剥ぐ。


天断雷槌てんだんらいつい炎混えんこん!」


 空に一塊の黒雲が現れ、稲妻を落とす。熱を伴ったそれは、兜を破壊した。だが、露になった桃色の肉から空座は鎧を生成する。


(物体を生成する魔導式……厄介だな。叶の魔力を考えれば、持久戦に持ち込んで不利になるのはこちら……やはり、か)


 彼はインカムに声を吹き込む。


「鏡磨、乙素、ビースリーだ。やるぞ」

「聞こえてんだよお!」


 ヴィジョンの腹から出てきた巨大な蛇が小路に向かう。無論、その程度何の障害にもならず、数発の銃弾で祓われた。


 その血が消える前に、呼ばれた二人がやってくる。


「一人で決着をつけたい、って言ってたのは誰だ?」


 蓮は空座の後ろから嘲るような声を出す。


「お前に聞かれている可能性を考慮して、嘘を吐いた。それだけのことだ」


 鏡磨はそっと小路に触れ、乙素は暗闇の結界を展開する。半径五メートル、蓮は結界の外だ。


「魔力供給、するね」


 小路の肉体に魔力が流し込まれる。


「……炎天不可逆」


 三人を中心に、灼熱の炎が広がる。通常の生物ならば命に係わるほどの魔力を一瞬にして放出し、粒子状となったそれらを炸裂、炎上させる。そうやって産まれる究極の焔が、空座を飲み込んだ。


「熱い、熱いよ!」


 融ける装甲。悪臭を漂わせながら焦げていく肉。鎧を生成しながら耐えようとする空座だが、苦痛からは逃れられなかった。膝をつき、叫び続ける。その声が、小路の心を抉っていく。


「乙素、結界は維持したままだ」

「了解」


 彼は銃の狙いを空座の頭に定める。


(どうにか、どうにか楽に殺してやりたかった!)


 出せるだけの魔力を込めて、発射。マッハ八に達した弾丸は頭蓋に風穴を開けるだけに留まらず、頭全体に巨大な空洞を作り出した。


 傷口から炎が侵入し、その体内が焼かれていく。全身の精神回路を破壊され、肉体を構成する魔力が行き渡らなくなれば、悪霊はその身体を維持できなくなる。それは、埒外とて同じことであった。


「小路、くん……」


 炎の中に倒れた彼女の、最後の一言。


「好き、だよ」


 ツーッ、と小路の頬を涙が流れた。炎を持続させることはこれ以上できず、自然と消火されてしまった。


「結界範囲を拡張。蓮を入れろ」


 震えたその指示に従い、結界が広がる。蓮が飲み込まれた。


「……やるじゃねえか」


 鏡磨は肩で息をして、乙素も結界に集中している。


「終わりにしよう、蓮」


 戦場に引きずり込まれた彼は、刀を抜き、ニヒルに笑う。


「あーばよっ」


 何を思ったのか、それを腹に突き刺した。そのまま横に引っ張り、割腹。彼は、前のめりに倒れた。


「……は?」


 状況を飲み込めない小路は、息を漏らすようにそう言った。


「何が、起こった?」


 目の前にあるのは、内臓を溢れさせて死んでいる親友だった肉の塊。疲れ切った体で歩み寄り、意味もなく首に指を当てて脈を測る。ない。死んだのだ。


「蓮?」


 視界が揺れる。心臓が早鐘を打つ。砂を掴む。


「お前は、何がしたかった?」


 か細い問いかけは、青空に消えた。





 一晩過ぎた。小路は食堂で苦いコーヒーを見つめていた。それに近づく、女の姿。


「やっ」


 鏡磨だった。


「止め、刺してくれたんだって?」

「……ああ」


 その返事はあまりに力がなく、彼女を呆れさせた。


「しゃきっとしなよ。これからあんたが隊長なんだから」


 隊長および副隊長、有望な後輩の殉職。彼にはもう、何の気力も残っていなかった。


「俺は……隊長に相応しいだろうか」

「これからSMTの再建をするんだから、一番手柄を挙げた人間がリーダーシップ取らなきゃダメでしょ」


 鏡磨は彼の向かいに座る。


「上は、国防軍に治安出動の延長を打診している。しばらくは軍の力を借りることになりそうだな」


 覇気のない声で、彼は呟くように言った。


「これで、全て終わりなのだろうか」

「どういうこと?」

「あいつが死んで、それで万事解決になるとは思えない。あれは、俺たちが、社会が作り出した病巣だ」

「……これ以上のことは起こらないよ、きっと」


 彼女が一滴も減っていないコーヒーを奪い、飲み干す。


「冷めてるじゃん」

「何故、自殺したのだろうな」

「自殺? あんたが殺したんじゃないの?」

「嘘だ。あいつは腹を掻っ捌いて死んだ。だが、一般向けに受けのいい事実が必要だった」


 ソーサーにカップが置かれる。


「……きっと、これは終わりではない」


 絞り出すように言葉を紡ぐ。


「始まりなんだ。俺が救えなかった全ての命に、罪を償うための戦いの始まりだ」

「戦うのは、あんた一人じゃないよ」


 鏡磨は、静かに手を重ねた。

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