「楓! 頭を撃て!」
呪影からの蹴りを受けた昴が叫んだ。
「無理ですよ、こんな動かれちゃ!」
既に悪霊は狙撃に対応し、飛んでくる弾丸を簡単に回避している。ダンスでもしているようなステップで、完全に相手を手玉に取っていた。
「ほらほら、もっとやれるだろう!?」
壁となった火球に拳を叩きこめば、その勢いで掻き消した。
(天秤華火の壁を破る……これが埒外! 評価基準の外にある存在!)
昴の突きを軸とした戦闘スタイルに対し、呪影は完全なステゴロで戦っている。一見すれば前者が有利であるようだが、狙撃による支援を加味してなお、状況は後者に傾いていた。
最早熱線も当たらない。牽制にもならない。弾幕を張っても、あっという間に距離を詰められる。右拳が腰だめに構えられたのを見て、彼は大きく後ろに飛び退いた。今の今まで顎があった場所を通り抜ける拳。
「逃げないでよ。殺せないじゃないか」
「……何人分だ」
「え?」
「何人分の魂が、お前一匹のために使われた」
呪影は腹を抱えて笑い出す。
「知らないよ、そんなの。下らないこと気にするなあ、全く」
その両手には泣き声を出す炎。
「燃え尽きな」
炎の龍が放たれる。天秤華火の内五個がそれを受け止めるが、十秒ほどの拮抗の後、打ち破られた。
「チッ」
しかし、既の所でもう五個を防御に回した昴は、服の裾が焼かれた程度で済んだ。
「判断が早いね。流石隊長ってところか」
「だからお前が殺しに来たのだろう?」
「わかってるじゃん。なら、とっとと死んでよ」
彼は全くの無視をして切っ先を呪影に向けた。
(これ以上出し惜しみもできんな。使うしかないか)
腰を落として、連絡。
「アレをやる。援護は終わりでいい」
「……了解」
彼は短刀を天に向けた。
「虚獄・
空の青さが濃さを増す。二人を覆うように赤い炎のドームが現れる。彼の背後には、黄金で出来た巨大な天秤。呪影の周りには、彼と同じ火の玉が十個浮いていた。
「遂に出した──」
嗤おうとした呪影の腹を、背後からの熱線が穿つ。
焔秤。昴自身にしか与えられない火の玉を、結界内の生物に対し自在に付与できるようにする虚獄だ。あらゆる物理法則を無視して追随するそれらの攻撃を避けることは、できない。
逃げ回る呪影は、ほぼ密着状態で爆ぜた火の玉によって両脚を持っていかれる。すぐさま再生して走り出すも、執拗な爆撃からは逃れられなかった。
「こんなの使えるなら最初からやりなよ」
四肢を吹き飛ばされ、蚯蚓のように転がった悪霊の一声に、昴は嫌悪感を露わにした。
「賭けに出たくなかったんだ。貴様が虚獄を使い、俺の結界を塗り潰すかもしれない、という賭けにな」
「そして、あんたは勝った」
「そうだな。さらばだ」
十個の火球から、首に向けて一斉に熱線が飛ぶ。炸裂して、刎ねた。
虚獄を解いた昴の膝が、床につく。
「隊長、大丈夫ですか?」
「少し休む。小路たちの援護に回ってくれ」
「りょうか──」
通信はそこで途切れる。
「楓? どうした、応答しろ!」
数百メートル離れたビルの一室で、楓は二級の群れに揉まれていた。
(魔力反応がなかった。気配を消していたの⁉)
指を鳴らして武器を呼ぼうとした腕は食い千切られる。奥にいた、紫色の肌をした人型悪霊の股にあるものを見て、冷や汗をかく。
「やめない? アハハ……」
ヴィジョンを動かして一発食らわせるが、間に合わなかった。
五分後、尊厳を破壊された彼女は、喉を食い破られて死んだ。内石楓、享年二十。
一方の、昴。魔力を使い果たした彼の前に、知った顔が現れる。
「蓮……!」
刀を腰に差し、かつての上司を見下ろしていた彼は、その恩人の頭を踏んだ。
「何故だ、何故俺に一言でも相談してくれなかった!」
「……昔から、俺は自分も他人も嫌いだった。魔術科にいる間は小路みたいな親友にも会えて楽しかった。だが、俺には一人の親友よりも百人の否定の方が辛かった。それだけだ」
重い体を持ち上げようとしている頭を、一層強く躙る。
「あんた、埒外は何体いると思う?」
「一体、じゃないのか!」
「残念。二体だ」
昴は彼の隣にヴィジョンが出ているのを認める。その腹から、ブラックダイヤモンドのような透明感のある黒い装甲で構成された悪霊が現れる。その隙間からはピンク色の肉が窺える。身長百九十センチほどの、人型だった。
「小路、くん……」
くぐもった声を聴いて、昴は全てを理解した。
「椿叶から、悪霊を作ったのか……!」
その左目は人間らしさを保っているが、右目は宝石を埋め込んだように赤い。
「そうだよ、あの莫大な魔力を持った悪霊だ!」
叶だったものは、胸にある装甲の隙間から一振りの剣を生み出す。
(物体生成⁉ そうか、魔術消費の大きい魔導式と、叶の魔力とを併せ持たせることで……!)
最初の振り下ろしを、昴は躱せた。だが、次は間に合わなかった。刃が深々と左肩から右わき腹までを切断する。一瞬、彼は魂の鼓動を感じた。しかし、それだけだった。再生を齎す魔力もなく、意識を失った。赤城昴、享年三十五歳。
殺した側も、思うところがなかったわけではない。然るに、世界を否定するにはまず自分自身の過去を否定しなければならないと思っていいた。だから、殺した。
スカっとしない気分に襲われながら、昴の無線機を奪う。
「よう、小路」
魔力を流し込んでハック、小路に繋げた。その彼は、芯持学院に向かう道中にあった。
「蓮! なぜこの回線に──」
「殺したんだよ」
「……誰をだ」
小路の足が止まる。
「楓も、昴も、晴香も。鏡磨と乙素はまだ死んでねえみたいだが」
「どこにいる」
「学校だよ。グラウンドで待ってるぜ」
蓮は屋上から飛び降り、校庭に着地。
「俺が進むにはお前を殺さなきゃならない。来いよ。幾らでもやってやる」
◆
「鏡磨、乙素、聞こえるか」
空を飛びながら小路は連絡を始める。
「ハロハロ。で、何?」
「んだよ」
「蓮の居場所が分かった。芯持学院の校庭で俺を待っている」
「……一人で大丈夫?」
「これは俺の意地かもしれんが……あいつとは、一人で決着をつけたい」
沈黙。
「あんただけで抱えるつもり?」
「かもな。だが、任せてくれ」
「……無理はしないで。必要になったらいつでも呼んで」
「んじゃ、俺たちは雑魚狩りか?」
「そうだな。頼む」
校舎が見えてくる。
「エンゲージする。乙素、鏡磨、ビースリーだ」
少し連絡をした後、到着。待ち構えていた蓮は、右手に仮面を持っていた。隣に立つ悪霊から感じる負のオーラに、小路は唾を飲む。
「まずはこいつと戦ってもらう」
「小路、くん……?」
その声が耳に入った瞬間、小路は全てを理解した。いや、理解してしまった。
「叶……?」
「小路くんだ、小路くん、小路くん!」
悪霊が動き出す。長い腕で彼を掴み、投げ飛ばす。フェンスを突き破り、擁壁に突っ込んだ。
「小路くん、遊ぼう、遊ぼう! 一緒になろう!」
その狂気的な声に耳朶を打たれながら、彼は呟いていた。
「お前は、お前という人間は……」
くねくねと体を躍らせ、叶だったものは剣で地面を斬りつける。
「お前は、俺に叶を殺せと言うのか。何故、何故そこまで堕ちた!」
叫んでも、蓮は暗い笑みを浮かべているだけだ。
「お前は、お前は何がしたい! 全てを壊し、世界を否定して、それで何がしたいんだ!」
「さあなあ! この世界の人間皆殺しにしたら改めて考えるさ!」
「お前はあ!」
鉈を握り締め、走り出す。だが、どこか叶の面影を残す顔を見れば、止まってしまう。そして殴られる。サッカーゴールに入った。
「親友だと思っていた!」
「俺もだよ! でもなあ、だからこそ殺すのさ! お前を殺して、俺はもう一度産まれる!」
戦いは、最終局面へ。