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過去と今とが交わらば

 手稀郭は二十歳。十八歳で空間歪曲探知結界の理論に関する論文で博士号を取得し、同年、故郷である抹香町で研究も兼ねてSMTに加入した。現在は抹香町に展開されたあらゆる結界を管理すると共に、未登録の結界反応を探索する役割を担っている。そうした実行部隊を支援するチームは『オウル部隊』と呼ばれ、彼女はそのリーダーでもある。


 そんな彼女の職場は地下五階。基地の最下層だ。無数のディスプレイの放つ光に包まれながら、ノートPCのキーボードを叩いていた。


(魂が重なり合って存在できるとして、それが可能となる理由は何か)


 十四世紀のヨーロッパで行われた実験によれば、一つの器に二つの魂が入ろうとすれば互いに排斥し合い、結果肉体の崩壊を招くとされている。現代においてそのような実験は倫理的な問題から行われないが、正しいならば今の永良はイレギュラーだ。


(魂が融合したのなら……何かしらのリスクがあってもおかしくない。人格や意識が乗っ取られる可能性も……いや、既に乗っ取られている? 彼を昔から知る人間に話を聞かせてもらうしか……)


 手製のレモネードを飲みながら考えていると、扉が開いた。


「姉さん、いつになく真剣な顔だね」


 そう声を掛けたのは浅黒い肌をした若い女。少女と大人の中間くらいだった。


「ああ、この美女が心を悩ませているのを敏感に感じ取るなんて、ミカさんは何と素晴らしいのでしょう。そうです、わたくしは今、重要な役割を──」

「手伝えることある?」

「小鳥遊永良さん、ご存知ですね? 彼を昔から知る人物に話を聞いて、人格面での大きな変化がないか調べてほしいのです。期限は……そうですね、明日までに結果を出してください」

「もう昼の一時だよ」


 ミカ。御節おせちミカはタンクトップにショートパンツと活動的な服装をしていた。


「ま、いいか。OK、任されたよ」

「仕事を完了した暁には、間さんから若草を貰えるということです。一緒に食べましょうね」

「はいはい、楽しみにしとく」


 彼女は欠伸をしながら答えた。


「それで? どういう風に聞けばいい?」

「任せます。できることならわたくしが出向きたいのですが、わたくしには崇高なる使命が──」

「じゃ、行ってきまーす」


 乱暴に引き戸を閉じられ、郭は子供のように泣きそうな顔をする。だが、監視結界に発生したアラートが、彼女を仕事に引き戻した。





「虹川兄妹と思わしき人物がバスジャックを実行した。可及的速やかに鎮圧しろ」


 小路の指示を、永良と勇人は車中で聞いた。


「先行した危険領域レッド・ゾーンで結界を張ります。ここで片付けましょう」


 京助の落ち着いた声を聞く。


「ラビットスリー、結界の範囲は?」


 勇人が問う。


「半径十二メートルです」

「その判断の根拠は?」

「……勘です」

「気に入った」


 車は進む。


「バスの乗客は大丈夫なんすか?」

「わからない」


 京助が答える。


「カーテンが閉められている上、魔力探知をしようにもヴィジョンのせいで掻き消されている。確認してくれ」

「あいよ」


 そう応じた永良の声には、怒りと重みがあった。


「ラビットフォー、供華の無力化を主眼に置いてくれ。殺すんじゃない」

「……なんでですか」

「慈我に近づきたい。情報を引き出すんだ」


 結界に突入した二人は、バスから降りた虹川兄妹を見た。妹は血に塗れていた。


「……殺したのか」


 永良は低い声で尋ねる。


「いや? 死んだだけだ」


 震える手で彼は刀を抜き、こう言う。


「やっぱり、お前は生きてちゃだめだ」


 正眼に構え、肺を空にするほど息を吐く。


「ラビットフォー、冷静になるんだ。感情のままに戦ってはいけないよ」


 そう助言する勇人の傍には赤獅子。荒々しく生臭い吐息が出る。


「僕に合わせるんだ、いいね!」


 獅子が熱線を放つ。結界に当たって炸裂した。その閃光に紛れて、永良は供華に斬りかかる。二度、三度、五度と打ち合いながら、咲の方にも視線を向ける。いない。既に離脱されていた。


 転移不能の結界を張れないか、と京助に尋ねたことがある。その問いに対して彼は、


「そういう細かいルールを取っ払うことで、ヴィジョンを起点にできるようにしているんだ」


 と言っていた。思考もそこそこに、永良は一旦距離を置いた。そして、


炎番ほむらつがえ!」


 と炎の矢を放った。供華の右肩に僅かだが火傷ができる。


「舐めてんのか⁉ 一般魔術マジ・コミューンで俺を殺せるわきゃねえだろ!」


 叫んではいるものの、その傷に治る気色はなかった。魔術の炎は、精神を焼く。


 再び斬り結んだ。押し合い、両者一歩も譲らない。


「なんで、なんで殺した!」

「言ったろ、殺してねえよ。結果的に死んだだけだ」

「変わらない!」


 中国風の剣を受け流し、永良はその脇腹に蹴りを入れる。姿勢が崩れたところに止めを刺そうとしたが、供華は素早く転がって躱した。


「咲のヴィジョンの説明はしたよな? ヴィジョンに目覚めるか、さもなくば頭が吹き飛んで死ぬか。全員後者だっただけだ。別に殺したくてやったわけじゃない」

「そうやって命を簡単に奪う奴は、生きてちゃいけないんだ!」

「へえ、なら俺の命を踏み躙ろうとしているお前はどうなんだ?」

「黙れ!」


 殺していい人間と、殺してはならない人間。その線引きを行うことがどれほどエゴイスティックなことか、という自覚は彼にもあった。だが、目の前にいるこの男だけは、兎に角殺さねばならなかった。そうでなければ、『頼む』という言葉に背くように思えたからだ。


 誰かのために命を使う。それが絶対的な使命であるならば、自分のために命を奪う者は、絶対的な敵だった。決して許してはならない、悪。


 そんなことを考えていると、左眉の辺りを刃が通り過ぎた。


「どうした、鈍ってるぞ!」

「……黙れ」


 真向斬りで勝負を付けようとした彼の刀は軽くいなされる。隙を晒したその襟元が掴まれ、小さめの体が宙を舞う。そこに、剣が投げられた。弾き落とした彼は、縦の回し蹴りを喰らって地面に叩きつけられた。


「ラビットフォー!」


 勇人に呼ばれて、彼は敢えて立ち上がらなかった。レーザーが飛び、供華の剣を砕く。そこから剣が再生成されるまでの間に、彼は先輩の近くに走り寄った。


「君は撤退するんだ」

「嫌っす。こいつから逃げたら、俺は一番大事なものから逃げることになる」

「意思が強いのはいいことだ。でもね、勝てない戦はするべきじゃない」

「勝ちます」


 永良の視線は真っ直ぐに供華に向いている。


「勝つまでやります。それに、俺にはあいつの毒が効かないんです。なら、俺が前衛を務めるべきっす」

「……ただの強がりじゃないんだね。わかった、前は任せる。僕は熱線で援護するよ」

「あざっす」


 勇人の横の獅子が、連続してレーザーを放つ。バスの後ろに飛び込んだ敵を追って、その乗り物を吹き飛ばす。遺体を返せない苦しみに胸を締め付けられながら、彼は攻撃を続けた。バスの赫天石──魔力を蓄積したパーツに直撃し、大爆発。


 真っ二つに折れたバスの中央を突っ切って、供華は勇人に迫るも、その間に永良が入った。


(魔力チャージ解放、魂を斬る!)


 彼の刀身が赤く輝く。逆袈裟に振り抜いたその一撃は、相手の脇腹から胸にかけて浅い創傷を残した。


「やるじゃねえか」


 供華は再生ではなく、一般的な医療魔術で傷を埋める。


「だが、連発はできねえんだろ?」


 図星を突かれても永良は動揺を見せない。


「そうだよなあ、お前みたいな一般魔術マジ・コミューンに頼らなきゃならねえようなやつが、魂に響く攻撃を連発できるはずがねえ。大方、刀に赫天石を仕込んで、少しずつチャージしたものを吐き出してるってところか。リチャージには五分、いや、三分か」


 全て見抜かれて猶、彼の瞳は動かない。肝の据わった一人の戦士として、親友に願いを託された一人の男として、やるべきことを淡々とやろうとしていた。


 じりり、摺り足気味に距離を詰める。


「見せてやるよ、上級魔術マジ・スペリアーを」


 供華は上を指差す。


燃え猛る彗星コメット・アルダント


 バランスボールほどの大きさをした火球が、その指の先に現れる。


「消し飛びな!」


 火球は彗星となり、永良に襲い掛かる。速い。回避も防御も間に合わない。終わりか──と思った彼の前に、石の巨人が立った。


金岩きんがんだよ」


 困惑する彼に、勇人がそっと声をかける。


「防御とパワーに優れた精霊だ」

「精霊使えるんすか」

「僕のヴィジョンは、天ケ瀬家が契約してきた精霊に変化する。色々と便利だよ」


 煙が晴れて巨人を認めた供華は、唾を吐いた。


幽契ゆうけいか……忘れてたぜ。だが、そのガキは殺させてもらう」

「さて、どうかな」


 赤獅子に変わったヴィジョンと並んで、永良は汗を拭う。まだ、これからだ。

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