夏祭りは中止、という夕方のニュースを永良は見た。
「残念だねえ」
リョウは大山鶏のみぞれ煮を食べながら言った。
「あんだけでかいテロがあったんだ、仕方ないよ」
他人事のような口振りだが、永良は小路の疲れた表情を思い出していた。二十人の子供が死んでいる現場を目の当たりにした時の心情は、どうやっても想像できない。だが、同じ思いをさせないように努力することはできる──と信じたかった。
「白鳥ちゃん、だったか。上手くやれてるか?」
「え? まあ……それなりに」
先日感じた手の柔らかさが未だに忘れられない彼は、適当な受け流しをした。
「喧嘩っ早いところはマイナスだけど、嫌われる性格はしてないからね。ガンガン行ってみなよ」
「そういうんじゃないって」
とは言いつつも、期待を抱いてはいた。願わくば、あの美貌を自分のものにしたい。
「君が幸せを見つけられたなら、それでいいんだ。球磨に対して僕ができる義理立てだからね、これが」
穏やかな表情を浮かべるリョウ。それを見た永良は、自分が死の蔓延る世界にいるということを素直に表現できなかった。それでも、生きて帰ることを約束するように笑いを返した。
「でも、怪我はしないでくれ。君を喪ってしまえば……首を縊っても足りないよ」
「そんなこと言わないでよ。俺、結構強いからさ、安心してよ」
強い、という言葉を使っていても、不安は拭い切れない。供華は殺せない。御出間も殺せない。埒外など以ての外。だが、生きることは誓わねばならない。
「さて、僕はレベリングに戻ろうかな。ごちそうさま」
麦飯を片手に、永良はぼんやりとテレビを眺めていた。非番であっても、任務のことは頭から離れない。また悪霊に殺された人がいるのではないか、と恐れが止まらないのだ。当たり前の日常を過ごしている間に、誰かのその当たり前が奪われる。全ては救えない。それはわかっていても、どうしようもなかった。
休日を返上して自主的にパトロールでもしようか、と考えてみる。だが、小路はこう言うだろう。休養も任務の内だ、と。
人が殺されればニュースになる。少なくとも、今日は無駄に命を散らした人はいないようだった。しかし、自殺のニュース。ホームに飛びこんだそうだ。どうして捨てたのか、と悲しくなる。
暗い気持ちを抱えながら風呂自動を押し、皿を洗う。そして、夜が明けた。
◆
永良と京助は、とある裏路地に派遣されていた。
「ここか?」
何の変哲もない、薄暗い小道だ。張り出した室外機が温風を吐き出している。強いて特徴を挙げるのならば、猫が何匹も屯しているところか。
「ここに入った人間が帰ってこない……十五人だ。何かしらの結界の反応も、微弱だが検出されている。だから、これを持っておけ」
京助はポケットから一枚の硬貨のようなものを取り出す。
「なんだよこれ」
「一度だけあらゆる結界から脱出できる魔導具だ」
「そんなもんあるならいつもくれりゃいいのに」
「貴重なんだ。製造にも使用にも結構な魔力が必要になる。今回はこれが必要になるほどではないかもしれないが……備えあれば患いなし、と言うからな」
京助は攻撃ヘリコプター型の
「じゃ、いつも通りラビットスリーは索敵と援護か?」
「いや、内部と連絡が取れない可能性がある。俺も同行する」
「あいよ。足引っ張るんじゃねーぞ」
「こっちのセリフだ」
ニャーン、と三毛猫が鳴いた。
「お~かわいいねぇ~」
呑気なことを言いながら永良はずんずんと進んでいく。彼の視界に映る猫は、軽く両手の指の数を越しているだろうというもの。
「猫、好きなのか?」
京助がそんな彼を見て問うた。
「猫、ってか動物が好きなんだよ。いやまあ、いきなりヒグマが現れたりしたらチビっちまうけどさ──」
「止まれ!」
京助が声を荒げる。
「んだよ」
「結界だ」
ゆっくり前を向いた永良は、行き止まりを見た。
「どこだよ」
「見ろ、猫が入っている」
足元を通った黒猫が壁に吸い込まれる。
「壁に偽装した結界だ。そうまでして入られたくない事情があるようだな」
「魔力探知できるか?」
「いや、完全に隠蔽されている。中に悪霊がいるのかもわからない……」
「ま、一回なら出られるんだろ? 行ってみようぜ」
危機感の欠片もない返答に、京助は深く溜息を吐く。お化け屋敷じゃないんだぞ、と言いかけてやめた。
「……そうだな。中に人が閉じ込められているかもしれないからな。行こう、前衛を頼む。それと、武器は出しておけ。召喚ができないかもしれない」
ぬるっ、という感触と共に二人は結界に足を踏み入れる。
「ここは……ドイツか?」
石畳の広場の周りに、ハーフ・ティンバー様式と呼ばれる木と漆喰の建物が並んでいる。
「ドイツってこんなんなんだな」
「俺も実物を見たわけではないが、こんな街並みの写真を見たことがある」
広場の中央には巨大な猫の石像が曇り空に向かって伸びており、その周囲には猫が集まっている。
「魔力探知はどうだ?」
「まるで駄目だな。この空間自体が魔力で満たされているせいで、何も検知できない。悪霊に襲われれば──」
獣的直観に頼って振り向いた永良は、京助を掴んで背後に向かって投げ飛ばした。
「いきなりなんだ!」
「悪霊だ!」
そう、京助の後ろから六対の目を持つ巨大な黒猫が襲い掛かっていたのだ。尾は三本。一つは縄のように捻じれており、一つは先端が剣のように鋭い。残る一つは、花のようなものを先につけていた。
「……あれだ」
彼は呟く。
「あの花から魔力が出ている。潰せば魔力探知ができるかもしれない」
「オッケー。火力支援、頼むぜ」
刀を抜いた永良は、黒猫の下に飛び込み、一太刀。緑の液体が噴き出した。
(花のついた尻尾を斬ればいいんだな?)
スライディングで通り抜けた直後、姿勢を戻して跳躍する。体高は三メートルほどだ。魔力で強化した肉体はそれを軽々飛び越し、左手の人差し指を三本目の尾に向ける。
「
ダーツのような細く短い炎の矢が数本飛ぶ。当然、尻尾を斬り落としたり焼き尽くすようなことはできない。剣に止められ、僅かな焦げを残す。だが、目的はそこでなかった。
注意を完全に永良に向けた悪霊は、突如、右前足を喪う。攻撃ヘリの放ったミサイルが炸裂したのだ。バランスを崩しながらも黒猫は口を開き、京助を食らおうとする。が、彼は飛び退いた。
「ナイス──」
そう言いながら、永良は弾き飛ばされた。剣を刀で受け止めたはいいものの、その勢いまでは殺し切れず、建物にぶつかる。何もない、床と階段だけの家の中から、悪霊を見下ろす。等級がどれほどかと考えても、答えは出ない。
「ラビットフォー! 生きてるな!」
「おうよ。こんくらい屁でもねえ」
身体強化も板についてきた。漆喰を突き破った程度では多少痛むくらいだ。
「恐らく一級相当だ! 俺たちだけで祓えるかわからないぞ!」
「やるしかねえだろ、こいつがいる限り消えた人も探せねえ」
永良は壁の穴から飛び出す。その周りには、飛び散った破片が紲のヴィジョンで縫い付けられたように空中で固定されている。
「
今度は雷の矢だ。音速に近い速度で飛翔したそれは猫の首を貫いた。着地した彼に、悪霊は口を開いてビームを放つ。地面を走り回っているのを追っている間に、ヘリがその上を取っていた。
「消し飛べ!」
ミサイルとガトリング砲のラッシュ。悪霊の肉を削り、骨を割り、血を散らす──かと思われたそれらは、地面に穴を作っただけだった。黒猫は一瞬の内に京助の背後にある建物の上に移動している。そして、永良を縄のような尾で持ち上げていた。
「人質……やはり一級か」
人を三桁殺せる魔力か、十人以上を殺せる魔力と高い知能を持ち合わせた悪霊が分類されるのが、一級だ。
「やめておきなよ」
猫の隣に、猫耳の青年が立っていた。