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 日を改めて、学生四人組は夜の焼肉店を訪れていた。


「てなわけで、宝彩の初陣を祝って、乾杯!」


 永良の温度に合わせて、グラスが掲げられる。以外にも、京助もその輪に加わっていた。


「私としては不本意なのだけれど」


 そう言う紲に対して、永良はニッと笑った顔を向ける。


「生き残ったんだ、喜ばなきゃ損だぜ」


 救えなかった命が幾つもある。それらを忘れるわけではないが、一先ず生還を祝う。その意味を、彼女は理解した。


「ネギ塩牛タンに、豚カルビ。後はハラミを」


 淡々と京助が注文していく。


「いきなりそんな頼むのかよ。ちったあ相談しろよ。言うだろ、ホウレンソウが大事だって」

「俺の分だが」


 真顔で答えることに、永良はもうどうでもよくなった。


「はいはい、好きに食えよ」


 店員の意識は他の三人に移る。それぞれが一通り食べたいものを告げると、歓談の時間になった。


「小鳥遊くん的にはさ、杉林くんって頼りになる?」


 隣の風花が出し抜けに問うので、彼は口の中に蜂が入ったような顔で命を預け合う仲間を見た後、彼女と目を合わせた。


「まあ、頼りにはしてる。俺は結界張れないし、遠距離攻撃もほとんどできない。火力だって杉林が上だ。だから、いざって時にはいてくれないと困る。でも……」

「でも?」

「もうちょっと愛想があってもいいんじゃねえか、なあ」


 京助は意に介さず、というふうに水を飲んでいた。


「愛嬌を振りまいても悪霊は消えてくれないぞ」

「こういう時くらい仕事は忘れろっての」

「……どういう話をするものなんだ?」


 クスリ、風花が笑う。


「ねえ小鳥遊、課題って出すの?」

「にくちゃんはやらせるつもりだよ。こっちだって忙しいってのに」

「あなた、まだ終わってないの?」

「え」

「あんなの、三日あれば終わるじゃない」

「俺は優等生じゃねーの。ひーこら言ってんだから」


 そこで彼はコーラを一口。


「ま、でも、やばくなったら白鳥に手伝ってもらうから大丈夫だって。な!」

「いいよ、手伝う手伝う」

「甘くしちゃ駄目よ。小鳥遊ったらすぐ調子乗るんだから」


 届いた肉を慣れた手つきで焼く永良を、風花はじっと見ていた。彼は、自分のために命を賭けている、というよりも亡き友人との約束のために命を投げ出しているのだ、ということを改めて自覚する。どれほどの決意がそこにあって、どれほどの覚悟が彼を動かしているのか、彼女には推し量りようもない。


 申し訳なさは、ある。彼を戦場に縛り付けているのは自分なのだという自己認識だ。そこから目を逸らしてしまえば、己が己でなくなるような罪悪感。感謝もしている。だが、怖いのだ。死の間際まで追い詰められた彼が、命と引き換えに自分を捨てるのではないか、と。


 そんなことはあり得ない、というのは傲慢が過ぎる。だが疑うことは無礼が過ぎる。その中間にあって、彼女はただ願うことしかできなかった。


「白鳥?」

「何でもないよ、それちょうだい」


 今一度、自分の心理を整理してみる。誰にでも笑顔な彼の特別になりたい。そんな気持ちが、静かに蕾を出していた。


「杉林くん、水だけでいいの?」


 紲が問う。


「水が好きなんだ。だからこれでいい。それに、コーラに含まれる糖分はかなり多い。白米も食べることを考えると──」

「その辺にしとけって。そういうの、わかった上で飲んでんだから」

「そうなのか」


 不服らしい様子も見せず、京助は引き下がる。その小さな日常が愛おしくて、風花は笑みを浮かべた。


「杉林くん、いい?」


 と口を開いたのは紲。


「なんだ」

「中学どこだったの?」

「芯持学院中等部魔術学科。実戦を志向した訓練を受けていた。一般的な教養も受けていたが、高等部進学後に実戦に加わることを考えて、高校の指導要領も終えた」

「中学にも魔術科があるの?」

「ああ。だが、一般には明らかにはされてない。魔術の才能がある孤児を集めているだけだ」


 個室を予約してよかったな、と永良は思う。


「じゃあよ、ヴィジョンが使えるからって中学生が引き抜かれることはないってことか?」

「そうだ。基本的には高校生からになるな。孤児を集めるというのも、魔術を用いた犯罪を犯さないための予防措置に近い。国防軍と同じように、訓練中に給金を出しているんだ」


 三人はただただ頷く。


「同級生いたのか?」

「一人だった」

「寂しかったろ」

「いや。強いて困ったことを挙げるなら、他者との連携を学ぶ機会が少なかったことだな。いつも隊長や天ケ瀬さんと一緒だったが、強すぎて俺の出る幕がない」


 永良も何となく想像がつく。埒外と戦える人間なのだ、基本的に誰かの助けなど必要ないに決まっている。


「じゃ、俺と会えてラッキーだったな。いい感じに連携できるしよ」

「そうだな。お前のことはある程度信頼している。俺は身体強化があまり得意でないからな、前衛をしてくれる人間が必要なんだ」

「お前、素直になれるんだな」

「どういう意味だ」


 そうやって、九十分の食べ放題は終わりを迎えた。空はまだ明るさを保っている。西の彼方から赤い光が伸びていた。


「じゃ、俺、白鳥送って帰るよ」


 永良が進んで引き受けた。


「一人で大丈夫か?」

「宝彩を一人で帰すわけもいかねえだろ。ま、どーんと任せろって」


 彼は胸を叩いてみせる。


「……そうか。無理はするなよ」


 些かの不安はあれど、京助としてもその理屈には一応の納得ができる。したがって、永良を追及しようということもなかった。


 黄昏時の中を、永良と風花は並んで歩く。何故だか双方気まずかった。自分から送ると言い出した彼でさえ、恥じらいがあった。


「小鳥遊くんにヴィジョンを渡した友達って、どんな人?」

「みんなに好かれるいい奴だったよ。あちこち駆け回って人助けをするのが趣味だった……いや、使命だったのかもしれねえ。でも、あいつはそんなこと考えてなかったんだろうな。ただ、人を助けたいって純粋な気持ちがあったんだと思う。だけど……三年前に死んだ」

「聞いていい?」

「……中学に入る直前、行方不明になってさ。戻ってきた頃にはかなり弱ってて……そのまま逝っちまった。最期にお願いされたのが、無敵の正義インヴィンシブル・ジャスティスを頼む、ってこと。だから俺はこの力を誰かのために使わないといけない」


 少し重くなった空気を崩したくて、風花は小指を掴んだ。


「どんなに怪我しても、私が治すから。小鳥遊くんが守ってくれたように、私も小鳥遊くんを守るから。みんなも、私が治す。だからお願い。死なないで」


 黒曜石のような美しい瞳が、彼の顔を射抜く。心臓の近くで、何かが音を立てた。


「どうしたの?」

「何だろうな……なんか、最近、たまになんだけど心臓のあたりで何かがあるような感覚がするんだよな」

「病気かな」

「でも病院じゃ何も言われなかったんだよ。隊長に相談した方がいいのかな」


 細い指が絡みつくのを感じて、彼は握り返した。そこから無言。脚も止まり、その柔らかさを感じていた。


「……ごめん」


 とだけ言って彼女は手を離す。


「迷惑、だったかな」

「……別に」


 緊張と羞恥で素っ気ない返答をしてしまった。


「行こうぜ。夜になっちまう」





「魂、だな」


 赤い絨毯の隊長室で永良は小路にそう告げられた。


「大量の魔力に晒され、死の淵に追い込まれた人間は魂を認識できるようになる。一説にはあの世と部分的に繋がるから、とされているが、詳しいことは俺にもわからん」

「隊長も死にかけたんすか?」

「ああ。四条事件の時に殺されるところだった。鏡磨もそうだな」

「鏡磨って……」

「班目鏡磨。フォックス小隊の隊長だ」


 黒い革椅子、硝子のテーブル。その上にはコーヒーが置かれている。


「だが、お前の場合は完全に覚醒しているわけではなさそうだ。感情の起伏が激しいタイミングで一時的に感じる、程度だろう?」


 こくり、彼は頷く。


「まあ、その程度がちょうどいいのかもしれんな。他者の魂を認識できるわけでもない」

「なんでわかるんすか」

「魂を認識できる人間のそれは、他の者よりも強い。俺が視認する限りでは、お前の魂は平凡だ」

「平凡、って……」

「死にかければまた強くなるかもしれんが、そんなことはない方がいい。わざと死を選ぶようなことはするなよ」


 ウッス、と軽く返事をした彼はコーヒーを啜る。余りに苦い。


「さて、訓練に戻るとするか。手加減はしないぞ」

「俺だって負けませんよ」


 今日も、彼は上司に勝てなかった。





 夜の青森。とある小学校の校庭に、大きなテントが立っていた。


「そろそろ削りきったかな?」


 顔に火傷跡のある女が、テントの中でそう尋ねた。彼女の名は班目まだらめ鏡磨きょうま。フォックス小隊の隊長である。狐たちは寝袋の中で話し合っている。


「はい、魔力反応は三分の一にまで低下しています」


 答えたのは男だか女だかわからないが、しっかりと筋肉がついた『少年』。双原ふたばら瑞希みずきだ。


「ん~……もう少し削りたいな。せめて五分の一。そうじゃないと瑞希ちゃん死んじゃうでしょ?」

「舐めないでください」


 鏡磨は少し笑う。


「隊長、アタシだけでいけます」


 口を挟む、髪をピンクに染めた女性。


緋沙子ひさこ、慌てない。大事なのは確実な手を打つこと。勇人が抹香町に戻ったなら、そう焦らなくていいしね」


 鴉森からすもり緋沙子。フォックスツーということになっている。


「多分、五日もすれば十分弱まるはずだ。突入はその後でいい」

「隊長が、そう言うのなら……」

「さ、寝といてくれ。私が監視してくるからさ」


 外に出た鏡磨に、緋沙子はついて行こうとする。それで、彼女は相手の顔を指さした。


「寝る時は寝る! 私が昼間寝たんだから、あんたらはしっかり休まなきゃだめだ。これは命令だよ」

「……了解。待機します」


 更けていく夜に、鏡磨は踏み出した。

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