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今日だけは

 夜、寝る度に永良は壮士を見る。


無敵の正義インヴィンシブル・ジャスティスを、頼む」


 そのシーンばかりが何度も再生される。自分は果たして頼まれたほどに誰かの役に立っているかだろうか、と目覚めてまず考えるのが癖になっていた。時刻は午前四時。頭を起こして時間を見た彼は、力なく布団に倒れる。微かだが、叫び声のようなものが聞こえてきた。リョウのものだ。


 壮士はもっと多くの人間を救いたかったろうと想うと、自然と手が震える。それを引き継いで、少しでも沢山の命を繋がなければならない。しかし、だ。余りの命が徒花と散ってしまった。駅前の大量殺人、幼稚園で亡くなった子供たち、そして、御出間の盾になった女性。


 それを無視して、無敵の正義などと叫ぶほどの力は彼にはなかった。何のために頼まれたのか、授けられたのか。全てを救う力が欲しい。悪を斬り、弱きを助ける、無限の力が。


 そんなものを臨んだところで得られないのは承知していた。だが欲しいのだ。誰も、誰も傷つかないでいい世界を作りたいだけだった。


 人を斬った。殺そうとした。その事実が重い雪となって彼の心を潰そうとする。死んで当然だ、という言訳も意味を成さない。同じ穴の何とやらなのではないか、とさえ思える。


 それでも、これが誰かを救う道だと信じたい。進むしかないのだ。


 もぞもぞとベッドの上で動いて、はっきりしない意識のまま三時間横になった。夏休みだけの特別な時間だった。


 布団から出て、一階の台所に降りる。冷蔵庫から卵とベーコンを取り出し、ベーコンエッグを拵える。それと並行してトースターで食パンを焼き、合わせて一つの皿に乗せてダイニングのテーブルに持っていった。飲み物はアイスココア。苺ジャムを塗って、


「いただきます」


 テレビでニュースを流しつつ、小路からの連絡がないか、とスマートフォンを見る。今日は午前中に訓練だ。


(杉林は……フリーか。白鳥の護衛に行くんだろうな。ケッ)


 みっともない嫉妬を抱きながら、食事を終える。


「ごちそうさまでした」


 テレビを消して着替えようか、と思うと


「早いな」


 とリョウが降りてきた。


「また徹夜してゲームしてたんでしょ? 聞こえたよ」

「大人だからいーの。納期はまだ遠いし」


 呆れながら永良は食器を片付ける。


「俺は訓練行くから自分で作ってよ。カプヌーは駄目だよ」

「はいはい。適当にするよ」


 部屋に戻って制服を着る。ちょっと念じれば、それはあっという間に平凡な服装になった。財布、ケータイ、ハンカチ。ついでに風花から借りたチャージャーを鞄に入れて家を出た。


 SMTの基地は、抹香町の地下に存在する。入口は幾つか存在するが、基本的に認識阻害結界と悪意のある者を寄せ付けない結界によって守られており、一般人が視認することはない。表向きには抹香町の外れに存在する、小さな事務所が基地ということになっている。


 永良宅から最も近い入口までは、都合よくバスが走っている。晴れ空の下、家から五分ほどのバス停で飛び乗れば、何故か京助と風花がいた。


「ゲッ」

「何が『ゲッ』だ」


 最後尾の座席に座っている二人の隣に、彼は座った。


「お前今日フリーだろ」


 とは言いつつも、風花の隣を確保して少し上気分の永良である。


「白鳥がお前の訓練を見たいと言うからな。連れてきた」

「ちょっと杉林くん、それ秘密って……」

「あ、すまん」


 それの意味するところ。気恥ずかしくて彼は窓の外を見た。


「ま、いいぜ。見せてやるよ。俺の無敵の正義が悪霊祓うところ」


 できる限り明るい笑顔を作って言った。


「んでよ、杉林はどうするんだよ。というかそもそもどこ住んでんだよ」

「基地に部屋がある」

「連れてってくれよ」

「そうだよ、杉林くんのこともっと知りたいよ」


 揃って迫られた京助は少し戸惑ってから、頷いた。


「大したものはないぞ」

「やりい!」


 後の二人はダウン・ローを行った。


「そうだ、杉林、今度飯行かね?」

「またか? 破産させるぞ」

「じゃ、ナシだ」


 永良が口を尖らせて前を見た時、肩に何かが置かれた感触があった。風花が手を乗せていたのだ。


「二人で行くのは、どう?」


 目を合わせない提案に、彼の心が強く揺らされた。


「ま、まあ、いいけど」


 そしてまた、彼も目を見られなかった。その機微を感じ取れない京助は頬杖をついて景色を眺めていた。


 暫く。


 基地に下りた三人は、まず京助の部屋に向かった。地下二階、殆ど人のいない居住区だ。二〇三号室の戸をウキウキで開いた二人は、その内装に驚いた。


 壁際に備えられた棚には、それを埋め尽くすほどに飛行機の模型が並んでいる。どれも丁寧に処理され、細かいデカールや塗装、ディテールをどこまでも突き詰めたものだった。


「お前こんな趣味あったんだなあ」

「趣味というより、訓練だ。俺のヴィジョンは本来三羽の鳥を操るものだった。それをより近代的にアップデートして、今の危険領域レッド・ゾーンになった。そのイメージソースとして、様々な戦闘機に触れる必要がある。イメージの引き出しが豊富なら、戦闘機に付与できる能力も増えるからな」

「これは?」


 風花が一つの機体を指差す。上に吸気ダクトの存在する、VTOL機だ。


「XF-二〇〇ストームブリンガーだ。アメリカで八十年代に計画が進行していたが、技術的な問題から開発中止になった機体だな。垂直離着陸とホバリングが可能で、武装のペイロードも大きい。俺は火力支援をする際に使っている」

「じゃ、これは?」

「XF-八八Z、ファルコンウイング。高速性に優れるが運動性に問題がある機体だな。これも米軍主導で開発していたものが、コストの観点から試作に終わった。先行しての結界展開などの、とにかく急ぎの要件に使う」

「詳しいんだね」


 あまり興味のなさそうな一言だったが、京助は額面通りに受け取って満足気だった。


 一方で、永良は真剣に眺めていた。


「俺もやろうかな、プラモ」

「模型初心者はダンダムのプラモデルがおすすめだな。接着剤がいらないし、ニッパーさえあれば組み立てはできる。そこから徐々にステップアップしていくといい」


 小学生みたいだ、と風花は感想を抱いた。無論口には出さないが、一抹の疎外感を覚える。


「随分と楽しそうだな」


 と現れたのは小路。少し疲れた顔をしていた。


「ゲッ」

「何が『ゲッ』だ」


 風花が小さく吹き出す。


「仲良くするのはいいが、優先順位を正しくつけてほしいものだな」

「いや~……すんません」


 笑って誤魔化そうとした永良は、それが無意味だと悟って素直に頭を下げた。


「行くぞ。紲の模擬戦に付き合ってもらう」

「宝彩、戦えるようになったんすか?」

「それを、お前から確かめてほしい」


 疑問符を浮かべる彼の後ろを、後の二人がついていく。


「ギャラリーもいるようだしな。ちょうどいいだろう」


 観客と一緒に別の部屋に入り、小路が遠隔で指示を出す。訓練場に立った永良と紲は、生成されつつある悪霊を前に得物を構えた。前者はいつもの刀、後者は背丈ほどの槍を握っている。


「今回生成するのは三級悪霊。区分で言えば人間一人を殺せる程度のものだ。永良、紲は直接攻撃よりも支援に向いたヴィジョンの持ち主だ。上手く使え」


 現れたのは体長二メートル近い犬型の悪霊。体中に切り傷があり、そこから腐臭のする黒い体液を漏らしている。


「うわ、キモ……」

「宝彩、多分、あの尻尾だ。あれに気を付けるんだと思う」


 長い尾の先には鋼の鉤爪のようなものがついており、二人に向かって揺れていた。


過激な縫い針ラディカル・ソウイング!」


 勢いよく前を差した彼女の指から、小さな縫い針が飛び出す。空間に細い糸を引きながら、針は犬に向かって走っていった。


「縫い縛れ!」


 その一声に応じて、縫い針は悪霊を虚空に縛り付けた。


「解説チョーダイ」

「私のヴィジョンは無限に伸びる糸と、世界の裏表を行き来できる針でできてる。その糸で相手を空間に固定するってわけ」

「よくわかんねえけど、動けなくするってことか?」

「その認識でいいわ」


 巨大な犬は、みっともなく藻掻いている。


「じゃ、とっとと止め刺しますか」


 と永良が刀に魔力を送り込んだ、その時、犬が糸を断ち切って自らを解放した。


「ダメじゃん!」

「私だって目覚めたばっかりなの! 糸の強度を上げるのって難しいのよ!」


 連続して突き出される鉤爪を躱しながら、永良は次の一手を考える。一般魔術コモン・マジックは習得中。今使える手段は──。


「わかった。作戦変更だ。眼を潰してくれ」

「そんな細かく制御できないわよ」

「やるんだ」


 彼の声に重みがあることに気づいて、紲はそれ以上のことを言わなかった。


「行きなさい!」


 宙を舞う針が、犬の金色の目の辺りで踊る。徒に突き刺して刺激するばかりだ。その間も尻尾は動き続けて、永良に向かって何度も振り下ろされる。


 永良にしてみれば、決着をつけることは難しくなかった。タイミングよく刀を振って尻尾を切断し、魔力を纏った刃で致命傷を与えればいい。だが、それでいいのか、という問いがある。これは紲に経験を積ませるための戦いだ。


 五分ほどして、ようやく右の眼球に針が刺さる。そのまま突き抜けて、顔の右半分を空間に固定した。


「ナイス!」


 彼はそう声を発して、首を落とした。灰となって消える悪霊には眼もくれず、崩れ落ちた紲の方に歩く。


「怖かったぁ~~~」


 泣きそうな声で彼女は言う。


「凄いよ小鳥遊くん!」


 興奮した風花の声がスピーカーから聞こえてくる。


「ちょっと! 私は⁉」

「紲ちゃんもお疲れ! ねね、今日みんなでご飯行こ!」

「紲は魔力出力が課題だな。こればかりは慣らしていくしかないが」


 震える脚で立ち上がった紲。平和な一日は、訪れなかった。

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