「やあ、少年」
そう声をかけてきたのは、目立つ色の髪をした、手を握り合う男女二人組だった。薬指に結婚指輪があり、左手首には供華と同じ、腕時計然としたデバイスをつけていた。
「僕は御出間新狼……幸音を貰いに来た」
男の方は大げさなくらいの礼をしてみせる。ボウ・アンド・スクレープだ。
「私は新府。残念だけど、貴方には死んでもらうわ」
女が右手を天に翳すと、その頭上に鋭く尖った氷柱が現れた。
「さようなら」
一言に合わせ、氷柱が永良に襲い掛かる。彼は風花を抱いて横っ飛びに避けた。が、それで終わるわけもない。次から次へと飛来する氷柱は、アスファルトにも難なく突き刺さり、酷い騒音を立てる。
横転からの立て直し。すぐさま携帯を取り出して、連絡。
「──こちらラビットスリー。急行する。耐えろ」
「最高。カプヌーできるより早く来てくれよ」
「お喋りする余裕があるかな⁉」
次に来たのは、氷の礫。窓ガラスを割るだけでなく、壁面のコンクリートに深い弾痕を残す。そこに隠れていたパン屋の店員が、頭から血を噴き出して死ぬ。
だが、妙だった。氷が、ではなく、それを生み出す二人が。
彼らは、常に手を繋いで歩いている。走ることもなく、歩調を合わせてゆっくりと追ってくる。
(考えろ、魔術師同士の戦いはルールの戦いだ。ルールがわかれば戦える……って隊長が言ってた)
永良は指を鳴らし、刀を握る。頭を使うことは苦手だ。だが、使わなければ死ぬとなれば話は別となる。少なく、軽く、そして皺のない脳味噌を回転させて、一筋の光明を見出さなければならない。
(とにかく今は白鳥を渡さないようにしなきゃな。だけど、街に被害を出さないために俺を狙わせないといけない。どうする、俺!)
風花を背後に、得物を構える。
「白鳥、動くなよ。巻き込みたくない」
「英雄気取りかい⁉」
新狼が、叫びながら次々と弾丸のような勢いで氷を飛ばす。永良はそれら全てを強化した反射神経と動体視力、そして身体能力で弾き落とし、ひたすらに時間を稼ぐ。
「魔力量は平凡も平凡。そう長くは保たないわよ」
日本人らしい目を紫に輝かせ、新府が静かに言う。
「その凡人一人殺せず帰ることになるんだ、言い訳考えとけよ」
「このガキッ……!」
強がりを吐いたはいいものの、自分にできることが時間稼ぎ以上でないことは、彼自身よくよく承知していた。
だから、踏み込んだ。少しでも深い傷を残すため。
自分というものを一つの駒として考え、その役割を認識し、最大限の結果を残す方策を常に追求し続ける。それが戦場での生き方。小路の受け売りだが、彼はそこに納得していた。
ならば、今、自分が為すべきことは京助が到着した時、迅速に拘束ないし殺害できるよう力を削ぐこと。頬を掠めた氷柱が擦過傷をつける。それがなんだ? 傷など治せる。
しかし、彼は足を止めた。止めてしまった。新府が伸ばした氷の腕に掴まれて、一人の女性が盾になってしまったのだ。喉に突き刺さった刃を静かに抜いた時、彼の心の中で一つ、箍の外れる音がした。
「危ない危ない。死ぬところだったわ」
彼女は顔色一つ変えず、その遺体を投げ捨てる。
「……わかった」
永良の一言。
「お前たちも、殺さなきゃダメだ」
その形相は、正義に燃える少年というよりも、悪鬼に憑かれた戦士のそれであった。
「お前たちがどんな性格で、何食って生きてきたかなんてどうでもいい。ただ、そうやって人を傷つけて何も感じないのなら……生きてちゃダメだ」
「で? 身体強化しかない貴方に何ができるというの?」
「
永良の心臓から飛び立った鷹が、右脚に宿る。身体強化との併用。魔力は精神回路と呼ばれる、不可視の血管めいたものを通じて肉体に流される。だが、その回路へ一度に流せる魔力には限界がある。それを突破するのが、無敵の正義だった。
そう、精神回路を通じることなく、ヴィジョンという形で魔力そのものを直接付与することで、限界を超えた身体強化を可能とするのだ。
そこから繰り出される一撃は、あまりにも速かった。落ちたのは、新狼の左腕。次を警戒して氷の壁を生み出した彼に、しかし、追撃はなかった。
地面を蹴った永良は、格好悪く転がって、壁にぶつかった。
「……ハハ、ハハハ!」
腕を拾い上げ、くっつけた新狼が嗤う。脚からひどく出血しても猶、永良は立ち上がろうとする。
「一度切りじゃないか! その程度であの啖呵を……!」
視界がグラグラと揺れて、物が二重に見える──そんな中、彼は戦おうとした。言うことを聞かない脚を引きずり、血に濡れた刀を握って進む。その脇腹を、氷の槍が貫いた。
「楽には殺さないよ」
「好きに……しろよ……」
呻き声にも似た声音で彼は言う。
「俺……俺は……誰かのために戦うんだ……」
「譫言かい⁉」
今度は左腿を撃ち抜かれる。それでも。
「無敵の正義は……壮士は……!」
頸部を狙った、氷の一撃。それが届くことは、なかった。
「馬鹿野郎!」
それを打ち砕いた弾丸の主が叫ぶ。
「耐えろって言っただろうが!」
京助は、自分ですらなぜここまで心を掻き乱されているのかわかっていなかった。なにゆえこの馬鹿に執着するのか、なにゆえ憤っているのか。
「ぴったり三分……ありがとよ……」
そのまま、永良は意識を失った。
「白鳥、治してやってくれ。まだ間に合う」
ひとしきり攻防が終わった後、京助はマチェーテを握った。
「杉林くん、傷、治したよ」
だが、永良はまだ眠っている。
「すぐフォックススリーが来る。ラビットフォーを連れて逃げろ」
ミサイルと機銃をパージしながら高く上昇した戦闘機が起点となって、黒い結界を張る。荒廃した夜の空港に、生けるのは三人。
「二人を相手取るつもり?」
新府が嗤笑を浮かべる。
「勝つつもりはない。が、負けるつもりもない。暫く付き合ってもらうぞ」
(脱出不可能な結界にはできていない……露見すればすぐさま逃げられる。思考の暇を与えない……これだ)
ミサイルの雨を見舞う。今必要なことは、動きを止めること。飛び散った氷の破片は、あっという間に消滅する。
(恐らく、生成できる氷の量には制限がある。その見返りとして強度の向上を得ている……)
デメリットとメリット。前者を背負い、後者を得る。簡単な話だが、重要だ。危険領域も、結界の起点にするものは武装を喪うことでそれを可能としているのだ。
結界は半径五メートル。動き回るには十分なスペースだ。しかし、御出間夫妻は動こうとしない。手を握り合って、遠隔攻撃を繰り出すだけ。近接に向いたヴィジョンでない京助にはありがたいことだが、気にはなる。
(……距離か?)
一つ、仮説を立ててみる。二人が一定の距離を保たなければ術を十全に行使できない、という可能性だ。だから離れない。だとして、それが彼に優位性を与えるものではないが。
(天ケ瀬さんが来るまでは前に出るべきではないな。後二分と言ったところか……)
そう思って戦闘機を旋回させていると、二人が防御を解いた。
「僕等の目的は、飽くまで小鳥遊永良の排除。君を相手取ることは予定にないんだ」
「そうか。だからなんだ」
「撤退させてもらうよ」
二人はポケットからUSBメモリめいたものを取り出す。例の転移魔導具──京助はミサイルを撃たせる。が、妨害には至らなかった。
敵を逃したことを悔しがりながら、彼は結界を解除する。血の散った街に、太陽が差す。