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最悪の日

 もし、壮士と出会わなかったら、と永良は考えてみる。そしたら、きっと自分は今の立場にはいないだろう、と結論付ける。力を受け継ぐことも、人を傷つけられない親友のために喧嘩を買うこともなかっただろう。そして、風花と出会うことも。


 結果から言えば、あの出会いは彼の人生を決定づけたものだった。『頼む』という言葉の重み。自分がそうしてきたように人を救ってくれ、という最期の頼み。


「どうしたの?」


 彼は、無理やり物を押し入れに突っ込んだ部屋で風花にそう問われた。壁際の机の上にはモニターとキーボード、そしてゲーム機。


「ちょっと、昔のことを思い出したんだ。それだけだよ」


 この場にいるのは二人に加えて、京助と紲だ。ちゃぶ台を囲んで、菓子をつまみながらの勉強会である。


「杉林くん、めっちゃ勉強できるじゃん! 帝大行けるよ!」


 紲の興奮した声。


「進学するつもりはない」

「卒業した後、風花ちゃんの護衛が続いたとしても?」

「大学には部外者も入れる。目立たないはずだ」

「勿体ないなあ」


 冷たくさえある態度で受け流した京助は、有理化の問題にあれそれと口を出す。


「小鳥遊くんさ、大学行く?」


 早々に自分の課題を終わらせた風花が尋ねる。


「SMTに入る前は何となく行くんだろうなあ、って思ってたけど、今はよくわからないな。このまま一生SMTとして生きていくのかもしれないし、大学出てまた戻ってくるのかもしれないし。まだ決めてないよ。白鳥は?」

「魔導工学の勉強したいかな。でも、この町から離れられるかどうか……」

「俺がついてくよ。勉強はできないけど、喧嘩なら負けない」

「フフッ、ありがと」


 どこか困ったような微笑みだった。そこに含有された意図を推し量りかねて、永良はしばし表情を固める。


「でも、この先ずっと小鳥遊くんを縛り付けるのは、嫌だよ」

「縛るって……そんなんじゃねえよ。困ってるなら助ける。それだけだろ」


 振り払うようにして彼女は勉強に戻る。


「二の平方根って、いくらだっけ」


 わざとらしく彼は京助に質問した。


「一.四一四二一──」

「サンキュ」





「グイーヒッヒ……」


 その奇妙な笑い声を漏らしたのは、瞳孔に赤みを帯びた青年だ。


「その笑い方、やめな」


 諫めるのは青い瞳の女性。


「ほんと、気色悪いねえ」


 赤と黒のオッドアイである少年が同意した。


 三人組とすれ違った男は、底知れない恐怖を感じて走り出す。


「しかし、こんな姿じゃないといけないっていうのは退屈だ」


 女が言う。喪服のような恰好をしていた。


「オレッチは嫌いじゃないぜ。人間っぽいじゃねえか」


 赤い目の彼は、緑のタンクトップを着ている。


「どこがいいんだか……」


 オッドアイは芯持学院の制服である灰色のシャツと青いネクタイを着用していた。


 三人衆は、とある一軒家の前で立ち止まる。女がインターホンを鳴らした。空は黒く、重い。その下で、笠を円筒形の入れ物に立てた。


「■様、参りました」

「入りなさい。鍵は開いている」


 そっと扉を開け、中に入った途端三人の姿は豹変する。歪火、空劫、紅骸。三体の埒外悪霊だ。


「よく来たね。擬態もばっちりだった」


 リビングで紅茶を飲む■の前に、彼らは跪く。


「それと、僕のことは發と呼んでくれ。本名がバレるとまずいからね」

「申し訳ございません」


 發と名乗った長身痩躯は、カップを皿に置く。


「誕生からもう一週間か。歪火、虚獄分の魔力は回復したかい?」

「はい」

「ならいい。フォックスが合流する前に小路を消したい。鴉から白鳥風花とかいう女の確保も頼まれているが……それはどうでもいい。この世界は私を否定した。だから、それと同じだけこの世界を否定してやらなければならない。頼むよ、そのために君たちを作り出した」


 悪霊たちの肩は震えていた。生命の炎が波打ち際に裸で晒されたように、冷たい恐れを奥歯の間で殺しながら俯くしかなかった。


「怒号發という名前は気に入っているんだ。面白い響きだろう?」


 彼らは一様に頷く。


「努々、私の正体が露見しない様に動いてくれ。私はいつだって君たちを消せるという事実、忘れないでくれよ」

「御意のままに……」


 空劫はか細い声で答えた。


「發様、わたくしめにも虚獄を展開する力を与えてくださらないでしょうか」


 彼女は傲慢と知って口を開いたのだ。


「魔導式を持った悪霊を出すのは大変なんだ。残念だが、今日明日にとはいかない。それにね、君の役割は支援だ。相手が虚獄を展開した際にその羽根で結界を打ち破ることが役目なんだ。君自身は外にいなければならない。言われなければわからないのかい?」

「い、いえ! 出過ぎた発言でした。撤回致します」


 睥睨する發。


「歪火、今度は街中で暴れてくれ。幼稚園がいい。虚獄の練習をするんだ」

「はっ」

「付与するルールとしては……そうだね、エネルギー波の歪曲と拡散がいいだろう。君の魔力量なら問題なく実現できるはずだ」

「ご教授いただき、恐悦至極でございます」


 雨粒が窓を叩く音が聞こえてきた發は立ち上がり、悪霊たちに背を向けた。


「不躾な質問にはなりますが」


 と言い出したのは紅骸。


「發様ご自身が動かれてもよろしいのではないでしょうか。顔を見られた程度、さしたる問題にはならぬと存じますが」

「私の存在は可能な限り伏せておきたい。切り札なのさ、私自身がね」


 その意図する所は、三人とも理解していた。だが、産み出された生命として自分たちだけが動くことを強いられるのは、いい気分ではない。


「気持ちはわかるよ。『どうしてオレッチだけが……』って思っているんだろう。だが理解してくれ。私は小路を殺し得るかもしれないが、それは一度しか通じない奥の手なんだ」


 雨は強くなる。雷も混じる。


「歪火と空劫で小路を、紅骸で乙素を担当すれば丁度いいかな。頼んだよ、子供たち」


 子供たち。そう呼ばれた彼らは何も言えなかった。


「行くといい。芳しい報告を待っているよ」


 ライオンに睨まれたウサギのように、悪霊は家を飛び出す。擬態し、傘を差す。


「空劫、オレッチと来てくれ。とっとと実行する」

「はいはい。じゃあね、紅骸」


 抹香町立第二幼稚園。所謂『お歌の時間』だった。


「ゆーやけこやけの──」


 あどけない声が雨に負けず漏れてくる。その門に、歪火が立った。興奮に顔を引き攣らせ、頻りに手を握っては開いている。一度深呼吸してから、手を合わせた。


「虚獄・焦熱歪界」


 その一言によって、幼稚園は地獄に呑まれた。真っ赤な大地と灼熱。噴出したマグマが窓を融かす。


「行け!」


 彼の背後から無数のビームが飛ぶ。全く見当違いの上方に放たれたそれは、頂点で拡散して幼稚園に降り注いだ。悲鳴が響く。耳を引き裂くような高音が聞こえてきても、高揚した彼を止めるには至らない。


 遊戯室に足を踏み入れた彼が見たのは、自分の成長の結果だった。額を貫かれて死んでいる教諭に、両腕が捥げて泣き叫んでいる女児。致命傷を避けた男の教諭が立ちはだかるが、心臓を引き抜かれて斃れた。


「ママー!」


 血で足を滑らせた男児が声を上げる。


「煩いんだよ!」


 指先から放たれたビームが、一撃にして四肢を奪う。蚯蚓のように這おうとする彼に跨って、首を千切った。


「グイーヒッヒ! オレッチは最強だ!」


 鏖殺。徹底的な、鏖殺。五分後、そこに生けるものはただ一つ。やがて地獄は消え去り、雨に打たれる静かな建屋だけが残った。最早人の形を留めていない亡骸を積み、歪火はその上に座る。


「さあ、来るなら来やがれ、小路!」


 その願いは、すぐに叶った。

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