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未来を見るために

「というわけで、僕だけ先に来ちゃった」


 ラビット小隊を前に、勇人がそう言った。


「埒外の討伐については、問題ないんだな?」


 小路にそう言われて、彼は力強く頷く。


「ま、隊長がいれば何とかなるかな。緋沙子ひさこも置いて来たし」

「そうか。ならいい。他のメンバーの合流はいつになりそうだ」

「後二週間はかかるかな。埒外を閉じ込める大規模結界の展開に手こずってて」

「ラビットが行くべきだったかもしれんな」

「結界術じゃ間さんの方が上だもんね」


 その話が進む一方で、慣れない制服を着た紲は寝ている乙素が気になって仕方がなかった。


「気にすんな」


 永良が一言。


「この人、いつもこうだからさ」

「大丈夫なの?」

「強いらしいよ、戦うところ見たことないけど」


 コホン、と小路が咳払いをする。そんな彼は、皆の前に立つ。


「埒外への対処は、俺、乙素、勇人を軸として行う。永良と京助は引き続き風花の護衛。紲は暫くみっちり鍛える」


 一同の目を見渡した彼は、首を縦に振った。


「伝達事項は以上だ。何か質問は?」


 手も声も挙がらなかった。


「解散とする。警護組は虹川の襲撃に対し、常に警戒しろ」


 その後、地下基地から地上に上がった永良、京助、風花の三人はカフェでフローズンドリンクを買った。


「なあ、杉林。天ケ瀬さんってどれくらい強いんだ?」

「多分、ヴィジョンのポテンシャルで言えば抹香町一……いや、日本一かもな」

「マジ? 全然そんな風には見えなかったぞ」

「能ある鷹は爪を隠すって言うだろ」

「言ったかなあ……」


 呆れた京助は、あまりの莫迦さ加減に脚が出た。


「んだよ」

「少しは勉強しろ。恥をかくぞ」

「教師じゃねえんだからそんなこと言うなよ。お前だっていっつも任務じゃねえか」

「俺は中学生のうちに高校までの課程を終わらせている。テストは問題なくパスできるはずだ」

「どうせ忘れるぜ、そんなの」

「やっぱり勉強会する?」


 風花の提案。


「やるかあ、宝彩も呼んで」


 中身のない会話が続く。だが、永良には言えない言葉が幾つもあった。風花には聞かせられない、血に塗れた言葉だ。結局、家に送り届けるまで、彼は当たり障りのないことを話し続けた。


 すでに夕焼けが赤い光を投げかけてきている。名残惜しそうに手を振る彼女に同じ動作を返し、扉が閉じられるのを待った。


「あの、さ」


 自分とは逆方向に進もうとする京助を、彼は呼び止めた。


「杉林は、殺したい奴っている?」

「急だな。……悪霊は当然だが、人殺しを生かすつもりはない」

「そうだよな、そう思ったからって、おかしなことじゃないよな」


 固まった雰囲気を笑って崩そうとした彼の顔に、京助の硬い視線が刺さる。


「……虹川供華に言ったんだよ。生きてちゃいけない人間だ、って。でもさ、人間ってみんな平等に生きる権利を持っているはずなんだ。それを奪うのって、どうなんだろうな」

「平等じゃない。公平だ。だから死刑制度が存在し、必要とあれば他人を殺す軍隊や警察というものが肯定される。人は自身のためだけに生きるんじゃない。所属するコミュニティのためにも生きているんだ」

「やっぱお前賢いな。俺、杉林の言ってること全然わかんねえ」


 やはり、彼は笑おうとする。


「どうせ、供華は死刑だ。なら今殺したところで大して変わらない。違うか?」

「そうだけどよ……」

「迷うな。付け込まれるぞ」


 京助の抱いているものが覚悟なのか諦めなのか、永良には判断できない。ただ、命を奪うことを受け入れているその精神性に、当てられるだけだった。


「どうしても殺したくないなら、俺が止めを刺してやる。お前は引っ込んでろ」


 彼は答えられない。同じ年齢のはずのこの少年は、自分とは明らかに違う世界に立っている。事実を受け入れてなお、口も体も動かせないでいる。


「……ここじゃ何も言えねえよ。でも、供華を野放しにしちゃいけねえってことはわかる。その結果殺すことになったら……俺は……」


 言葉に詰まった彼の肩を叩いて、京助が通り過ぎる。


「悩むだけ無駄だ」


 その一言を受け止めきれなかった永良は、静かに空を仰いだ。


 鬱々とした気分で家路についたところ、ポケットの中で携帯が震えた。


『すき焼き食いたい』


 の一言。保護者からのメッセージだ。


『おけ。買い物して帰るよ』


 保護者の名前は、十橋とばしリョウ。株やFX、不動産で生活する、言ってしまえば金持ちだ。郊外に一軒家を構えてはいるものの、金を見せびらかすようなことはしない。一つする贅沢としては、焼肉なりすき焼きなりをするときに高級スーパーで和牛を買わせることくらいだ。


「永良も大変だなあ」


 煮える鍋を前に、リョウが言った。ぼんやりとした顔つきだが、細い体には無駄のない筋肉がついていた。不労所得だけで食っていける程度の収入はあるが、趣味もかねてフリーランスのソフトウェアエンジニアをしている。


「入る前に僕に相談してくれてもよかったんじゃないか?」

「どっちにしたって入ってたよ。無敵の正義インヴィンシブル・ジャスティスを失くすわけにはいかないから」

「君の人生だということはわかってるけども、死なれちゃ球磨くまに合わせる顔がないよ」

「いいよ、覚えてないし」


 球磨というのは永良の父親の名前だ。それ以上の情報を彼は求めない。知っても知らなくても、自分の人生にさしたる影響はないだろう、と考えているからだ。


「……慈我は、君を殺しに来るかもしれない」

「慈我って、クロウのボスだっけ」

「ああ。全てがヴェールに包まれた、謎の人物。構成員の供述から存在が仄めかされてはいるけれど、それだけだ。僕が解説することでもないか」


 牛肉を咀嚼しながら、永良は思う。供華が本当にクロウであるならば、拘束して尋問するべきなのではないか、と。


 慈我は何らかの条件を提示することで、魔術師を仲間に引き入れているという。だが、逮捕された慈我の手下は二十四時間以内に急激に衰弱を始め、七十二時間が経過した時点で八十パーセントが死亡する。情報を漏らさないために仕掛けが施されている、とはわかっているがその実態は掴めていない。


 その話を聞いた時、彼はかつての親友を思い出した。無敵の正義を授けてくれた、木田きだ壮士そうしのことを。


「でも、なんで俺を殺しに来るの?」

「君の両親を殺したのが、クロウなんだ」


 沈黙。声も出なかった。


「なんで、教えてくれなかった?」

「言えば君を復讐の道に引きずり込んでしまうと思っていた。虹川連鎖れんさ……それが、君の仇の名前だ」

「虹川……!」

「ニュースに出ていた虹川供華は、連鎖の子供だろうね」


 永良の指が震えた。箸を取り落とす。


「その連鎖は、どうなった?」

「さあ。僕もそこまでは……」

「それともう一つ。親戚が誰も引き取らなかったっていうのは本当?」

「勘が鋭いね。嘘だ。球磨は最初から僕に託した。小鳥遊という苗字も、偽名だ。本当は──」


 それからのことを、彼は覚えていない。ただいつも通りに食器を片付け、風呂に入り、布団で横になった。


(次に供華が現れたら……問い質そう)


 連鎖との関係を。小路にも聞いておくしかない。そして、意識は闇に落ちた。





 九年前。小学校で壮士と出会った永良は、すぐに意気投合した。ヴィジョンで体を強化して人助けに奔走する壮士は多くの者に好かれ、心の底からの明るさは誰の心をも照らし出した。一部の陰気な者や、自分が優れていると信じて疑わない空虚な自尊心の塊には敬遠されていたが。


 永良は彼の隣にいた。人を殴ることに躊躇する彼の代わりに前に出て、喧嘩を繰り返した。決して先に手は出さない。呆れと怒りに満ちた大人から何度も叱られた。だが、二人は幸せだった。二人ならできないことなんてない、と信じていた。


 三年前。同じ中学校に進学するはずだった二人は、悪意の手によって引き裂かれた。壮士が行方不明になったのだ。二週間後に発見された彼は、酷く弱っていた。


 薬物中毒に近い様態──それが、医者の下した判断だ。集中治療室に運ばれた彼の要望で、永良にも面会が許された。


「永良……僕、もう駄目だ」

「何言ってんだよ、これからだろうが」

「だからさ、無敵の正義を、頼む」


 そっと差し出された手を、永良は握る。


「へへ、これでずっと一緒だ」


 下手な笑いを浮かべた壮士。それが、最期だった。鳴り響く、心電図モニターのピーッ、という無慈悲な音。


 泣いた。一生分泣いたかのように。リョウの車の中でもひたすらに泣きじゃくった。


「親友が死ぬって、辛いよな。僕もわかる。球磨が死んだときもそうだった」


 隣の運転席で前を見ながらリョウが言う。信号で止まってから、軽く頭を撫でた。


「今は好きなだけ泣くんだ。二年後、三年後に笑えればいい」


 その言葉を聞いたところで、永良は覚醒した。十六歳、身長百六十二センチの体。今日も、朝は来る。

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