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呪いの誕生

 紲の覚醒は、まずラビット小隊に報告された。小路と若人三人組は彼女の病室を訪れていた。


「それが、君のヴィジョンか」


 小さな小さな縫い針を見て、小路が言う。


「はい。過激な縫い針ラディカル・ソウイングです」

「その名前は、どうやって付けた?」

「夢を見たんです。そこで、ヴィジョンの方から名乗りました」


 彼は視線を横に流す。


「君は特殊なケースかもしれないな。だが、是非SMTに加わってほしい」


 少しばかり俯いた彼女は、永良を見る。


「ねえ、小鳥遊。私、戦ったら死んじゃうのかな」

「……痛い思いはしたよ。ゲロだって吐いた。それでも生きてるのは、助けてくれる奴がいたからだ。──その分、ていうのかな。宝彩が戦うなら、俺が助ける」


 紲は再び手元を見る。そこに浮いた縫い針は、自分に可能性を与えてくれるものなのか、それとも、と考えてみる。


「少し、時間を下さい。小鳥遊みたいに喧嘩が強いわけではないですから」

「そうか。腹が決まったらここに連絡してくれ」


 と小路は名刺を渡す。


「俺は帰るとするか。永良、任務も大事だが、夏休みの課題だって大事だからな」

「やっぱやんないと駄目っすかね」

「担任から話は聞いている。特別扱いはしない、とな」


 きまりが悪く後頭部を掻いた少年を置いて、彼は病室の戸に手をかける。それと入れ違いに、五人ほどの女子生徒が駆けこんできた。


「紲ちゃん!」


 彼女らは一斉に名前を呼んだ。喜びと不安の入り混じった表情を、誰も浮かべていた。


「そんな顔しないでよ。全然大丈夫だからさ」

「退院はいつになりそう?」

「今日検査して、異常がなかったら明日。肉体的には問題ないって言ってたし、きっとすぐ遊べるよ」


 少女たちは胸を撫で下ろす。そして顔を見合わせて、永良たちとは逆側に集まった。


「小鳥遊はいいけどさ、なんで杉林くんまでいるの?」

「色々あんだよ、色々」


 適当に受け流す永良に、それ以上の追及はなかった。


「じゃ、俺たちも戻るか?」

「そうだな。あまり邪魔をするのもよくないな」


 少年二人はすぐさま同意に至り、立ち上がる。同級生たちに手を振りながら扉に向かおうとした時。悲鳴が聞こえてきた。


危険領域レッド・ゾーン


 半ば無意識のうちにヴィジョンを発進させた京助は、永良に視線を送る。それを受け取った彼は、扉を少しだけ開いた。食玩サイズの小さな戦闘機は、頼りない機動でそこを抜けていく。


「強い魔力反応……これは、ヴィジョン? ラビットフォー、ここから動くな」

「リョーカイ。じゃ──」

「斬られた! 来るぞ!」


 一人、鍵を閉めようと動く。その判断を、一概に間違いだと断じてしまうべきではなかったのかもしれない。だが、この場においては、致命傷だった。


 扉の隙間から飛び出した剣が、彼女の頭蓋を貫く。


「よう、小鳥遊」


 現れたのは、供華。死体に唾を吐き掛け、煙草を取り出す。狂乱と恐怖の声が響く。


「虹川……!」


 永良は手早く刀を呼び寄せ、抜く。


「まあ、待てよ。一服させてくれ」


 胸ポケットから一本取り出し、指の先に生み出した炎で火を点けた。


「ラビットスリー、白鳥を連れて逃げてくれ」

「一人で戦えるのか?」

「どっちかがやらなきゃいけねえ仕事だ。斬り合いなら俺の方が強いだろ」

「……死ぬなよ」


 風花と生きている女子生徒は、京助に連れられて出ていく。が、供華にそれを追う素振りはなかった。


「今日の目的はお前なんだよ。幸音は後でいい」


 返事はしないで、永良は刀を正眼に構える。


「会話はなし、か。いいぜ、殺してやる」


 両者、間合いを詰める。幾度もぶつかり合う刃と刃が、確かな火花を散らす。足払いを掛けた永良。


「見え見えなんだよ!」


 大きく跳躍した供華が、落下の勢いを乗せた踵落としを食らわせる。床に頭を叩きつけられた永良を掴んで、投げ飛ばす。窓ガラスを割った肉体は、中庭に落ちた。


 彼は額から流れる血を拭う。すぐに相手も降りてきた。


「魔力操作が上手くなったんだな。普通だったら死んでたぜ」

「何で、殺した」

「あ?」

「あいつに、大場に死ななきゃいけない理由なんてなかった!」

「知るかよ。俺は俺の殺したいように殺す。それだけだ」


 震える彼の唇、手。


「そうか、わかった」


 泣きそうな声で彼は口を開く。


「お前は、生きてちゃいけない人間だ」





「何をしている!」


 京助が、萎びたような看護師にヴィジョンで触れる風花に向けて怒鳴った。


「この人、まだ生きてる。なら私のヴィジョンで救えるはず」


 そう言われては、彼も強く出られなかった。


「……あまり時間を取らせるな」


 こくりと頷いた彼女は、十五分前まで時間を巻き戻す。だが、生気を搾り取られたかのように思えるその看護師が息を吹き返すことはなかった。


「なんで……」

「既に魂が死んでいたのかもしれない。気にするな、お前の責任ではない」


 その言葉は、彼にとって、自分に言い聞かせるものでもあった。


「気にするな、って! 人が死んだんだよ!」


 涙を浮かべる風花に、言えることはない。ただ、


「急ぐぞ」


 としか返せなかった。


「ねえ、さっきの人何? 何て言うか……あれ、顔が思い出せない……」

「認識阻害魔法を使う、傭兵だ」


 紲の問いに、彼は簡潔に答えた。


「魔術の扱い方を覚えれば見えるようになる。SMTに来い」


 病院の一階に着き、外へ。


「由香ちゃんの仇、討てるなら」

「訓練次第だ」

「紲ちゃん、あいつやっつけてよ」


 女子生徒の一人が言う。


「うん、刑務所に入れちゃって」


 別の者も言う。


「そうだよ、スカウト受けるくらいなら、絶対やれるよ!」


 また一人。


「……わかった。私、戦うよ。連れてって、小鳥遊のところに」


 それと時を同じくして、小路が車を回してきた。


「ラビットスリー。戻れ。フォーは俺が支援する」


 助手席から顔を出して、彼はそう告げた。


「やらせてください」

「ヴィジョンなしでか」

「それより、宝彩を実戦レベルまで育ててください。戦う意思があるので」

「……わかった。宝彩紲と言ったな。来い、鍛えてやる」

「私、小鳥遊と一緒に──」

「無理だ」


 すっぱりとしたその言葉で、紲は現実を叩きつけられたことを認知した。


「死ぬだけだぞ」


 重みを持った、小路の黒い瞳。貫くようだ、と彼女は思う。


「ラビットスリー、命令だ。虚獄は使うな」

「分かってます」


 京助が駆け出した時、既に戦いは佳境に入っていた。弾き飛ばされた刀が植木に刺さっている。そこから少し離れたところに、胸から血を流して倒れる永良の姿。


「遅かったな。今からこいつの首を刎ねるところだったんだ」


 マチェーテを呼び寄せた彼は、唾を飲んで近づく。


「お前もまとめてあの世に送ってやるよ」


 供華は剣を逆手に持ち替え、地面に突き立てた。


「虚獄・紫天法界してんほうかい


 一瞬にして広がる、紫の雲が浮かぶ空間。時折稲光が起こる。足元にあるのは腐り落ちたように崩壊した地面だ。


「まずはお前から殺してやるよ、踊れェ!」


 彼が指を鳴らすと、無数の剣が現れて京助に降り注ぐ。それを弾き落とし、または回避しながら少しずつ敵との距離を詰めていく京助だが、その歩みは遅い。


 虚獄に対する最も有効な方法は、同じく虚獄を展開すること。それは京助も知っている。ルールを付与した結界を、自分のルールで上書きするのだ。


 が、それが常に可能とは限らない。残存魔力量、そもそも虚獄を習得していない、エトセトラ。今の京助は前者だった。分割払いで首が回らない彼に、この虚獄を打ち破る手段は、ない。術者を殺す以外には。


「俺の剣は魂を破壊する。大量に生み出す都合毒は弱まるが……五、六本直撃すりゃあ助からねえぜ」


 勝ち誇った態度での説明が、彼の神経を逆撫でする。


「そうだ、そこのガキ殺せば見逃してやるよ」

「その前にお前を殺す」

「おお、怖い怖い……あばよ、杉林京助」


 供華が差した、天。そこに十本の剣が現れる。


「微塵切りだ、ガキ──」

幽世回廊ゆうせいかいろう!」


 割り込んできた、声。そして塗りつぶされるルール。歪んだ空間は、無限に続くとさえ思える霧のかかった廊下に変わった。


「いやー間に合ってよかった」


 降り立ったのは髪を茶色に染めた青年だった。


「京助、生きてるね?」

「……ギリギリですけど」

「そこの悪党、自己紹介してあげるよ。フォックススリー、天ケ瀬あまがせ勇人ゆうと。死にたくなければ今すぐ逃げな」

「後悔するぜ」

「どうかな」


 供華は、またUSBメモリ然としたものを左手のデバイスに差し込んで消える。


「そこの少年は?」


 虚獄を消した勇人が問う。


「小鳥遊永良。ラビットフォーです」

「新人か。いいね、未来があるのはいいことだ」


 彼は会話をしながら携帯を取り出す。永良が死ぬことは、なかった。

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