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虚獄、衝突

「グイーヒッヒ!」


 歪火は掌の間に赫く輝く球を生み出し、そこからエネルギーを放った。自身を加速させて回避した小路は、先ほどまでいた部分が大きく抉れていることに冷や汗をかいた。


(魔力を指向性エネルギー兵器として用いているのか……)


 ホルスターから銃を抜く。


(直撃すれば死体も残らんな。恐ろしい魔力量だ)


 歪火は顔をぐにゃりと曲げて笑っている。半透明のマガジンを一瞥した小路は、静かに銃口を悪霊に向けた。


「何がお前を埒外にした」

「聞きたい? 聞きたいよなあ! でも、教えてやらない。あの人との約束だからな」


 舌を出し、嘲笑う敵。その程度で精神を乱されるほど弱くはないが、『誰かが作為的に生み出した』という仮説について彼は確信を得た。


「ま、でも少し優しくしてやろうかな。オレッチの紋は魔力の放出。純粋なエネルギー兵器として魔力を放つことができる……ホントはもう少し秘密があるけど、今は教えてやらない」

「充分だ。お前を祓うには、充分すぎるほどにな」


 極超音速の弾丸が走り出す──も、歪火を少し仰け反らせるだけだった。額にめり込んだ弾丸は少しずつ押し戻され、やがて地面に落ちる。


「効かないねえ! これが埒外の肉体!」


 高揚した様子で開かれた口から、光が襲い掛かった。舞い上がった煙が晴れた時、そこにいたのは黄色い防御壁を展開した小路だった。


「お前は何か勘違いをしているな」


 壁を消して、二射。やはり効かないが、眼球に突き刺さったそれらは彼が踏み込む隙を作った。最大出力の身体強化と加速を乗せた左拳が、歪火の腹に直撃する。緑色の体液が彼の背中にかかった。


「俺が銃を使っているのは魔力を温存するためだ。銃がなければ戦えないというわけではない」


 膝蹴りを顎に。ゴキリ、骨を折る感触。


「誰がお前を作ったにしろ、そいつは俺を舐めているようだな。教えろ。どこのどいつだ」

「言うと思う?」


 悪霊の肉体は魔力で構成されている故に、魔力が尽きない限り無尽蔵に再生を繰り返す。魂に響く攻撃をすればその力を削ぐことはできるが、埒外相手にはそれほど通用しないのが現実だった。


 ピンピンしている歪火は、数歩分飛び退いて腕を垂らす。


「基礎的な体術だけでオレッチを祓おうなんて思ってるの?」

「ああ。不満か?」

「オレッチ、そんなに弱くないよ」

「そうか」


 雲が風に吹かれて消えていく。


「ここからは、オレッチのターンってわけ」


 陽光を受けた歪火の管が、輝き出す。何を、という思考を行う前に小路は相手の拳を受け止めた。重い。次の行動に移ろうとすれば、それを阻害するようにハイキックが飛んでくる。


 加速。一旦距離を取りたい。だが、追い付いてくる。


「埒外反応が増加しましたわ。お気をつけてくださいまし」


 耳の中の通信機から流れる郭の声を聴きながら、銃を仕舞う。


「ラビットツーは動けるか?」

「すでに対処に当たっていますわ。……しかし、どの反応もラビットワンに向かっていましてよ」

「荷が重いな」

「おしゃべりなんかしてんなよ!」


 飛来する魔力の塊の下を滑りながら、手を叩く。右手の中に剣鉈を呼び出した。刃渡り三十センチの大きなものだ。


(魔力伝達、確実に叩き斬る!)


 すれ違いざまに足首を切断。体を起こし、左肩から右わき腹にかけて深く裂いた。緑の血が迸り、小路の冷たい顔を汚す。


「痛いなァ……」


 歪火は声を漏らす。傷口はみるみる塞がっていく。


「これが、死? そうか、グイーヒッヒ、これが死だ!」


 胸を開いて天を仰ぐ相手を、小路は困惑しながら観察する。


「ありがとう、間小路。これでオレッチは生命として進化する!」


 腕を胸の前で交差させ、歪火は叫ぶ。


焦熱歪界しょうねつわいかい!」


 瞬間、小路は灼熱に襲われた。汗が出るだとか、服を脱ぎたくなるだとか、そういうものではない。立っているだけで焼き尽くされそうな、マグマの只中でちっぽけな足場に乗っているようなレベルだった。


 足元に広がるのは、赤い大地。ヒビから吹き出す熱風が集中力と体力を奪う。頭上には黄色い空。黒い雲。その異様さを受け流しながら、得物をより強く握る。


(恐らく、この虚獄にはまだ十分なルールが付与されていない)


 狂喜して踊る歪火を警戒しながら彼は頭を回す。


(ならば、今こそ攻めるべき!)


 加速をかけて、肉薄。首を狙って鉈を振るうも、上体を逸らして回避された。


「そうだなあ、どんな条件がいいかなあ……」


 首を右に左に傾けながら、歪火は呟く。その間も、攻撃を避け続けていた。


(明らかに身体能力が向上している。こちらも、やるしかないか!)


 鉈を振るう手を止めた小路は、二つの拳を重ねる。


無窮衝走むきゅうしょうそう


 赤い台地は塗りつぶされ、代わりに深夜の高速道路が現れる。往来はない。ただ、二人がいるのみだった。


「使えるんだ、やるね」

「あまり好きではないがな」

「でも、ここで死ね!」


 歪火はエネルギーを放つ。動くことのない小路に、そのまま直撃すると思われた。しかし、魔力の塊は減速を始め、彼に命中する直前で完全に停止。霧散した。


「防御の魔導式⁉ そんなもので!」


 走り出した歪火。距離は数メートルほど。一瞬で詰められる距離。だが、体が動かない。いや、動いてはいるが、遅い。思考だけは回って、自分の速度ばかりを感じる。


 そんな歪火の腹に、鉈が突き刺さる。認識することもできない、一瞬の出来事。と思えば、背中を斬りつけられた。そして蹴られる──と、それを知覚するまでの間に壁に叩きつけられた。


「俺の紋は『加速』。触れたものの速度を増すことができる。だが、この結界内においては触れることなく自在に加減速させることが可能になる。お前を減速させた状態で攻撃し、インパクトの瞬間に加速させる。そうして結界に衝突したというわけだ。まだやるか?」

「ふざけ!」


 鼻血を垂らしながら歪火は殴りかかるも、やはり停止する。


「貴様はここで終わりだ、埒外」


 まず右腕が落ちる。表情が歪むことすら許さず、左腕。後ろ蹴りで壁に衝突させた後、脚に狙いを定められる。然るに。


 空が破られる。黒い鏃のようなものが地面に突き刺さる。


「アンタが歪火?」


 上空からそう問うたのは青い肌を露にした女。背中には大きな黒い翼があり、頭頂部から生えた角は後方に向かって鋭く伸びていた。


「助けに来てあげたよ」

「……名乗りなよ」

「ああ、そうだね。あたしゃ空劫くうごう。アンタと同じ、埒外悪霊だよ」


 空劫は鳥のような足で歪火を掴み、再び高度を上げた。


「それじゃ、おさらばだ、間小路」


 小路は銃に持ち替えて狙うことも考えたが、魔力をかなり消費したことを考えてここは生き延びる道を選んだ。


 少しの迷いを抱いている間に、空劫は遥か彼方だった。車に戻ろうとした彼は、それが大きく拉げているのを認めて溜息を零す。


「車がやられた。回してくれ」


 要請をしながら空を見る。雨の気配はない。





「食いすぎだろ」


 とあるラーメン屋。座敷の上で永良が言った。京助が注文したのはチャーシュー麵に、炒飯、チャーシュー丼だ。だが、その彼は悪びれもせずに、


「誘った時点で分かっていただろう」


 と言うだけだった。


「小鳥遊くんも食べすぎだよ」


 そう指摘されて、永良は自分の手元に視線を落とす。餃子十個に替え玉の皿二枚。


「……かも」


 クスリ、風花が笑う。


「でも、大丈夫? こんなに食べちゃってさ」

「余裕だよ。手当もしっかり出てるしさ」


 屈託なく笑みを見せる永良に、彼女は申し訳なさを抱いた。


「ごめんね、私のせいで」

「え? 気にすんなって。ただまあ……宝彩のことは気になるかな」


 紲はまだ目覚めていない。すでに一週間以上が経過し、肉体的な問題が一切ないにかかわらず、だ。小路は気に病むなと言っていたが、若人たちはそう簡単に割り切れないでいた。


「少し、考えていた」


 丼を掻き込んだ京助が口を開く。


「ヴィジョンが目覚めず本来は死ぬべきだった人間が、無理やり生かされているのなら……それは、魂に魔導式が刻まれるということなんじゃないだろうか」

「つまり?」

「ヴィジョンを手に入れる」

「宝彩が?」


 頷いた彼を眺めていたあとの二人は、顔を見合わせた。


「最悪、敵に回る可能性もある」

「んなわけないだろ」


 きっぱりと、そして即座に永良は否定する。


「宝彩に限ってそんなことはありえねえ。ちょっと頭に来ることもするけど、犯罪者になるような人間じゃあない」

「……そうか」


 京助は何か言いたげ、ではあったが彼にそれ以上深堀りする気もなかった。


「んじゃ、行くか。白鳥の分は奢るよ」

「おい、話が違うぞ」

「ヘッ、冗談だよ。安心しろよ」


 笑いながら支払って、店を出る。夏休みは、まだ始まったばかり。

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