「京助は、限界を超えて魔力を使った」
話題の彼が眠るベッドの横で、小路が永良に向かって説明した。風花もいる。
「そんなの、できるんですか」
「
「どれくらいかかるんすか」
「わからない。だが、短くとも一週間は魔術が使えないだろう」
弱さ。永良はその一言を噛み締めた。奥歯が軋む。
「マジかよ……」
絞りだしたような声が聞こえてきて、彼は病人に視線を向けた。京助が、目を開いている。
「杉林!」
「でかい声出すな。頭に響く」
額に手を当てながら上体を起こす同僚を手伝おうとする彼だが、にべもなく断られた。
「暫く小鳥遊一人だ。やれるのか?」
「安心しろって。これでも結構鍛えたんだぜ」
明るく笑って見せるその顔が、京助には眩しい。
「隊長、二人にしてもらえますか」
「わかった」
小路が風花を連れて行ったのを認めて、彼は隣の同級生に控えめな視線を送った。
「正直、お前のことを見下していた」
ベッドの上、毛布に目を落とす。
「ド素人が首を突っ込みやがって、と思っていた。だが、お前は強くなれる。もしかしたら、俺以上に」
「ないない。お前みたいに便利なヴィジョン持ってるわけじゃねえんだし」
軽薄な態度の永良は、手を振りながら言う。
「俺も杉林いなかったら死んでたよ。ま、お互い様ってことだ」
彼は同級生の背中を叩いて笑う。何度も、何度も。
「頭に響くって言ってるだろ。二回同じことを言わせるな」
京助が呆れていると、病室の戸が開いた。
「起きられたんですね」
ナースが血圧や血中酸素飽和度を計測し、PHSで医者を呼ぶ。すぐに来た。若い男だった。
「肉体的に異常はありませんから、今日一日様子を見て明日退院としましょう」
どこか淡々とした態度で医者は述べる。
「何か、気を付けることはありますか」
「いえ。至って健康ですから。それでは」
冷たく彼は去った。ナースも困った顔で頭を下げながら出ていった。
「頭、怪我してたんじゃねえの? 医療魔術使ったって、そんなすぐ治るもんか?」
包帯も絆創膏も、そこには見当たらない。
「隊長が腕のいい人を担当させたんだろう。ありがたい限りだ」
「俺も医療魔術使えるようになれねえかな」
「容易い道じゃないぞ」
紋は絶対的な存在ではない。得意不得意を決めるものであって、可能不可能を決めるわけでないということだ。だが、医療魔術は特別である。
「魔術を使った治療は二種類。肉体の正確なイメージを掴んで魔力体を構成、肉体になじませていくのが一つ。基本はこっちだ。もう一つは、肉体の形を魂に合わせて無理やり変形させる方法。そもそも魂を知覚できる人間はほとんどいないからな、こっちの手段は基本的にあり得ない」
「じゃあ、杉林を治したのは?」
「前者だろうな。少し違和感がある」
「それと、魂を知覚するってどうやったらできるようになるんだよ」
「……俺も知らされていない。隊長に訊いたことがあるが、教えてくれなかった」
「だよなあ。俺の時もはぐらかされたよ」
京助は永良の肩越しに空を見た。原色を塗りたくったような中に、入道雲が遠くに現れている。
「明日、ラーメン行かね? 奢るからさ」
「急だな」
「単独任務成功祝いだよ、何でも頼んでいいぜ」
「そうか。楽しみにしておく」
永良は、相手の頬が緩んだように思えた。
「なんだ、見つめるな」
「いやさ、お前、そんな顔するんだなって」
「はあ?」
要領を得ない、と言いたげな顔で京助は横になる。
「寝る。出ていけ」
「はいはい、おやすみ」
立ち上がり、扉に手を掛けたところで永良は止まる。
「なんで、あんなことしたんだ」
「あんなこと?」
「自分だけ死のうとしただろ。二人だけで戦うことだって出来たはずだ」
「ほとんど動けない奴が来たところで一緒に死ぬだけだ。俺は、正しい判断をしたと思っている」
「……そうかい」
その言葉を最後に、出た。命を捨てる覚悟。自分にはないもの。勇気なのだろうかと思う。
「違うな」
それを小路に問えば、そう答えた。車に戻ってのことだった。
「そうするしかない、という状況に置かれた人間の、最期の足掻きだ。二級だから祓えたものの、これが一級であればわからなかっただろう」
「隊長は一級祓ったことあるんすか?」
「何体かある。そう発生するものじゃないがな。地方によっては、一生遭わないで済むこともあるようだが、残念ながらここは魔境だ」
ヒュウッ、と永良は運転席に向けて口笛を吹く。
「詳しく聞かせてくださいよ、どんな悪霊だったんすか?」
「ちょうど二十年前になるか、四条事件で大量に発生された悪霊の中に、一級が混ざっていた。色々と魔導式も組み込まれていたな」
「その時、何歳だったんです?」
「十八だな。高校最後の夏休みだった」
天才もいるものだな──彼の感想はそれに尽きた。今十六の二人で、二級相手に死にかけたというのに。
「永良、自分を捨てるような判断はするなよ。人生は長い。使い潰すには、お前は若すぎる」
「それ、杉林にも言ってやってくださいよ」
「言うさ。
「きょ……?」
永良と風花は同時に疑問を呈した。
「虚獄。結界術の一種だな。紋に基づくルールを付与した結界を展開し、自分に有利な空間を作り出す。京助の場合は魔力の後払いと、出現させられる戦闘機の増加になる」
「俺にもできるようになりますかね」
「さあな。結界術の習得を始めるなら付き合うぞ」
「ヘヘ、もうちょっと魔力操作に慣れたらお願いします」
後頭部を掻きながら彼は言った。
「ねえ、小鳥遊くん。杉林くんとはどんな話したの?」
「明日ラーメン奢るって約束した。白鳥も来る?」
「豚骨ならいいよ」
「長浜ラーメンだよ。豚骨派なんだ」
「豚骨以外はラーメンじゃないからね」
過激派って本当にいるんだ──その反応は心の中に仕舞っておいた。過激派は自分が過激派だと指摘されると否定したがるものだ。自分は普通、だと。
「東京行く前には福岡にいてさ。だから好きなの」
『好き』という言葉が自分に向かっていればどれほどよかったか。彼の思春期の自意識がそんなことを考えさせる。
「隊長、虚獄使えるんすか?」
少し振り払いたくなって、質問を投げた。
「使える。発動するとすれば……埒外相手だろうな」
「埒外、祓えます?」
「一度、祓ったことがある。二度目はあってほしくないな」
「緊急出動。悪霊の活動を検知。等級は……埒外です」
小路がアクセルを全開にし、サイレンを鳴らす。
「埒外だと。なぜ今まで気づかなかった!」
「それについてはわたくしが解説しますわ」
郭の声。
「もともと三級悪霊程度の反応だったものが、急激に魔力を増幅。何らかの手段で膨大な魔力を取り込んだのだと思いますわ」
「わかった。永良、お前は風花を連れて基地に戻れ。いても死ぬだけだ」
「……了解」
二人を降ろした後、立体映像に導かれるまま、パトカーは走る。
「ホシは山の中か。俺を、誘っている……?」
車で三十分。山道に入り、更に五分。背中を冷たい手が撫ぜるような感覚に襲われた彼は、車を停めた。
「出てこい!」
外に出て、声を張り上げた。薄雲のかかった空に、消えていく。
「グイーヒッヒ……」
奇妙な笑い声が聞こえてきたと思えば、森の中から人型の悪霊が飛び出してきた。灰色の肌に、赤い血管のようなものが走っている見た目だった。管の中を駆け巡っているのは、しかし、炎であった。
「わざわざこんなところで、何をするつもりだ」
「ヒッヒッヒ……町のど真ん中じゃ本気を出せないだろ?」
人語を操る。知性のある悪霊は、大抵その代償として魔力をあまり持たないが、目の前のこれは違う。彼は克明にそれを感じ取った。
「オレッチは
「その余裕、すぐに剥がしてやろう」
埒外同士の戦いが、始まる。