紲が倒れている。昼前の高く上がった太陽の下、その傍で永良が叫ぶ。
「白鳥、早く!」
「ヴィジョンは使うなって──」
「俺も一緒に怒られる! だから!」
唾を飲んだ風花の傍に、青い肌と白い髪を有する女性が現れる。そして、紲に触れた。
「見せたねえ!」
それを見ていた金髪金眼の男女のうち、男の方が叫んだ。これは、少し未来のこと──。
◆
黒柴のテツジンを連れて、永良が白鳥家宅を訪れる。そこには京助もいた。
「なんでいんだよ」
「おい」
同時に口を開く。それがどうにも気恥ずかしく、二人して視線を逃がした。その間、テツジンは見知らぬ男を警戒していた。
「……お前の家を聞くのを忘れていたんだ」
「聞けよ。友達登録したろ」
「仕事以外で連絡したことがなくてな、その、勝手がわからなかった」
「『チョリーッス、住所教えてくんね?』くらいでいいんだよ、そういうの」
「チョ……?」
困惑する京助を無視して、彼はインターホンを鳴らした。
「小鳥遊でーす」
「いつもごめんなさいね」
「いえいえ、お気になさらず」
顔も碌に見たことがない相手にこうも気安くいられる彼を、京助は理解しかねていた。人とは、もっと距離を取り合う生物なのではないか。簡単に踏み込んでしまっていいものなのだろうか。いや、それ以上に……と思考が進みかけたところで風花が出てきた。
「やっほ」
破顔して出迎える永良。彼が風花の私服に対して抱いた印象は、活発の一言だ。ホットパンツから覗く脚が眩しくて、女性というものをあまり意識してこなかったツケが回ってきたように感じた。
「宝彩とはどこで合流すんの?」
飼い犬は彼女に対しては敵意を見せない。その違いがどこにあるのか、と京助は考えてしまう。そして、それが無駄だという結論に至った。
「もうすぐ来るって言ってたけど……」
そこで、彼女の携帯霊話機──小型の通信機器が鳴った。
「もしもし、紲ちゃん?」
「た、助けて!」
「え?」
「いっぱい人が死んで、風花ちゃんが来ないと私も殺すって!」
それと同時に、他の二人の携帯も震える。駅の近くにある通りで大量殺人。実行犯は、二人組の魔術師。
「一番近いのは俺たちだ。行くぞ」
京助がそう言ったので、永良は頷く。
「白鳥は家の中にいて」
「ダメ。私が行かないと紲ちゃんが死んじゃう」
「……どうする?」
ほんの僅かな間思考した京助は、通話を始めた。
「──後から隊長も来る。今は二人で移動するぞ」
彼は両腕を伸ばし、それを滑走路としてヴィジョンを発進させる。
「先に行け。合流する」
戦闘機の下についているフックにぶら下がって、永良と風花は戦場に向かった。
現場は、惨憺たるものだった。萎びたような死体が十ほど。加えて、首から上が吹き飛んだ死体も十ほど。その中心では右手に剣を持った金髪金眼の、口角を吊り上げた男が紲の首に刃を突きつけていた。男の左腕には、腕時計にしては大振りな、何らかのデバイスが装着してあった。
「来たかよ、SMT」
「離せ」
怒りを隠さない声で永良が迫る。
「やなこった……
男が叫ぶと、その背後からヌッ、と彼と同じ色の髪と瞳を有する女が現れた。女の方は高校生か大学生といった見た目だった。
「はい、
咲と呼ばれた彼女は、恐怖に固まった絆を受け取る。そして、胸より上しかない、紅に染まった三対の翼を持つ天使のようなヴィジョンが現れた。
「こいつのヴィジョン、
永良は指を鳴らして刀を呼び寄せる。
「何とか言えよ、友達なんだろ?」
「宝彩を離せ」
「そればっかかよ。咲、やれ」
ヴィジョンが彼女を抱きしめようとする。彼は素早く刀を抜いて走り寄るも、供華のラリアットを顔面に食らう。
「相手してやるよ」
バク転して衝撃を逃した彼に、供華は剣を向ける。その武器は中国風のものだ。黄色い飾りが下がる赤い柄に、細長い刃。
「俺は虹川供華。あっちは妹の咲。ま、どうでもいいか。これから死ぬからな」
見れば見るほど供華という男は苛つく見た目をしている──それが、彼の抱いた感想だ。貼り付けたような笑みに、大きく見開かれた目。狂気、という滅多に使わない語彙も出てきた。
「とっとと殺して幸音を貰っていくぜ」
斬り結んだ時、絶叫を聞く。紲が抱かれて、地面に伏したのだ。
「白鳥!」
数歩後退って、呼ぶ。
「宝彩にヴィジョンを使うんだ! 治せるんだろ⁉」
だが、彼女は躊躇っていた。
「白鳥、早く!」
「ヴィジョンは使うなって──」
「俺も一緒に怒られる! だから!」
彼女とて、目の前で命が散ってほしいとは思っていない。怒られるだけならば、それで救える者がいるのならば、進むべきだ。
そう決意した傍に、ヴィジョンが現れる。青い肌に、白い髪。胴体には巨大な砂時計が埋め込まれている。
時刻は十時二十五分。十分も過去に戻せば問題ないだろう、と彼女は推測する。触れた後、能力を発動した。穏やかな光が紲を包み、少し膨張していた頭が縮小していく。
それが現実的にどのような事実を齎すのか、ということを考える暇は、永良にはなかった。ただ、過度に攻撃的な供華の斬撃を捌くことで手一杯だった。
最適な刀の構え方は刀自身が教えてくれる。そこに喧嘩の経験を組み合わせることで傷は受けていない。だが、いつまでもそうしているわけにはいかないことも理解していた。
攻めたい。が、できない。
供華が得物を振り上げる。咄嗟の判断で防御に動く──も、腹に膝が入った。一瞬息が止まる。そのまま殴り飛ばされ、彼もまた地面に転がった。
「喧嘩はしても殺しはしたことねえんだな。いいか、プロを舐めるんじゃねえ」
近づいてくる敵。
「苦しんで死ぬことになるぜ」
高く剣を投げ上げた後、それを逆手で掴んだ供華は、しかし、急所ではなく左肩を刺した。
「俺の剣は毒を纏っている。人間の魂を侵し、その生命力を削る毒がな。あばよ」
背を向けて胸ポケットから煙草を取り出した彼の期待と自信と確信とは裏腹に、永良は立ち上がる。
「痛いだけじゃん。毒がなんだって?」
「なっ……!」
供華の脳裏で、様々な推測が駆け巡る。だが、弾き出された結論は、『あり得ない』の一言だった。
(俺の毒は肉体に作用するものじゃない。魂への干渉が結果的に肉体に反映されるだけ。どんなに毒に強かろうが、平気なはずが……⁉)
先ほどまで笑っていた永良の顔に、その面影はない。
「何人殺した」
「さあ。一々数えると思うか?」
正眼に構えた彼の表情に、苦悶が浮かぶ。殺すか、殺さないか。捕まえてもどうせ死刑だ、とは分かっているものの、殺人の恐怖が手を震わせる。
「やるならやれよ。大人になりな」
が、しかし。供華の方も攻め方を考えなければならなかった。毒が効かないのであれば首なり胸なりを刺すことになるが、何がそうさせるのか、永良は的確に攻撃を防ぐ。
(あの刀、魔導具か? 最適な行動を提示するもの。素人のガキでも戦えるようにできるってのは、空恐ろしいな)
腰を落とし、唇を舐める。
(だが、結局は子供だ。覚悟ってものがねえ!)
力強く踏み込み。一閃。刀を取り落とさせ、止め──と振り上げた瞬間、戦闘機が彼の右肩に衝突し、腕を吹き飛ばした。
「杉林……!」
供華は素早く右腕を再生させ、戦場に到着した美少年を睨んだ。
「小鳥遊、俺はもう限界だ」
自嘲を顔に見せながら京助は言う。脂汗を垂らす彼の後ろには、白黒の車が停まっている。
「後は隊長に任せろ」
パトカーから降りてきた小路。
「咲! 撤退だ。間小路には勝てねえ」
供華はポケットから取り出したUSBメモリ然としたものを、左腕のデバイスに差し込んだ。
「また来るぜ」
その言葉を最後に、二人は消えた。残されたのは、死。