永良は真新しい家のインターホンを鳴らした。
「はい、白鳥です」
風花のものではない、少し年を取った女の声。
「小鳥遊です。娘さんを迎えに来ました」
「ああ、SMTの方ですね。呼んできますので、少々お待ちください」
真っ青な夏空が頭上に広がっている。それだけなら随分とありふれたものだが、隣にいる嫌な同僚の存在が、その青さに少し水を差す。
「なんでお前もいるんだよ」
彼は口を尖らせて言った。
「悪霊を祓えない奴に単独任務を任せるわけないだろ」
「じゃあ教えてくれよ。でっけえヴィジョンの出し方」
「一朝一夕に身に付くものじゃない。地道な反復が最短だ」
「ケッ……」
何も気にしていません、あなたのことなど興味ありません──そんな態度の京助を、やはり彼は受け入れられないでいる。
「そういうお前はどうやってヴィジョン手に入れたんだよ」
「通常、ヴィジョンは生来持っているものだ。赤子が歩き方を覚えるみたいに、徐々に制御できるようになっていく。だから小学校に上がる頃には出し入れも自在になる。だが、お前は違うだろ。何年前だか知らないが、我流の戦い方のせいで正しい扱いを覚えられていない。はっきり言って、足手まといだ」
一つ聞いたら一つの答えに一つの罵倒を付け加えてくる。一生かけてもわかり合えないだろう、という観測を以て彼は京助から視線を外した。
「ごめん、待った?」
黒茶色の扉が開いて、風花が現れる。灰色のシャツと青いタイの制服だ。一応、永良たちも見た目上は同じだが、それは魔術で偽装された姿。悪霊や魔術師が確認されれば、瞬時に黒に赤いラインの入った服に切り替わる。
「これはこれはお嬢様……」
お道化た動きで頭を下げる彼の尻を、京助が蹴った。
「んだよ」
「ふざけるな」
犬の糞でも踏みつけたかのような顔を見せた後、永良は風花に笑いかける。
「行こうぜ」
学校までは歩いて向かう。警察が車を手配することも案として出されたが、目立つ方が問題だという判断が下された。結果、至って普通の、連れ立って登校する仲良しグループの振りをするのだった。
「小鳥遊くんさ、お腹、もたれてない?」
「あんなの何でもない。むしろ食い足りないかな」
「すごいや」
彼女の背丈は百四十センチ台前半だ。ちんまりとした、小動物的な印象を永良は受けるが、一方で膨らむべきところはしっかりと膨らんでいた。
「えっち」
そんな視線を感じ取ったのか、風花がそう言った。
「うっせ」
少し赤らんだ頬。自分も男だな、と再確認しながら歩いていった。
「そういや、杉林も教室で護衛するのか?」
「馴れ馴れしく呼ぶな」
業務上のやり取りだろうが、という文句はぐっと押し込めて、溜息交じりに永良は次の文章を探す。
「授業参観みたいにずっと教室の後ろにいるのか、って話だよ」
「表面上は転校生として授業を受ける。ここでもお前と同級生になるということだ」
「友達できねえだろうけど、頑張れよ」
魔術科について、三人は必要以上の情報を開示しないよう指示を受けている。要は普通の学生らしくしていろ、という命令だったが、京助にとって、それは簡単な任務ではなかった。
「はい、すみません」
ネクタイの緩さを指摘された彼は、謝罪しながら自分より大きな教師を睨みつけた。
「ててて、転校初日からそんな態度とは……」
教師は動揺しながら叱ろうとするが、彼の見せる凄みを直視して黙ってしまった。
「ゴホン。いや、素直に謝れるのは美徳だな。以後気を付けるように」
でっぷりとした肉体の禿教師は廊下の奥に歩いていく。教室の目の前で起こっていた事だ。
「お前、やるなあ」
浅黒い肌の少年が声を掛けた。
「別に。普通にしていただけだ」
タイを締めて教室に入ろうとした彼の頭を、黒いバインダーが叩く。
「年上を睨むなよ。いつか返ってくるからな」
「……それはどうも」
斗真は脱力した顔で教卓の前に立つと、京助を呼んだ。
「お前ら喜べ、二人目の転校生だ。ほら、名乗れ」
「杉林京助。別に馴れ合うつもりはない」
後ろの席からぼんやりと彼を眺めていた永良は、女子が俄かに騒がしくなるのを聞く。
(顔だけはいいんだよな、コイツ)
認めたくはないが、事実だ。自分より何倍も。
「席は……小鳥遊の前だな。小鳥遊、仲良くしてやってくれよ、友達だって聞いたぞ」
「ゲッ」
車にカエルが踏み潰されるような声が出た。
「なんだ、違うのか? 今日は三人で来たんだろ?」
「まあ……最高のダチだな。いつだって頼ってくれていいんだぜ」
「逆だろ」
京助は冷たく言い放ち、席へ。
「よろしくね」
笑いかける風花の顔が隣で輝く。永良はそれを独り占めしたい気持ちになった。
(俺って、意外と面倒なのか?)
付き合ってもいない相手だ、そうやって想いを募らせるのは間違いだという認識は持ちつつ、黒板を見た。
昼休み。食堂に向かおうと席を立った京助を、永良が呼び止めた。
「弁当、作ってきたぜ」
「は?」
「お前は確かにいけすかないし、気に食わないけどさ、いつまでも喧嘩してるわけにもいかねえだろ。だから、一緒に飯食おうぜ」
「勝手に食ってろ──」
彼はそう言い残して去ろうとしたところ、風花に手を掴まれた。
「私からもお願い。三人で食べようよ」
護衛対象から離れるのもよくないな、と思い直した彼は椅子に座る。
「小鳥遊くん、料理できるんだね」
「保護者が家事全然できないから、やるしかなかったんだ。毎日カプヌー食うような生活はしたくないし」
「カップヌードルのことカプヌーって略さないだろ」
「言わねえの?」
呆れながら銀色の弁当箱の蓋を開けた京助は、その彩に驚いた。野菜も肉もバランスよく入ったおかずの段と、麦飯が敷き詰められた段。海苔と卵のふりかけもついている。
「……正直、期待してなかった」
「よく言われる。でも、美味いぜ」
鶏の檸檬焼き。ピーマンのツナの炒め物。保冷剤代わりに袋に包んであった冷凍ゼリー。完食した彼の眼には、涙があった。
「うえ、急に泣くなよ」
「何て言うか……美味かったよ。久しぶりだ、弁当作ってもらうの」
「じゃ、これでダチだ」
永良の突き出した拳。その意図を量ることに暫し時間を置きつつも、京助はそれに自分の拳をぶつけた。
「お前、家族は? 保護者ってことはいないのか?」
ペットボトルのカフェオレを飲みながら、京助が訊く。
「いないな。俺の両親さ、駆け落ちしたんだよ。それで、何か知らねえけど俺が生まれてすぐ死んじまった。でも、どっちの親戚も俺を引き取ってくれなかった。だけど、リョウっておっさんが名乗りを上げてくれたんだ」
「俺は、両親を悪霊に殺された。姉さんはその時の傷で寝たきりだ。だから、強くならなきゃならない。第二の父さんを、母さんを、姉さんを生み出すわけにはいかない」
「お互い大変だな」
「ああ、長生きしよう」
「ちょっと、置いてけぼりなんだけど」
頬を膨らませた風花が苦言を呈する。
「白鳥はこの町好きになった?」
スプライト片手に永良が問う。
「まだ二日目だよ? でも、雰囲気はいいかも。小鳥遊くんにも会えたし」
瞬間、彼はどぎまぎする。
(わかりやすいな、こいつ)
口に出さずとも、京助の心情は表情に現れる。
「なんか失礼なこと考えてるだろ」
「いや、全然」
そのやり取りの傍観者に徹していた風花が、笑い出す。教室の視線が集まる。
「んだよ」
「何が可笑しい」
「いや、すぐ仲良くなったのが面白くて。やっぱりご飯の力ってすごいね。ねね、今度私のも作ってよ」
「三人分? ま、ちょっと買い物増やせばなんとかなるか。オッケー、来週の月曜は持ってくる」
「ありがと」
彼女は永良の飲み物を奪い取り、飲み口に触れないようにして飲む。
「今日さ、三人だけでご飯行かない?」
「いいけど、なんで?」
「私たち三人が仲良くなった記念に。杉林くんも、いいよね?」
「俺が行きたいかどうかじゃないだろ」
「エヘヘ、そうだよね。じゃ、そういうことで」
炭酸飲料を返した風花が女子の集団と合流した。
「見とけよ」
そう言い残して京助は再び立つ。
「どこ行くんだよ」
「厠」
厠、なんて言葉を現実で使う人間を初めて見た永良は、ただ呆気にとられた。空になった弁当箱を片付けていると、頭に固い感触。
「転校生、どっちも仲良くできてるみたいだな」
斗真だった。
「にくちゃん、頭叩くのやめてよ」
「叩きやすい位置にあったんでな。どうだ、白鳥に惚れたりしたか?」
「別に……いいじゃん。そんなこと」
口ではそう言っても、彼は相手の目を直視できないでいた。
「話は聞いてる。怪我はするなよ」
「俺──いや、にくちゃんに言っても仕方ないか」
「聞かせろよ」
「ホントに大丈夫だから。ちゃんと……命の重さを知ってる人に話したい」
「俺は知らないってことか?」
「そういうわけじゃないけどさ、話したら、こっちの道に引きずり込みそうなんだ」
斗真の長い指が彼の髪を崩す。
「俺はいつだってお前が学校に来るのを待ってる。それは忘れないでくれよ」
教師は別の生徒に呼ばれて、そちらの方に向かった。教室の隅、一人になった彼は昨晩見た夢を思い出す。首を引っこ抜かれたあの女の子の姿を。だから目を閉じたくない。瞬きさえも厭う。いつまでも、いつまでも風花を見ていたかった。
◆
ディーゼル車が駅のホームで乗客を吐き出す。ヴィヴィットな色に髪を染めた夫婦もその中に。
「行くわよ、新狼」
「ああ、新府」
敵は来る。その事実に、少年たちは気づけないでいた。