「ごめんね、小鳥遊くん」
パトカーの後部座席で、風花がそう謝罪した。
「私に関わったばっかりに、こんなことになっちゃって」
「俺は約束したんだ。この力で人を助ける、って」
「約束?」
彼女の視線を受けた永良は、そちらを向く。そして、俯いた。
「大切な親友との約束だ。この力をくれた、親友との」
「それは興味深いな。ヴィジョンの譲渡は、そう簡単にできるものじゃない」
助手席の小路が振り向かずに言う。
「ヴィジョンとは魂に刻まれた力……無理に与えれば死に至る代物。よほど強い絆で結ばれていたんだな」
赤信号に引っかかる。
「そして、君も恵まれている。紋が刻まれていなかったんだな」
紋というのは、魂に備わる魔術の設計図のようなものだ。魔術の得手不得手を決定する、重要な存在。ヴィジョンはその紋が齎す魔術の一つである。
「紋があったら、どうなってたんですか?」
永良は恐る恐る問うた。
「紋同士が反発作用を起こして、魂が崩壊していただろう。そうなれば、肉体も呼応して、濡れた紙のようにグズグズになってしまう。運がよかったな」
突きつけられた可能性に、二人は黙る。チラチラと目を合わせ、次の言葉を探していた。同時に口を開こうとした、その時。
「コード〇一。悪霊発生。等級は三級相当と推定。迅速に対処されたし」
無線が鳴る。
「こちらラビットワン。了解した。現場に急行する」
ダッシュボードの上に地図が投影される。赤い点が輝き、運転手を誘導していた。
「永良、お前の実力を見せてもらうぞ。弱らせればいい、止めは俺が刺す」
「やってやりますよ」
現場に到着。小さな公園で、四本腕の、紫色の体液を垂れ流す男の形をした悪霊が女の子を押さえつけていた。彼女は五歳程度だろうか。ありあふれた正義感に駆られた永良は素早くパトカーから飛び降りた。
「その子を放せ!」
声をかけるも、悪霊は異音を鳴らすのみ。
「悪霊と交渉するな。遠慮なく祓え」
小路の助言を受けて、彼は走り出す。心臓から羽ばたいた鳥を、右腕に止まらせる。
「インヴィ──」
相手を間合いに捉えたと確信して、構えに入る。一撃で決めてやる、と思った。だが、悪霊が女の子の首を引き抜いたのを見て、足が止まってしまった。
「止まるな!」
その一声も空しく、彼は殴り飛ばされる。フェンスにぶつかったその肉体に、追撃。腹に拳がめり込み、内容物が吐き出される。
ふらつく足で進む永良。痛み。不良との喧嘩だとか、人に隠れた賢い悪霊だとか、そういうものとは全く異質の力だった。何の遠慮もなく、ただ殺すための暴力。
「この……」
ヴィジョンを使う。すると、首のない死体が視界に入った。フッ、と体から力が抜けて崩れ落ちる。自分もああなるかもしれない。その恐怖が実体を持って襲ってくる。
「チッ……駄目か。俺が──」
そう言って小路は車から降りようとしたが、その必要はなかった。上空から飛来したプラモデルのような大きさの灰色の戦闘機が、その機銃で悪霊を引き裂いたのだ。
「こちらラビットスリー。現着。祓魔完了。次の指示を乞う」
機関砲を放ったものと同型の戦闘機にぶら下がり、永良と変わらないであろう少年が淡々とした口調でインカムに声を流し込んでいる。
「……こちらラビットワン。よくやった」
少年は永良の前に降り立ち、冷たい目で見下ろした。彼の服装は、黒地に赤いラインの入ったものだ。警察というよりも軍人に近い。
「隊長、これは?」
「『これ』って、物みたいに言うなよ」
そんな反駁も気に留めず、少年は小路が来るのを待っていた。
「新人だ。小鳥遊永良。芯持高校の一年だ」
「ああ、色んな不良とか悪霊とかに突っかかってる馬鹿ですか。噂は聞いてます」
「馬鹿⁉」
手が出そうになったが、永良は動けない。
「名乗っておけ、これから同僚になるんだからな」
「
「なっ……!」
見かねた小路が間に入り、永良を担ぎ上げる。
「俺は帰って手続きをしてくる。事後処理は任せた」
「了解。頼みます」
走り去る車を見送って、京助は溜息を零した。
◆
「これで、君もSMTだ。コールサインはラビットフォーになるな」
京助と同じ制服を着た永良は、胸に着いた金色の鷹の紋章を触った。小路の隊長としての執務室、赤い絨毯の上での出来事だった。隊長の机の上には、柔らかな笑顔を湛えた女性の写真が飾られている。
「先んじて説明したように、君は芯持学院の普通科から、魔術科に転入することになる。上手くやってくれ」
「うまく、って言ったって……」
「隔絶されるわけじゃない。君の当分の任務は白鳥風花の護衛だからな」
黒い椅子の上で小路は淡々と語る。
「ここ数か月、悪霊の出現頻度が増している。君は早急に戦力となってもらいたい。というわけで、早速だが訓練といこう」
「訓練?」
立ち上がった彼は、扉を開いた。
「何も不思議ではないだろう。魔力の操作を精密に行わなければ真の意味での祓魔はできないからな」
案内されたのは、体育館のような場所。白い壁に茶色い床。やたらと広い。
「悪霊を完全に祓うには、かなりの魔力が必要になる」
小路が指を鳴らすと、先程祓ったものと同じ形をした悪霊が現れた。
「魔力を纏った攻撃、というのが前提にあるが、それ以上に魂を捉えた攻撃というのが重要だ。それが上手くいかなければ……」
「いかなければ?」
「悪霊の魔力を拡散させ、更なる悪霊の発生に繋がる」
「じゃあ、俺が今までやってたことって……」
「俺たちの仕事を余計に増やしていただけだな」
永良の顔がサアッと青くなる。
「緊急避難だった、とは認知している。罪に問われることはないさ。あの時は君が逃げないよう脅すようなことを言ったがな」
胸を撫で下ろす。つまり、お咎めなし。
「さて、訓練の話をしようか。アレを完全に消し去るんだ。ヴィジョンの攻撃は基本的に魂に干渉するものだが、君は自分の体に纏わせているから、ただの打撃と一緒だ」
「えっと……つまり?」
「ヴィジョン単体での攻撃をできるようにならなければならない。鳥を出してみるんだ」
永良は慣れた感覚で体に力を込める。心臓から一羽の小鳥が羽搏いた。
「それっぽちか……」
その失望の一声が、彼の心に突き刺さる。
「もっと大きくできないか?」
「ええ!?」
困惑しつつも彼は鳥に意識を向ける。が、イメージが掴めない。そもそも鳥を鳥のまま維持した経験がない。そんな彼に、鳥を育てるなど無理だった。
「基礎的な魔力操作からになるか。よし、とことん付き合ってやろう。いいか──」
──そうして、三時間。悪霊は小路に祓われ消えていた。小鳥は鶏程度の大きさまで成長したが、それだけだ。永良の息は荒く、最早動くことすら叶わないほど。
「ヴィジョンがないんだな」
その様子を見た小路は、ふと思いついた言葉を発した。
「あるじゃないですか」
「いや、未来への展望という意味だ。自分はこうなりたい、こうあるべきという考えが、ヴィジョンのあり方を定義する」
「そう言う隊長はヴィジョンあるんすか」
「ああ、出せる。出さないだけだ」
「……?」
「ヴィジョンの実体化には相応の魔力が必要になる。俺の紋は単純だからな……出力を少しでも上げたいんだ」
わかったようなわからないような、キョトンとした表情で永良は聞いていた。
「ヴィジョン使わないなら、どうやって悪霊倒すんですか? あの……杉林とかいうのに任せるんですか?」
「俺は魂を認識できる。銃でもナイフでも、それこそ鉛筆でも悪霊を祓える」
「それ教えてくださいよ、そしたらヴィジョンがなくたっていいんでしょ?」
「口で言っても理解できるものではない。自然と体得する時が来るかもしれんが……いや、来ない方がいいな」
「思わせぶりな言い方やめてくださいよ」
訓練場の自動ドアが静かに開く。
「まだ続けてたんですか」
京助だ。制服はパリッと仕上げてあり、永良としては、改めてみると美少年だなという感想を抱いた。
「見つめんじゃねえ。迷惑なうえにキモいのか?」
「何だとこの野郎」
「喧嘩をするな。命を預け合うんだぞ」
小路の一言を受けて、京助は役立たずの同級生から目を逸らした。
「先程の悪霊、関係各所に連絡しました。しかし、多くないですか」
「ああ、奇妙だ。この四月から七月で、去年と同数の悪霊が発生している。何者かが悪霊を……いや、そんな筈は……」
二人は小路の懸念に考えが及ばないでいる。
「確かに死んだ。あり得ん」
「誰が?」
「気にするな。こっちの話だ」
パン、と手を叩いた小路は、軽く笑って二人を見た。
「新入りが来たからな、奢ってやろう。何が食いたい」
「ステーキ!」
すぐさま答えた永良に、京助は軽蔑の視線を送る。
「いいだろう。行きつけの店がある」
「俺は遠慮します」
「来い。これは命令だ」
「……わかりましたよ」