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第49話 見えているようで見えてない気持ち

ご機嫌な湊はお気に入りの音楽をつけながら、台所で料理し始めた。

今日は手の込んだタコのカルパッチョで作ってみるかとスーパーで売っていた特売のタコを細かく切る。


あとは、奮発してA5ランクの牛肉を買ってきたため、ステーキにでもしようかなと考えていた。部屋に鼻歌が響く。持っていた菜箸をドラムのように小刻みにたたいていた。にんにくが入っていた小瓶が1番叩きやすいなと満足する。ガチャと玄関が開く音がした。杏菜が帰ってきたようだ。


「おかえりー」

「……」



 杏菜は台所にいた湊が変にご機嫌で不思議に思った。つんと鼻につく匂いが気になった。湊にそっと近づいて、くんくんと匂いを確かめる。


「な、なんだよ」

「髪、すごい匂う」

「あー、目で見えなくても匂いには敏感だもんね。そうだよ、美容院で髪染めてきたから」

「……なんで。大学の研究は?」

「え、だって、俺、もう行く必要ないかなって、あと就活して卒論書いて終わりだし、残り少ない大学生活満喫しようと思ってさ」

「それって、何色?」

「金髪に決まってるだろうが。俺のトレードマークは今だけだしな。まあまあ、杏菜には関係ないし、いいだろ」

「え? 金髪? もう大学で研究しないの? 就活なら尚更黒髪じゃないと

 いけないんじゃないの?」


 だんだん杏菜の口調がキツくなっている。何に興奮しているんだろう。


「好きで黒髪になったわけじゃないから俺は!! 大学生活はずっと金髪でいたかっただよ。遊びたかったし、バンド活動前半はやってたからそれで披露するのに髪色も派手にって思ってたし、ホストもしてたけどさ。俺は、杏菜の目のことで力注いできたけど、もう意味ないなって思ったからさ!!」


 だんだんイライラしてきている湊にぐさっと傷ついた。


「は? 何それ、んじゃ、大学生活が満喫できないのは私のせいだっていうの? そもそも、目が見えなくなったのはさー」

「あーー、あー、わかってるよ。俺のせいです。俺が悪いだよ。だからこうやって一緒に住んで介助もしてるしお金にも困らないようにしてるよな。目のことだって見えるようにって大学の研究室巻き込んで家電作ったのにいらないって言うだろ。今日だってヘルパーの堀込さんと一緒に過ごしてたよな、

 そしたらさ、俺って何のために一緒にいるわけ。どーせ俺のことなんて好きでもなんでもないんだろ、はじめから」


 呼吸が荒くなる。言いたかったことを今ここで言い切った気がした。でもそれが本当に自分がしたかったことなのかはわからない。湊は自分自身がどうしたいかなんて話してくうちにわからなくなってる。


「だって、最初にここに住んだときにルームシェアだって拒絶したのは

 湊でしょう!! 私は……。私は……!!」


 悔しかった。ずっと想っていたのに気づいてくれてない。本気だと思われてなかった。尻軽女とけなされても黙っていた。堀込と一度は寄り道をしたけれど、今では想像以上に一途だったはず。湊の一言で何もかもが崩れた気がした。涙がとまらない。目が見えないのにどこから出てるかなんてわかってはいるけど、本当に泣いているのだろうか。湊は自分の姿を見てどう思うのか。

もうその顔を確認することさえも嫌になる。ソファの上に置いた荷物をまた持って、玄関を飛び出した。杏菜が向かう方向に手を伸ばしたが、すぐにおろした。追いかけたところで自分が何ができる。自信をなくしていた。目標がかき消されていた。研究という言葉を言われただけで落ち込んだ。いらないと言ったのは杏菜の方だ。信じられなかった。



 ***


 杏菜は、涙を流し、白杖を持って行き慣れた近所の公園まで小走りで進んだ。


 イチョウの木が立ち並んでいる近くでは鳩がとことこと歩いていた。クルックーと鳴き声が聞こえてくる。気持ちを落ち着かせて、ベンチに座る。砂場やブランコで遊ぶ子供たちがいた。



 杏菜は、湊が金髪に染めてくるなんて思ってもみなかった。本当は心の底から嬉しかった。できることなら自分の目で確かめてみたかった。言い争いをして、素直にいえなかった。ぼんやりとしていたら落ち着いてきた。


 ふと耳を澄ましていると聞いたことある靴音が聞こえた。


 杏菜はその音は誰かと察して、静かに立ち上がり、来た道を戻った。匂いも知ってる。


 2m前後離れて歩いている。何も話さずに家に戻る。杏菜は先に、湊人は一定の距離をとったまま後ろをついていく。はたから見たらストーカーに勘違いされるんじゃないかという雰囲気だ。そう思う人は周りに誰1人いないのだが。

 玄関ドアがバタンとしまった。


「あのさ、もう、一緒に住むのやめようか」


 湊は、ごめんもなしに話を切り出した。靴を脱いで、部屋の中に行く杏菜に

 ついていく。


「そもそも好き同士なわけじゃないし、恋人でもないしな。杏菜も自立できてるわけだし。一緒に住む必要ないだろ?」


 好きなもの同士かどうかは確かめたことがないから。湊は自分自身をよく知らないようだ。杏菜は、突然湊の部屋にあったSEE GLASSESを持ち出して、装着してみた。湊はその行動にびっくりしてマジマジと見つめていた。


「見えるのか?」


 杏菜の目にはしっかりと金髪の湊の姿が映っていた。嬉しいはずなのにこれを望んでいたはずなのに。涙を流しながら言う。


「全然、見えてない。どこの誰もわからない」


 湊はものすごくがっかりした。杏菜から機械を外して、どこかおかしいか確かめる。研究しないと言いながら、不具合があると気になり始めるのはやっぱりまだ名残惜しいのだろう。杏菜はわざといじわるな返答をした。


 そっと杏菜は湊の腕をつかむ。

「見えるようにならないと意味ないよね」

「まぁ、確かに」


 湊は自然の流れで SEEGLASSESの研究がまた始まった。杏菜はそれを狙っていた。さっきまで言い争っていたのが嘘かのように空気が変わる。ソファの上に座って、じっとネジを回して機械の中を見始めた。湊の隣に座って、杏菜は肩を借りてこっくりと寝始めた。


「金髪の湊はかっこいいなぁ……」


 寝言のようにぼそっと話す。その言葉に大きく反応する湊は頬を赤らめて、熱心に半導体の機械に向き合っていた。


 今の時間はもう見えても見えてなくてもいいかなと思い始めた。ゆっくりとした時間が流れていた。



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