車やトラック、自転車、たくさんの人が行き交う交差点。クラクションが鳴り響く。歩行信号機の音が鳴る。カッコウの鳴き声だった。
白杖を持って、杏菜は、横断歩道を渡ろうとする。
「ちょ、そっちじゃない。こっちだから」
横断歩道でもたくさんあるようだ。杏菜は、湊に引っ張られて、結局、白杖もままならず、連れて行かれる。
向かった先は、ルミネtheよしもとのお笑いスタジオ。今日の芸人は、
見取り図・マヂカルラブリー・佐久間一行・ハイキングウォーキング
などテレビ出演している豪華なメンバーが予定されていた。
笑いこそ、元気なれる最高の薬だと湊は思っていた。
「ん?」
杏菜は、どこに行けばいいのと顔を右左と向けた。近くには誰もいない。さらに湊は左手にライブチケットを持って、受付に出していた。ネットでわざわざ予約していたようだった。
「2名様ですね。チケットお預かりします。中の方へどうぞ」
受付を済ませると杏菜を迎えに行こうとしたら、ロビーにはいなかった。
一瞬のことで焦ってしまう。1人でどこに行ったんだろう。
「杏菜?」
辺りを見渡したがいなかった。
杏菜は先に会場に入っていて、周りにいた観客に煙たがられていた。長い白杖を振りまわすのだから迷惑するだろう。映画館のような座席にカツンと白杖があたる。見かねた観客に声をかけられた。
「大丈夫ですか? こっちが座席ですよ」
声は若い。多分、男性。杏菜は、恥ずかしくなって、後退する。何も言えなかった。
「あ、すいません。連れがご迷惑をおかけしました」
湊が後ろから杏菜を見つけて、駆けつけて、杏菜の肩に触れる。
「大丈夫ですよ。ちょっと迷われていたようで……」
杏菜は、ものすごく恥をかいた気がして、客席内から飛び出した。助けようとした人は悪気がない。大の大人ができないだなんて、悔しかったのだろう。
「おい、今から始まるっていうのに……」
湊は舌打ちをして、走って杏菜を追いかけた。さっきの歩き方より早かった。一度通った道は覚えているようで早く歩けるようだ。ロビーに出た。
「なぁ、今から始まるんだぞ。聴かないのか」
杏菜は、首を大きく何度も横に振る。涙が流れる。ただ、ほんの一瞬の出来事にできないがあるだけで悔しがる。自信持ってできない。もうすぐ18歳で成人という括りにさしかかる。
満足に外出できない。プライドが邪魔する。湊はため息をつく。
「わかったよ。んじゃ、ここで待ってろ」
湊は、ロビーに1人杏菜を残してどこかに行ってしまった。せっかく取ったチケットを無駄にしてしまった。お笑い芸人の話を聴くことは嫌いではない。それよりもこの現状の方が辛い。外出するというストレスの方が優っていた。 湊は、せっかくこれから見ようとするモチベーションをどう平常心に保てばいいのかと気持ちの切り替えにトイレに行った。
洗面台で顔を洗う。いくら、どんなことをしてもよほどのことが無い限り怒らない湊でも、気持ちが揺らぐことがある。本当はお笑いを見たかった。でも、杏菜が見ないというのだから我慢するしかない。落ち着け落ち着けと言い聞かせた。
「なぁ、さっきの見たか。視覚障害者の女の人いたんだけどさ。俺の足に平気に杖ぶつけてきて謝りもしないの。良いよなぁ、気づかないで生活できるなんて羨ましいよ」
観客席にいたであろうお客さんの男性2人がトイレに入ってきた。杏菜のことだろうと勘づいたが、黙って聞いていた。
「でも見えないって大変じゃね? まぁ、大変なのもあるけど、年金もらえるんだろ。チケット割引とかきいてマジでうらやましいな。俺もどこか不自由になったら、割引になるのかな」
くすくすと笑いながら、用を足す2人の後ろを鬼の形相のような顔で通り過ぎる。いわゆる手を出さずに目で殺すってやつだ。障害者に対しての偏見は多いのは分かる。割引があるのはハンデがあるためであって、安く済ませたいからではない。モヤモヤした気持ちを持ったまま、杏菜のいる場所へ移動する。 壁によりかかって、また人混みに疲れていたのか立ったまま眠っていた。
もう、このままの状態でやり過ごすのは良くないと気持ちを切り替えて、次の目的地を目指した。一刻も早くあの機械を使って見えるようになってもらいたい。
「おい、杏菜。立ったまま、しかも目開けたまま寝るなよ。お前は金魚か」
肩をポンと触れる。口からよだれが垂れるのを必死で吸った。
「おいおい。ほら、ティッシュで拭けって」
急いで、バックからポケットティッシュを渡した。ふわっとしたものが手に触れる。口を勢いよく拭いた。目がこれでもかと見開いた。
「そんなに開いても見えてないんだろ。ったく、大袈裟なアクションするなよ」
「……」
無表情に戻す杏菜。少しずつであったが、表情が柔らかくなってきた。湊と杏菜は、お笑いライブ会場を後にした。スタジオの方からは悲しくも観客の笑い声が響いていた。