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第38話 見えない愛 闇を照らす絆

湊は、感情を出しきれない杏菜を病院へ連れて行った。


心療内科で診断された病名はうつ病だった。


将来に悲観して、日常生活に支障が出るほどの強い落ち込みがあり、意欲の低下があると医師が説明した。感情や、涙が出ないのはそのせいだと。


「笹山さん、最近、よく眠れてますか?」


 杏菜は、首を大きく横に振った。


「あと、食事は取れていますか?」


 また同じように首を横に振る。


「そうですね。今は、何をしているときが楽しいですか?」


 その医師の質問に杏菜は、何の反応をしなかった。


 横で荷物を持ちながら、様子を伺っていた湊は、なんでそうなってしまったんだろうと自責の念にかられた。


「付き添いの方に質問したいのですが……」

「あ、はい」

「最近、笹山さんの周辺で誰かが亡くなられたり、ペットが亡くなったとか

 ありますか?」

「い、いえ、そういうことはないですね。」

「そうですか。笹山さんにとって、何か強烈なストレスが起こってこうなってしまった可能性はありますね。そのストレスが解消されれば、回復していくと思いますよ。とりあえず、眠剤と強めの安定剤を出しておきます。また2週間後にいらしてくださいね。以上です」


 医師は、パソコンにカタカタと文字を打ち始めた。電子カルテに診断内容と処方薬を書き込んでいるようだ。


「ありがとうございました」


 湊は、杏菜の代わりに深くお辞儀をして、一緒に診察室を出た。杏菜は、湊のスーツの裾をくいっと引っ張った。


「……強いストレスって1人にしたことか?」


 杏菜は、湊の言葉に無反応だった。それだけじゃなさそうだ。

 ため息をついて、待合室で背伸びをする湊。


「全くよぉ。世話のやける杏菜だな。俺がいないと何もできないってこと

 ですか?」


 その言葉にも無反応だ。


「いいさ、いいさ。反応しなくても杏菜の気持ちを想像して、行動してやろうじゃないか」


 どんな言葉を発しても無反応の杏菜の手は、しっかりと湊のスーツの裾をつかんでいた。離れたくない気持ちだけは強かった。会計と処方箋を受け取った湊人は杏菜を誘導して、病院から調剤薬局に移動にした。


 まだ同居人の立場である2人は周りから見たら、交際同士なんだろうと思われるくらいべったりくっついていた。


 ****

 湊は、家に着いて、貰ってきた薬の確認と今日の食事の準備をし始めた。ガサガサと台所にビニール袋を運んだ。


 杏菜は、久しぶりの外出にどっと疲れたようで、リビングのソファに寝転んだ。


 今は、眠剤を飲まなくても疲れすぎているため、すぐ寝入ってしまいそうだ。


「杏菜、しっかり食べないと体重軽すぎるって言われてたぞ。何なら、食べられそうなんだ?」

「……」


 体を起こして、首を横に振る。


「食欲無いっていうのもわかるけどな。なんか無いのか、これがいいとか

 あれがいいとか」


 杏菜は、返事をせずにコテンとソファにまた横になる。湊は呆れて、ため息をつく。まくりあげたワイシャツの裾がまた落ちてきた。



「やっぱりさ、目が見えるようになった方がいいじゃないか。食べ物だって、しっかり見て食べられた方が美味しさ違うだろ。」

「……」


 何も反応しない。目で見るという意欲さえも失っている。それ以上、湊は声をかけることをしなかった。よほど疲れたのか、杏菜は、すでにいびきをかいて眠りについていた。


****


 目が見えることに希望はあるのか。今の杏菜には、価値を見出せなかった。

 家の中にいても息吸って吐いて、トイレ行って、寝転んで廃人しかなれない自分に何ができるのか。見えなくて良かったと思うこともあるんじゃ無いかとも思う。



 夢の中の杏菜は、湊にアイスクリームをスプーンであーんしているラブラブデートが映っていた。


 それが理想だというのかと自分自身の夢にツッコミを入れたくなった。





 自分は何のためにここにいるのか。そもそも、大学に研究をしに行ったのは、杏菜の目が見えるようになればいいなという思いから新しい画期的な家電をとすすめてきた。それを阻害されているようが気がして、もう出来上がった商品を杏菜にすすめるのは難しかった。


 商品のお披露目会はドタキャンをして、何事もなかったように日常を送っている。


 大学にはあれから通っていない。湊も意欲を失っている。


 スマホには数えきれないくらいの着信履歴とライン未読メッセージが

 残っている。1日では。読みきれないくらいの数だ。もう一冊の本にでもできそうなくらいの数が溜まっている。


 台所の換気扇の前で腕を組みながら、タバコを吸った。


 ヘルパーに頼むのも億劫になる。全部、自分でしてしまえば問題ない。ヤキモキする気持ちも消すことができる。はじめからこれでよかったのかもしれない。


 忙しさのあまりに大事なことを忘れていた。



 湊は黙々と台所で野菜を小刻みに包丁で切り始めた。



 自分へのご褒美ににんにくたっぷり餃子でも作ろうとひらめいた。

 フライパンのジューっという音が響いた。


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