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第34話 孤独な夜の迷路


 深い深い海の底に潜ったようだ。ここは真っ暗な世界。誰も助けてくれる人はいない。膝を抱えて、ぶくぶくと息をちょっとずつ吐いた。もう生きているのが辛い。でもゆっくりと息を吐けば、海の冷たさを感じることができるだろうか。目が見えなくても、砂の感触を覚えてられるだろうか。


あとどれくらいこの海の中にいなくてはいけないのだろう。あと少しで楽なところに行けるのだろうか。いや、死ぬというのはとても苦しいと聞いたことがある。真っ暗な世界でも、指や手、足の肌での感触を味わえる。


そして音が聞こえる。あの人の声や癖、くしゃみや咳。鼻であの人の好きな香りを嗅げる。いつも吸うタバコの香りやその匂いをかき消そうとする香水。スペイン産の柑橘系の香り。香水の名前はCK-One。レモンとベルガモットの香りが好きだった。思い出すだけで胸が締め付けられる。


もう一度、あの人と会って話したい。


****


夜の10時。街では、飲食店から漂う中華料理の匂いやお酒を飲んだであろう団体のお客さんが脇をたくさんの人が通り過ぎていく。


交差点では夜だというのにまだ人が行き交っているようだ。カツカツとハイヒールなど靴の音があちこちから聞こえる。


ぼんやりと立ってるせいか、肩に時々ぶつかってしまう。


進まなきゃと思い、白杖のないまま、交差点を勇気を出して進んでみる。フラフラといつの間にか、来たことある道に吸い寄せられていく。



ここの音と匂いに覚えがある。


人がたくさんいるというのに視覚障害であろうとはたから見てわかっていても

都会というのは誰も声をかけたり助けたりすることは少ない。自由な夜の時間に人助けなどしたくないのだ。それはわかっている。別に助けてほしいなんて思ってない。強がりだ。


危険なことがいっぱいであることも……。何度か来たことがある路地裏に着いた。落ち着こうと思った矢先に


「あれ、杏菜ちゃんじゃない?」


 ホストクラブでNo.1ホストであったヒカルが声をかけてきた。目が見えないと言って逃げた男でもある。こんな時になぜだろうと考えてしまう。


「……あ、ヒカルさんですよね。」


 もちろん、目が見えないため、確認するのは難しい。嗅いだことのある香水のにおいがした。どこのブランドかわからないが、ホワイトムスクの香りだった。


「久しぶりだね。どうしたの? そんな大きな荷物持って……。目、見えてないんだよね。大丈夫? 1人で」

「え、ええ、まぁ。歩くのも慣れてきましたよ」


(全然慣れてなんかいないけど)


 そんな会話をしていると、突然、体がふわっと浮いた。手品でもしてるのか。空中浮遊なのか。自分は今どこにいるのかと思った。誰かに担がれたようだった。何も言わずに連れて行かれている。


「おい!!」


 遠くの方で、ヒカルが何かを叫んでいる。頬に風が打つ。お気に入りのいつもの香水だ。ヒカルではない。杏菜は、黙って、彼の首に両手を回した。


「ごめんなさい」

「……」


 オックスフォードシューズの音が地面に響いた。杏菜はお姫様抱っこされて、街の中を移動していた。杏菜は、これでもかと湊にしがみついた。


「わっ……。あぶねぇ」


 感情的になって怒ったことを本当は謝りたかったのに素直になれなかった。謝るのは俺の方なのにと顔が見えない杏菜に行動で示そうと今できる最大の気持ちだった。



 湊は、杏菜を抱っこしたまま、人混みをかき分けて、家路に向かった。杏菜を見つけた場所は、最初に会った街中の路地裏だった。カラカラと空き缶が転がっている。

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