目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第27話 見えない孤独な世界

湊がセットしたアラームで目が覚めた。瞼を開けただけで周りは見えていない。この部屋の色はどんなだったかを思い出す。


引っ越してから、もしかしたら、湊がインテリアをDIYして、壁紙を貼り付けたかもしれない。壁を触って確かめるが、変化しているところはない。



今日も、1人この家で1日を過ごさないといけない。

台所には、丁寧にラップされて準備された朝食用のパンケーキとパスタが置かれていた。


パジャマ用の短い黒のホットパンツとメンズ用の白に黒文字で

LOVE&PEACEと英語が書かれた長袖Tシャツを着て、おしゃれ服に着替えることもなく、朝食にありつこうとした。



どーせ、自分も見えない服で、誰にもみられることもないだろうとご行儀悪く、椅子に膝を立てて座りながら、湊が作ったメイプルシロップの香りがするパンケーキを食べた。


匂いには敏感だった。さらに舌も敏感になっていた。少しでも味加減が変だと食べられなかった。おかしな体だ。どんなものでも平気に食べていたのに、賞味期限切れの食材も変わらずに。食欲は前よりも小食になっていた。皿いっぱいに乗っているパンケーキも半分食べられて良い方だった。


生きる気力が失っているからだろうか。



食べ終わると、皿をそのままにベランダに置いてある椅子に座った。いつも、湊がタバコ吸う時にいっぷくする場所だ。何も言わずにぼんやりとここで外を見ながら吸っている。


車の走るタイヤの音が何台も聞こえてくる。


外は少し肌寒かった。風が吹いて、杏菜の服を靡かせた。


「さむ」


部屋の中に戻ろうとすると、頭からバサっと何かが飛んできた。愛用しているグレーのパーカーだ。色は見えないが、肌触りで覚えている。フリースでもこもこしていた。



「なんで飛んでくるんだろう」

「そんな格好でそんなところいたら、風邪引くだろ。足丸出し……」


 湊がいつの間にかリビングにいた。音に敏感な杏菜でも気づかなかった。


「いつの間に帰ってきたの? 音が全然してなかった」

「は? 俺まだ出かけてないし。さっきまで洗面所いたんだよ。今日の講義は午後からだから。念入りにお手入れしないとね」

「え。なんで、朝ごはん、台所にあったの? 一緒に食べればよかったじゃん」

「別にいいだろ。一緒に食べなくても家族じゃないし。あくまでシェアハウスだろ」


 湊はそういうと、冷蔵庫からペットボトルの炭酸水を取り出して、ごくごく飲み出した。照れ隠しだ。作ったご飯のことで何かコメントされることの恥ずかしさが嫌だった。ふと、杏菜の鼻につんとした匂いが漂った。


「洗面所で何していたの? なんか、匂いきついよ」

「あーー、ブリーチを染め直してたんだよ。そろそろ、真面目に生きないとねって」


 杏菜は衝撃的だった。あんなにギシギシの金髪の湊の髪が真面目人間の髪色にチェンジするなんて想像できなかった。有無を言わさず、杏菜は湊の頭

そっと手を触れた。


「ちょっと、触んなって。乱れるだろ」

「黒に染めたの?」


 色は見えてない。想像で聞いてみた。


「うーん、黒っていうより茶色に近いかな。焦茶色?」

「えー見てみたかった。サラリーマンみたいな湊の髪」


 ゴワゴワとセットしたばかりの髪をぐちゃぐちゃにする杏菜。


「おい!!やめろって今セットしたばかりだって言ってんだろ」


 完全なる嫉妬だ。髪を自由に自分で染められるなんてとイライラした。目が見えなくなって、いろんなことに制限がかかる。


「もういい!!」


 勝手に触って勝手にキレている。むしろ、きれているのは、湊の方なのに

 一転する。


「って、何がもういいって。こっちがもういいだわ」


抱き枕にも使えるふわふわのダックスフンドのぬいぐるみを抱っこしてソファに座る杏菜は、テレビのリモコンをポチッと押した。画面は見えないが、ほぼドラマCDのような感覚で楽しんでいる。



「……急にそうなるのかよ。面倒クセェな」


 湊は機嫌を損ねて、洗面所でもう一度髪をセットしに行った。鏡を確認して、くしで丁寧にとかした。鏡をふいに触れて、自分の顔を見つめた。これは、杏菜には見えていないことを思い出し、寂しげな表情をした。


 その後、湊は杏菜に一言も話さずに玄関のドアを開けて、出て行った。

 ドアの閉まる音がしっかりとわかると、ため息をついてテレビの音に集中した。パタンと体をソファに委ねた。


 テレビの音はBGMのようにして、両膝をぎゅっと抱えた。まだこの環境に慣れない。湊以外誰とも接点がないこの世界はものすごく寂しかった。


 目だけじゃない。心まで闇深いところまで沈んでいた。そのまま眠ってしまった杏菜のところへ誰かがやってきた。


 インターフォンの音が部屋中に響いた。誰が来たのか確かめもせずに

 飼い主を出迎える犬のように玄関のドアを開けた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?