「杏菜、足元気をつけて」
杏菜が退院した当日。湊は、付きっきりで、手をつないで歩いた。今は、介助がないと歩くことがままならない。まだ白杖を用意していない。包帯が取れても、前が見えないのだ。くすんだ瞳があった。目が見えない分、匂いと味には敏感になっていた。
また手から受け取る感覚も研ぎ澄まされていた。
「着いた?」
杏菜は、家の中に着いたことがわかると喜んでいた。
「わかるのか?」
湊は、持ってきた荷物を床の上に置いて、杏菜が喜ぶ姿に驚いていた。
「うん。匂いとか、気配かな。懐かしい。私の部屋」
ソファの上に置いていた可愛いふわふわの丸いクッションを抱っこした。ポンポンポンと投げて、キャッチした。
「湊、今日から一緒に暮らすんだよね」
「ああ、そうせざる得ないけどな」
湊はジャケットをソファにかけて、長袖を腕まくりして、買ってきた食材を 冷蔵庫に入れた。
「聞いてもいい?」
台所にいる湊にソファから声をかける。
「ああ」
牛乳、たまご、肉、野菜を次々と冷蔵庫に入れ込んだ。
「なんで、一緒に住むって決めたの? 前、一緒に住むの絶対やだって
言ってたじゃん。なんでかなぁ? って思って」
「潔癖症だから」
「え? それだけの理由?」
「うん。それだけの理由。でも、今は、杏菜、目が見えないだろ。ラッキーって思ってる。俺が全部掃除するし。文句も言えないよな」
「……確かに。ていうか、私どんだけ文句言う人になってるの?」
「文句言うだろ? 多分」
「んー、確かに見えてたら、言うかもしれない」
「見えないから良いかなと思っただけだ」
「え、ちょっと待って。一緒にいる空間には抵抗感じないの? これでも私女子だよ? 湊は男子だし」
「……なんもないだろ。ルームシェアも流行ってるわけだし。恋人でもないしな。あー、でも、杏菜のお世話はしないといけないけどな。俺が。捨て猫でも拾ったと思って育ててやるよ」
「は?! 私はペットかって」
「ああ、ペットに近いな」
「……でも、放っておかないんだもんね。捨て猫拾って、育てるんだ」
「……」
湊の食材に触れていた手が一瞬、止まったが、また動かした。杏菜の笑みがこぼれる。ふわふわクッションを抱き抱えたまま、ソファに横になる。寝息を立てて、寝始めた。
「ご飯は何食べるんだ?って寝てるし。そのまま寝たら風引くだろ」
湊は、寝室から毛布を持ってきて、そっと杏菜の体にかけてあげた。むにゃむにゃ言いながら、本当の猫みたいだった。
「……寝顔は天使だな」
ボソッと呟いて、台所で夕飯つくりを始めた。包丁のトントン叩く音が心地よく聞こえた。