病室の引き戸を開けた。湊は個室のベッドの上を見ると誰もいない。
トイレにでも行ったのかと出入り口に戻った。
「うわ!!」
目にはぐるぐるの包帯を巻いた杏菜の姿があった。一瞬、ミイラでもいたのかと思った。入る時は視覚に入らずに杏菜がしゃがんでいることに気が付かなかった。湊は改めて両膝に手をついてしゃがんで、杏菜をじっと見た。口から棒つき飴を取り出して、口の中に入れて、ぼりぼりと食べ終えた。
「ん? 湊? そこにいるの?」
物音と気配でそばにいたのがわかった。さっきの叫び声は何だったんだろうと疑問に思う。甲高い声で湊は返事する。
「いないよ」
「え、誰」
「僕は妖精だよ」
急に妖精劇場を始めようとする湊。
「は? どこの妖精よ。声高すぎ。絶対湊でしょう」
「違うよ、妖精だよ」
「は?」
だんだん冗談がすぎて、腹が立ってくる杏菜。湊の腕を無我夢中で振り回した。危なく、湊に当たりそうになる。
「おっと!」
急に低い声が出てしまった。 ジャンプして、その場から避けた。
「あ、その声は!? やっぱり湊じゃん。嘘つきだ!!」
「ち、バレたか」
立ち上がって、ため息をつく湊。杏菜の腕を持ち上げてぺたんと座った体を起こした。
「ちょっと、優しくやってよ。痛いじゃん。こっちは見えないんだよ」
「これでも優しくやってますぅ。すいませんね、ヒカルみたいにお姫様だっこできなくて!!」
ヒカルに対する嫉妬心がダダ漏れだった。そう言いながらもベッドの方に誘導した。
「ほら、ここ座って。ゆっくり横になれって」
ぶっきらぼうだが、なんだかんだ的確にベッドに寝かせてくれた。杏菜は、嫌な言葉を発しようとしたが、今は何も出てこなかった。
「あ、ありがとう」
「目、見えなくなったんだろ」
「……うん。そうみたい」
「俺のせいでごめん。ミカのこと、しっかり見てなかった俺が悪いんだ」
「ううん。私も湊のことを探しにあのホストクラブに行ったもんだから。バチが当たったんだよ。贅沢だって」
「は? 贅沢? なんの話だよ。杏菜は時々何考えるかわからないな」
湊は、杏菜の頭をポンポンと撫でると、窓のブラインドを触って、外の景色を眺めた。たくさんの車が行き交っている。高いビルが立ち並んでいた。
「俺さ、ホストやめるから」
「……え?」
湊は、杏菜の顔の近くに行き、まだ治療が完了していない包帯を外す。包帯が外された感覚はわかっていたが、目が空気に触れているというのに明るくならない。くすんだ灰色の瞳があった。焦点が合わないところを見ている。湊はその様子を見て、杏菜の頬を両手で触れた。手が小刻みに震えていた。手から伝わる温かさがあった。杏菜も湊人の手を触れる。
「ほんと、ごめん」
また涙が出てきた。目が見えないのに、涙はとめどもなく出る。湊は両方の親指で杏菜の涙を拭った。
「俺が、杏菜の目になるから」
「……え」
「杏菜の目が見えるようになる機械を発明する。それまで待っててくれるか」
「ん? どういうこと? 湊、ホストじゃないの? しかも、やめちゃうし、何するの?」
「言ってなかったんだけど、本当は大学生だから。俺。ホストはバイトみたいなもんだよ」
「バイト感覚でできる仕事じゃないでしょう。普通」
「俺、普通じゃないから。大丈夫」
「は? 変な人」
笑いながら、楽しいひとときを過ごした。湊はいつもと変わらずにいつも通りに対応してくれた。腫れ物にさわるように嫌がることはしてない。ありのままの杏菜を受け入れた。目が見えなくなっても杏菜は杏菜のままだ。杏菜は何気ない会話をしてても、すぐに涙が出る。涙もろくなったのだろうか。ただそばにいてくれるただそれだけで救われた気がした。
「見えないくせに何度も泣くなって」
「だってぇ〜……」
「嘘、嘘。泣きたいだけ泣けばいいさ」
湊はティッシュボックスから次々とティッシュを渡した。2人でいる時間が愛おしかった。杏菜は、この時間がずっとずっと続けばいいなぁと思った。