杏菜はレイプ事件があり、住む家も安定していなかったことからしばらく学校を休んでいた。本来ならば、警察に届けなければならないが、今は家出少女。何も手続きすることはなかった。湊が内見せずに知り合いの不動産に湊の住む部屋の近くに
小さなアパートを借りてくれた。家から身一つで来たため、
何も持っていなかった。それでも、無いもない部屋は広くて
清々しかった。もともとの部屋は1LDKだったが、ゴミが多く、居場所がない。
「まぁ、1Kならちょうどいいだろう。 家賃とかもろもろバイトで稼ぐんだぞ。 他はあとで返してくれればいいから」
窓をカラカラと開けて、ベランダに行く。
「え、高校生で雇ってくれるところあるの?」
「あるだろ、ファストフードとか牛丼とか」
「なーんだ。風俗とかホステスとか勧めるかと思ってたよ」
「……ばかか。勧めるわけないだろ。親があんなでやりたいと思うか?」
湊が冗談なしに応えたことになんだかほっとした。杏菜は、ベランダのふちに手を置いて、外を見た。
「あ、昼の月だ」
雲のない青空にぽつんと月が半分欠けて見えた。
「白いよな。昼の月は」
タバコに火をつけて、天を仰ぐ。
「あー、マジでかったりー」
「えー、私のこと? ごめん」
「あー悪い、杏菜の話じゃないけどさ。ちょっと愚痴」
「うそ、湊も嫌なことあるんだね」
「ほんと、俺だって人間だぞ。嫌なことの一つや二ついや、たくさんあんだよ」
頬杖をつく杏菜。
「だよね、誰だってあるね。……でもさ、なんで湊の部屋じゃだめなの? お金高くかかるじゃん。いくら出世払いだからって」
「……俺ら、付き合ってないだろ。付き合ってても、高校生とは一緒に住みません! パクられるだろうが」
「なんでよ。ケチ。ビビッてんのー!」
「ち、ちげーし。ビビッてんじゃねぇよ。俺は、杏菜のそうだなぁ、カルガモの親だな。ぴょこぴょこってな。マジでうけるな」
タバコを吸いながら、ケタケタと笑う。
「カモって……ネギしょってませんけど」
「は? ゲームの話してないけど?」
「なんでゲーム?」
「何かモンスターいなかった? ネギしょったカモ。でも、杏菜似てるかもな。かもだけに」
杏菜は、カモの話に飽きてきた。しらけて、部屋の中に入ってぺたんと床に座る。携帯灰皿に吸い殻を入れて、スーツのポケットから茶封筒を取り出した。
「これ、軍資金。部屋の家具家電揃えるのに使え。あと、学校、通いなおすって話してたよな?」
湊は、札束の入った茶封筒を床に置いた。
「え、そんな、こんな大金受け取れない」
「あのなぁ、 あの家の出方してきてこれからどうやって生活すんだよ。さすがに何もない部屋じゃ無理だって。全額あげる訳じゃない。稼げるようになったらきっちり返してもらえばいい。利子はつけないから」
湊は、肩の上でパタパタと手を振って靴を履く。
「んじゃ、そういうことだ。何か困ったことあれば、その茶封筒に連絡先書いてあるから。よろ」
「一ノ瀬消費者金融」とあえて会社みたいな名前と携帯番号を書いていた。
「待って!」
後ろ向きのまま
「ん?」
「なんで、そこまでしてくれんの? 体だって差し出してないのに何が目的? 何も、私は湊に何もしてない」
顎をくいとひっぱって、顔を見る。
「今日は出てないなぁ」
「は?」
マジマジと顔を見られて、杏菜はドキドキした。湊は、杏菜の顎からパッと手を離す。
「何もしてないってことはないよ。まー、俺は、あの時、だいぶ力もらったからな」
そう言って、湊は、立ち去った。玄関のドアがバタンと閉まる。湊がいないと部屋の中が氷のように冷たくなったようだ。昼間だというのに少しうす暗い。何もない部屋。ゼロになった空間。
何かが始まりそうなワクワクと、1人で暮らしていけるのかのドキドキの不安が入り混じっていた。