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第8話 杏菜の母

 アパートの外階段の金属音が響く。1台のバイクが近所を走り去る。湊と杏菜は、階段を登って、端っこの部屋の扉を開けた。外装は古く、外壁の色が白から茶色くなっていた。

階段の手すりが赤く錆びついているところもある。


「お前の家、ここ?」

「あ、うん。この部屋」


バックの中から鍵を取り出して、いつものように開けた。中には誰もいる気配が無い。玄関入ってすぐに灯油タンク、ボロボロの靴が何足も並ぶ、ゴミ袋が何袋も転がっている。足の踏み場が見当たらない。入ってすぐに異臭がする。ネズミがちゅーちゅーと鳴いて移動している。


「ま、待て。ここにどうやって住んでるだよ」

「あ、ごめんね。散らかってて、今避ける」

 杏菜は、ゴタゴタと固まったゴミや荷物をブルドーザーのように腕で端っこに避けた。


「お、お前なぁ、そういうことじゃないだろ。掃除してないな」

「私だけの家じゃないし、ここ。こうしたのは、親だよ」

 どこか寂しげの杏菜。台所からハエが何匹も飛んでくる。


「んで? その親はどこにいるの?」

「朝から晩まで仕事」

「何の仕事してんの? お前、高校生だろ? まだ未成年で……」


 湊は、絶句した。どこもかしこも、生活感が見えない。明らかに使ってないキッチン。ゴミ袋が散乱し、食べかけの弁当、飲みかけのペットボトルが散らかる。電気もまともに使っているのだろうか。薄暗い。豆電球がポツンとあった。


「お前、ここで生活してんの?」

「まぁ、そこのスペースに」


 1LDKらしい部屋で、隅の方にゴミを避けたであろうスペースがあった。そこが杏菜の生きる場所。治安が明らかに悪すぎる。どんな親なんだと想像する。


「杏菜、いますぐ、この部屋から……」


 玄関のドアを開けた瞬間。


「はぁ?! あんた誰?」


 杏菜の母であろう。金髪でクルクルロングヘアで、オシャレなドレス。 バリバリの厚化粧につけまつ毛。レジ袋に弁当が入った2つを小さなテーブルに置いた。時計の針は午後22時。いつも杏菜の母が帰宅する時間だ。


「……」


 湊は同業者っぽい空気を感じた。


「杏菜?! この男だれ? 金髪で、スーツじゃない。この人が彼氏って言ったらぶっ倒すよ?」


 わなわなと体を震わす。杏菜の母は、信じられない様子で、

 湊人を頭からつま先までじっくりと見た。


「……違うよ! ただ、助けてもらっただけだし。お母さんとは違う人!! 金髪で決めつけないで!!」


 内情を知らない杏菜の言葉に良心が傷つく湊。


 杏菜の母、笹山 真由子ささやままゆこは、杏菜の頬を思いっきり叩く。


「誰が、こんな仕事をして稼いでると思ってるの?! あんたを大学に行かせるために朝から晩まで必死で働いてるんでしょうが。それ、わかってて言ってる?! 私とそんなに住むのが嫌なら今すぐ出ていけば良いわ!」


 発狂した。 母、真由子の目からとめどもなく流れる。ホステスの仕事は不本意だ。昼間なんて、風俗の仕事に手を出している。家は、食べて寝るだけの部屋に使っていた。ほとんどの睡眠時間を削って、働いている。


 それでも、娘1人を立派に育てたいと思い、シングルマザーとして何年もお金を稼ぐために生活してきた。昼夜逆転することはよくあった。でも、時々何か違うと感じていた。


 ブランドバックにブランドの服、ブランドの靴。ホステスを続けていくには、流行の最先端を続けていかないといけない。常連客に全部買ってもらうということもできたが、真由子のスタイルは、おねだりをしないクールな性格で、女王様気質。そういうキャラ作りをして甘えることは御法度だった。仕事の稼ぎは良かったが、ほとんど仕事用の洋服や小物の持ち物化粧道具に消えた。電気料金や水道料金を支払いを滞ることもよくあった。体型を維持させなくてはいけないため、食事はさほど食べなくても平気な体になっていた。1日1食もよくあった。このままじゃいけないと思いつつ、休みの日は自堕落な生活でろくに掃除や洗濯もしない。洋服はほぼクリーニングに頼んでいた。


 毎日、頼むわけではないため、てんこ盛りの袋が何個もできていた。湊は反論することもなく、杏菜の手を引いて、玄関のドアを引っ張った。


「ちょ、ちょっと!! 杏菜をどこに連れて行くの? しかも、あんた、一体なんなの? 人の家入ってきて、杏菜を連れてどこに行く気?!」


 杏菜は、母、真由子の姿があまりにもかわいそうに感じた。外側はとても綺麗に着飾って、カラスが虹色の羽根をたくさんつけた童話みたいだった。でも、部屋の中はゴミだらけでボロボロ。心は一体どうなっているんだろう。綺麗になりたいと着飾っているはずなのに、本当になりたかった自分なのだろう。涙が溢れてきた。


「もう、お母さんは、お母さんの人生を生きて!!」


 その一言を投げ捨てて、杏菜は、湊の左手をぎゅっと握りしめて、駆け出した。バタンと玄関のドアが閉まった。シーンと静まり返った部屋はとても冷たく、寂しかった。真由子は、顔を両手で塞いで、声を出さずにオンオンと1人で泣き続けた。 カラスが電線からこちらに向かって鳴いてくる。


 湊人と杏菜は、アパートの外階段を駆け降りて、佇んだ。


「連れてきたけど、俺、どうすりゃいい?」

「湊、何も考えずに私を連れてきたの?」

「う、うん。なんかあの場所には杏菜は、いない方がいいじゃないかと思って」


 杏菜は、ぽやんとした湊を顔を見て、クスッと笑った。


「ま、いいか。どうにかなるっしょ」

「本当に?」

「なるなるなるなーるね」

「え、それ、お菓子じゃないの? ねるねるねーるね?」

「何言ってるかわからないんですけど」


 急に冷めたような返事をした湊は、ポケットに手を入れて、駅の方に1人歩いた。杏菜はプンスカ怒りながら、後ろを着いて行く。


 夜空では、月がぼんやりと光っていた。

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