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第12話・ファンですから


 姉ちゃんは19時に家に帰って来た。


「お腹減った~!お母さん、夕飯なあに~?」


 僕はリビングのソファに座ったまま、姉ちゃんを注意深く観察する。手に持っているカバンは泥で汚れたりはしていない。

 姉ちゃんはリビングを横切り、カウンターテーブルから料理中の母の様子をのぞき込んで、「いい匂い~」と嬉しそうにピョンピョンと跳ねた。

 母は姉ちゃんに、プリントは無事に提出できたかどうか聞いている。

「ジュンが届けにいったでしょ?」


 姉ちゃんはくるっと振り返り、僕に笑いかけた。


「ああ、進路のヤツね!ジュンのおかげで助かっちゃった!ありがとっ!」


 ……しんじらんねえ。

 こいつ、息を吐くみたいに、嘘をつきやがった。


 姉ちゃんはいじめを隠し通すつもりだ。

 あんな恐ろしい小説を書く姉ちゃんが、自分に危害を加える人間を許すとは思えない。


 もしかしたら……。

 今は、いじめの加害者どもへの復讐の方法を考えているんじゃ……。


 ずっと心の中で姉ちゃんのことを『ヘビ女』と揶揄していた。

 でも、いまは、想像が現実になりそうな気がしていて、うまく笑えない。


 子供の頃、いとこと一緒に『だるまさんが転んだ』をやった。姉ちゃんは、振り返ると笑顔で静止しているのに、僕が目をつぶると、音もなく近づいてきた。


 想像の姉ちゃんはいつの間にか人間の形を変え、一匹の凶暴な大蛇になる。


 気づいたときには、大蛇はもう背後に忍び寄っている。大きく開けた口の中が一瞬だけ見える。真赤な口と恐ろしく尖った牙が見えて……咬まれた僕は硬直したまま死んでいく。その様子を、姉ちゃんは暗い目でじっと見ている……。



 家の壁に、真っ赤なスプレーで「死ね」「犯罪者」と大きく書かれ、窓ガラスにぶつけられた卵の黄身がべっとりと垂れている様子を想像する。

 母はゴム手袋をはめた手で黙々と壁を拭き続け、父はこびりついた卵の残骸を窓から丁寧にこそぎ落としている。


 二人とも黙々と作業を続ける。その目には疲れと、哀しみがにじんでいる。何度掃除しても次の日にはまた落書きが増え、卵がぶつけられている。それでも二人は、ただ淡々と汚れを消していく……。


 そんな姿を想像するだけで、胸の奥から苦い胃液がこみ上げてくる。

 僕の存在までもが落書きと一緒に削られていくような、そんな感覚に襲われる。


 うちの家族なんて消えてしまえとずっと思っていた。母さんも父さんも嫌いだって。みんなみんないなくなってしまえって。

 でも、父さんや母さんが犯罪者の親だと罵倒され、家が壊れていく様子をただ眺めるのは、死にたくなるくらいいやだ。


 怖がってる場合じゃない。

 姉ちゃんがなにを考えているのか知って、止めなきゃ。


 犯罪者の弟になんて、絶対になりたくない。



       ☆



 翌日。火曜の朝、僕は姉ちゃんが出ていくのを二階の窓から確認してから、家を出た。

 姉ちゃんに気づかれないように、距離をとって尾けていく。

 早々に通学路のルートをずれ、20分近く歩いたところで、姉ちゃんは大きな公園に入っていった。そして、迷いなく女子トイレに入っていく。


 こんなところまで来て、トイレに行きたかったってわけじゃないよな……?


  僕はトイレの出口が見えるギリギリの場所で立ち止まり、姉ちゃんが出てくるのを待った。

 早朝の公園は、犬の散歩をしている人やジョギングをしている人がちらほらいた。

 昨日、夜中に雨が降ったのかもしれない。足元の草は濡れていて、湿った草の匂いがする。


 朝の清々しい空気の中で、僕は姉ちゃんの後をこっそりつけている。まるで世界から自分だけが浮き上がっているみたいだ……。


 ブブッブブッブブッ


 ポケットのスマホが震え始めた。電話だ。こんな朝から電話?

 母さんかなと思いながら、ポケットに手を突っ込む。着信の表示を見て、僕は目を見開いた。


「先生!!??大丈夫ですか!!??」


 電話に出た瞬間、ノアの甲高い声が耳に突き刺さった。


「大丈夫って、なにが?」


 声のトーンを低くして、目線は女子トイレの入り口に定めたまま、冷静さを保つことに全神経を集中させた。


「小説、全然更新されないから心配になって電話したんです!!」


 なんだ、そんなことか。


「あー、うん、ちょっと体調悪くて」


「やっぱり!!そうだと思いました!!今日は学校休むんですか!?」


ダル絡みすんなって……!


僕はイライラしてきて、「もう頭痛いから電話切るからな」と言ってスマホを耳から放そうとした。その瞬間、


「あと10分で駅に着くので、先生の家までタクシーで向かいますね!」


 信じられない言葉が耳に飛び込んできた。


「お、俺の家?」


「はい!」


「なんで知ってるの」


「ファンですから」


 僕は慌てて「家にはいない!」と叫んだ。


 なに言ってんだこいつ。

 家に来る??

 僕の住所なんて、なんで知ってるんだよ。


「今日、少しだけでもいいので会っていただけないでしょうか!? 学校が終わった後でもいいんです。駅の周辺でずっと待っておりますので! 

 お体が苦しいようでしたら、先生の自宅でも高校でも、お見舞いに向かいます!渡したいものがあるんです!」



 頭が一瞬真っ白になって、慌てて女子トイレを見る。

 今、目を離した瞬間に、姉ちゃんは出て行ってしまったかもしれない。クソッ。


「駅前のマックにいろ!今行くから!」


 僕はそう怒鳴って電話を切ると、公園の出口に向かって駆け出した。
























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