仙台からの帰り道、僕は『宮城県 盗撮 逮捕』というキーワードで検索しまくった。
2日前、42歳のサラリーマンが女湯を盗撮して捕まったというニュースはあったけど、未成年のニュースは0。
Xにも探していたような呟きはなかった。それでも安心できなくて、僕は何度もキーワードを変えて、検索し続けた。
嘘だよな。嘘だよ、絶対。
ナオキが事件なんて起こすわけない。
ナオキとは、幼稚園のときからずっと一緒の仲だ。高校が同じなのも、一緒の高校に行こうと約束して、2人で受験勉強したんだ。
家でナオキと勉強していると、母さんがいつもナオキの分の食事を用意するから、5人でよく食事した。
「うまっ!」
「こんなうまい飯、食ったことねー!」
「毎日食いたい!」
今も、口いっぱいにおかずをほおばりながら、母を褒めちぎるナオキの顔が浮かぶ。
ほんと、お調子者だけど、悪い奴じゃないんだよ、あいつ。
だから、僕は信じない。信じたくない。頼むから連絡してくれよ、ナオキ。
☆
家に着くと、母はリビングでテレビを見ていた。
「ジュン、ご飯にするからお姉ちゃん呼んできて。お父さんは今日、遅くなるみたいだから、3人で食べちゃお」
――母さん、ナオキが捕まったって話、聞いてない?
「なによ。お母さんの顔、なんかついてる?」
「ううん、なんでもない」
僕は出しかけた言葉を飲み込む。
たとえナオキが本当に捕まっていたとしても、母の耳に入れないですむなら、そうしたい。ナオキが犯罪者だなんて知れたら、母さんはどんな反応をするだろう。怒ったり、軽蔑する顔は想像できない。たぶん母は、とびきり悲しい目をして、落ち込んでしまう。母にとってもナオキは、特別だから。
僕は台所で手を洗い、リビングを突っ切って階段に足をかけた。
背後からバラエティ番組の音と、ひときわ大きな母の笑い声が聞こえた。
☆
翌日、僕は飛び起きると、枕もとのスマホをひったくった。
朝5時。いつもより1時間半もはやい時間。
ナオキからのラインメッセージは――なかった。
僕はいてもたってもいられず、制服に着替えると階段を駆けおりる。
学校に行けば、ナオキがいるような気がした。
「ジュン、あのさっ! 数学のノート見せてくれねえ? 俺、2日も休んだから、浦島太郎なんだよね~」
そう言って、笑いかけてくるような気がして……。
☆
結論から言うと、ナオキは今日も学校を休んだ。
それだけじゃなく、クラス中が盗撮事件の噂でもちきりだった。
ナオキの家に、警察が来たらしい。一度じゃなく、何度も。
「ただの盗撮じゃなくて、あいつストーカーだったんだって! しかもさ、それだけじゃなくてさ、被害者、おばさんなの!40過ぎのおばさん! ナオキが熟女のストーカーとかウケるよな!?」
「ナオキのカバンには警棒が入ってたらしいよ」
「おばさんが尾行に気づいてなかったら、ナオキに殺されてたかもじゃね!!?」
ナオキと同じマンションに住んでいたヤツから、噂はあっという間にクラス中に広まった。
全部推測に過ぎないのに、少しの『事実』が混ざると、ぐっと噂は真実味を増してしまう。
この場で僕がナオキの弁護をしたって、クラス中に蔓延した噂が消えるわけがない。
さあやが不安そうな目で僕を見る。
僕はどんな顔をしていいのか分からず、うつむいた。
☆
帰りの会が終わると、僕はカバンを肩にかけ、廊下に出た。
本当は英語のスピーチの練習があるけど、今日はサボる。
今はスピーチなんてどうでもいい。
階段を降りたところで、名前を呼ばれた。
振り返ると、さあやが息を切らせてかけよってくるところだった。
「わたしも行く!」
その一言で、さあやも僕と同じ気持ちなんだってことが分かった。
「会ってくれないかもしれないよ?」
「いいよ。噂なんかに振り回されたくないし。じっとしてるよりマシ!」
2人で階段を降り、昇降口に向かう。
女の子と2人で下校するなんてシチュエーション、本当なら嬉しくて恥ずかしくて、浮足立っていたはずだ。
でも、今、僕はさあやの隣をこわばった顔で歩いている。さあやの顔にも笑顔はなくて、早足で歩いている。
はやくナオキに会いたい。
会って、「心配かけんなよ、バカヤロー!」って言いながら、モンゴリアン・チョップをかましてやりたい。
さあやもいっぱい心配したんだぞ。
お前が返事しないのが一番のホラーだっつーの!
「ナオキ、それ――」
さあやの息を飲む声。僕は我に返り、次の瞬間、自分の下駄箱の惨状に気づき、絶句した。
僕のスニーカーが血まみれだった。
「っ」
心臓が耳元ででたらめに打ち鳴っている。
悲鳴をかろうじて我慢できたのは、隣にさあやがいたからだ。
息を飲みこむ。何度も、何度も、心臓の鼓動が落ち着くまで、飲み込んだ。喉がひりついて、唾が流れると痛んだ。
僕は勇気を出し、おそるおそる靴の中を覗きこんだ。
靴の中には茶色い塊……ハンバーグや、レタス、ミニトマト、卵焼きが入っている。血に見えたものは……ケチャップ、なのか?
「なにこれひどい嫌がらせ!先生に言いに行こ!!許せない!!」
怒りまくるさあやの横で、僕は別のことを考えていた。
まるで弁当の中身をぶちまけたような……この弁当箱の中身には見覚えがある。
レタスが下敷きになったハンバーグ。ミニトマト。卵焼き……。
僕は靴の中に手を突っ込み、卵焼きをつかんで食べた。
「ちょ!ジュン!!??」
さあやがギョッとして僕を見る。
卵焼きを噛んだ瞬間、甘じょっぱい味が口の中に広がった。
……やっぱり。
「……姉ちゃんだ」
「え?」
「これ、うちの弁当。だから、やったのは姉ちゃんだと思う」
「ええ??なんでジュンのお姉ちゃんがこんなことするの??」
「さあ、わかんないけど……」
僕は血のように見える、ケチャップまみれのスニーカーをじっと見つめた。
ムカつく、とか、悲しいとか、分かりやすい感情が湧いてこない。
心の奥底にあるのは、得体の知れものに遭遇した恐怖だ。
姉ちゃんがもし、ユスリカの小説の登場人物のような人間だったとしたら……?
この靴の中に猫の死体が入っていたって、まったくおかしくない。
『本物のサイコパスは、殺気の消し方が一流』
頭に浮かんだいやな言葉は、冷たい手となって僕の心臓をなでる。
姉ちゃんは今まで殺気を消していただけ……。
もし。
これが姉ちゃんの狂気の目覚めだとしたら……。