ノアと水曜日に会う約束をした。
新たな音声データって、どんな音だろう。
ノアの音声があると、僕のポストはグッと立体的になる。イイネの数も桁違いに増えるし、コメント欄も盛り上がる。
『あのような音声はいっぱいあるんです』とノアは言っていた。
それなら、僕の創作のヒントにさせてもらったって、いいよな?
「なーに読んでるのっ!」
頭上から声が落ちてきて、反射的にスマホを胸に押しつぶした。
学校の昼休み。今日はナオキが休みだったから、自分の席で小説を読んでいた。
「隠さなくてもいいじゃん。『ホラー上等』のチームメンバーなんだしっ!」
さあやがいたずらっぽく笑う。
僕はバツが悪くなって、「……見た?」と小声で言った。
「うん、バッチシ!ジュンもユスリカさん好きなんだねー、さすがホラー好き!」
やっぱり見られてた。そう、僕が読んでいたのはネオページのユスリカの小説だった。
「ユスリカ知ってるの?」
「知ってるよ!ホラー好きならみんな知ってるんじゃない?」
……マジか。そんなに人気があるんだ、姉ちゃんの小説。
でも、びっくりしたのはそれだけじゃなくて、さあやみたいな子が、姉ちゃんの小説を読んでるってことに、だ。
「実はね、ここだけの話なんだけど」
さあやがそう言って、くいっくいっと手招きする。耳を貸して、というポーズ。素直に首を傾けて耳を向けると、さあやの温かい吐息が耳の中に入り込んできた。
「わたしも書いてるんだ。小説」
思わず「えっ」とまぬけな声が出た。
「ナイショだよ?」
「どんなの書いてるの?」
「ホラー小説」
さあやは白い歯を見せて、「へへっ!」と笑う。『死』や『苦しみ』ってワードが全然似合わない、さあやみたいな女の子が……ホラー小説??
「見たい!」
「え~~~やだよお。恥ずかしいもん」
さあやがはにかみながら体を揺らす。
本気でいやがってるわけじゃないのは態度で分かった。大体、本当にいやだったら、僕に『小説を書いてる』なんて言わないはずだ。
「どこかで投稿してるの?」
「ううん、ノートに書いてるだけ。投稿して、アンチコメントとかついたらやだしさ」
「でも、書いたら誰かに読んでほしくならない?」
「んー、まあ」
「俺ならアドバイスとかしてあげられるかもよ。一応、書いてるし」
小説、っていうか、140文字のコメントだけど。
「え、本当??ジュンも小説書いてるの??」
さあやの興味津々な顔を見た瞬間、僕の頭の中にノアの表情が浮かんだ。
『先生にお会いできるなんて感動です!』
頬を赤らめ、目を輝かせながら僕を見つめていたノア。
その顔と、想像の中のさあやが重なった。その瞬間、僕は用意していた返事を喉の奥にひっこめた。
「……誰にも言うなよ?」
「うん」
周囲を見回し、少し身を乗り出す。 さあやは興味深げに見つめている。
僕はさあやにだけ聞こえる声で言った。
「俺のペンネ―ム、ユスリカ」
さあやが目を見開く。驚きで声もだせないって顔になり、一呼吸おいて、「えっえっえっ」と慌てふためいた。
「うそ、えっ、やば!!!やばすぎる!!!」
僕は唇の端をあげ、『とびっきりイケメンのアニメキャラ』をイメージしながら、にっこりとほほ笑んだ。
「さあやのノートと交換で、まだ公開してないヤツ、ちょっと見せてやるよ」
☆
やっちゃった???
僕、やっちゃったかな???
家までの道のりを僕は息を切らせて走っている。あと、ひとつ角を曲がれば見慣れた我が家に着く。
心臓の鼓動が早いのは、走ってるからじゃない。さあやの尊敬に満ち溢れたまなざしを思い出すと、心臓が、ギュっギュっと手で握りつぶすみたいに、きつくなるんだ。
僕、めちゃくちゃかっこよくなかった??
さあや、僕のこと、好きになっちゃってたりして。
自然と前へ、さらに前へ足が進んだ。風景がどんどん流れ去って、冷たい風が頬をなでた。汗が噴き出てきたけど、そんなことはどうでもよかった。
姉ちゃんが帰ってくる前に、ミッションを完遂しなくちゃいけない。
家にたどり着くと、駐車場に車がなかった。母は買い物にでも行ったんだろう。玄関のカギを開ける。姉ちゃんの靴は……ない。よかった。まだ帰ってきてない。
僕は一目散に階段を駆け上がり、姉ちゃんの部屋のドアを開けた。
姉ちゃんの部屋は相変わらず殺風景だった。僕の部屋みたいにアーティストのポスターを壁に貼ったり、脱ぎ捨てた服なんかが散乱してない。必要最低限のものが整然と配置されている。
唯一の飾りっていったら、机の上の菊の花束?
マジ趣味悪い。まあ、みんなの愛するユスリカ様はイメージ通りっちゃイメージ通りかもな。……ってそんなことどうでもいいや!
僕はミッションを思い出し、机の上に出しっぱなしにしてあったノートパソコンを立ち上げた。
思った通りだった。
ネオページのサイトはログイン状態が保持されていた。
僕は唇を舐めながら『ワークスペース』のボタンを押した。