『音の正体わかった』
仙台からの帰り。
電車の中でグループラインにメッセージを打ち込むと、数秒で既読がついた。
『本当??』
さあやのアイコンが現れた瞬間、無意識に息を吸い込んだ。
僕は慌てて次の言葉を打ち込んだ。
『さあやの言うとおりだった。セロリと鶏肉とメロンで作るんだって』
さあや……って言っちゃった。
鼓動がドキドキと耳元で聞こえてくる。全身が心臓になっちゃったみたいに。
大丈夫だったかな、いきなり呼び捨てなんかして、なんだこいつって思われたりしてないだろうか。
でも、『さあや』って呼ぶように言ったのは、さあやだし……。
「あ、なんか分かるかも!ボキッとかぐちゃって音作れそう!」
不安でいっぱいだったのに、さあやのコメントには僕の話題なんてひとつもなかった。
「鶏肉かー、肉繋がりだもんね、液体でぬちゃぬちゃにして手を突っ込んで握りこんだりすればリアルな音作れるね』
コメントと一緒に、『盲点じゃった』という落ち武者のスタンプが送られてきた。
僕は、その頭に矢の刺さった落ち武者のスタンプを凝視する。
……さあやってこういう面白スタンプ好きなんだ。
『誰に聞いたの?』
僕は我に返り、用意していた答えを送信した。
『知り合いのサウンドクリエイター。父さんの知り合いなんだ』
『すごいね!ジュンの知り合い』
「すごいね!ジュンの知り合い」という言葉が頭の中でこだまする。さあやのセリフはやがて『知り合い』が抜けて、『ジュンはすごいね』に変わる。
ジュンはすごいね。
胸のなかで大きなシャボン玉が弾け、細かな泡が舞い散った。泡のひとつひとつに、ピンク色の淡い期待が詰まってる。
僕はスマホをしまって顔を上げると、一歩大きく踏み出した。そのうちスキップのようにでたらめに飛び跳ね、走り出し、家まで猛スピードで帰った。
家に帰ると、リビングで母と姉ちゃんが喋っていた。
「うーん、これじゃだめ?」
「もうちょっと背があるやつがいいよ」
僕は肩で息をしながら、リビングを横切る。鼓動は徐々に落ち着いていく。
なんの話だろう。まあ、どうでもいいか……僕には関係ねえし。
キッチンカウンター越しに覗くと、夕食の残りがラップされて置いてあった。
肉じゃが。ほうれん草のおひたし。みそ汁……。だから、いっつも言ってんじゃん。ほうれんそうはバター炒めにしてって……。
ちょっとイラっとしながら、キッチンの中に踏み入れようとしたその瞬間、「ジュン」と母に呼び止められた。
「なに」
「花瓶もってない?」
花瓶?
「俺が花なんか飾ると思う?」
「そうよねえ……。あ、じゃあさ、高さがあって花を入れられるようなものなんか持ってない?プラスチックでもいいから」
「そんなもんないって」
そのとき、リビングのテーブルの上に菊の花が10本ほど乗っているのが見えた。
「誰か死んだの?」
僕が質問すると、
「お姉ちゃんが買ってきたんだよ」
と母が答えた。
「小説を構想するときに、イメージがわきやすいからさ。部屋に飾るの」
姉ちゃんがあっけらかんと言う。
部屋に菊の花飾るって……。きもちわりい女……。
僕は姉ちゃんの無慈悲なホラー小説を思い出し、吐き気がした。
なんの落ち度もない被害者が残虐な殺され方をするだけの物語。その被害者にたむけられる菊の花を、自分の部屋に飾るなんて趣味、悪すぎだろ。
「そんなことする前にもっとすることあんじゃないの」
数時間前まで一緒だったノアの顔が浮かんだ。
あんなにユスリカの小説を愛して、感想をくれるありがたいファン。
彼女たちの声をヒントにしたほうが、菊の花を部屋に飾るよりずっと有意義じゃないか。
「姉ちゃんは傲慢だよ。せっかくファンがいるのに、ないがしろにしてさあ。もっとファンを大事にしろよ」
リビングは静まり返った。
険悪な空気を察した母が、「いいから、ジュンははやくごはん食べちゃいなさい」と間に入る。僕はフン!と鼻を鳴らして、2人に背を向け、肉じゃがとごはんを電子レンジに入れようとした。
「ファンとは絶対に関わらない。顔も見たくない」
僕は思わず振り返った。
姉ちゃんは一切の感情がない、暗い目で僕を見ていた。
なにか言い返してやろうと思ったはずなのに、言葉がでてこない。
次の瞬間、姉ちゃんはパッと笑顔になり、
「だって、ホラー小説好きな人ってなんか怖いじゃん」
と肩をすくめた。
夕飯を食べ、2階にあがってスマホを見ると、グループラインに30件以上コメントがついていた。
ナオキと僕とさあやの3人で結成したグループライン『ホラー上等!』。
グループを作ってくれたナオキに、めちゃくちゃ感謝しつつ、ログを追っていく。だけど、次の瞬間、僕は息を止めた。
『殺虫剤ってうちのクラスの誰かかもしれない』
さあやが『うそ!』と言い、ナオキが『俺、見たんだよ』と根拠を述べる。ログを追っていくと、やっぱり、予想はしていたけど、ナオキは盗撮写真のポストを見ていた。消すのが一歩遅かった。
『俺らが教室で殺虫剤の話をしていたから、慌てて消したんだな』
『えー!?』
『俺はオタクグループの誰かだと思う』
『なんで?』
『休み時間のたびに後ろのロッカーに集まってしゃべってんじゃん。俺の席一番後ろだし』
『なるほどー!』
……よかった。僕は疑われてない。
2人は殺虫剤の話を終えると、おすすめのホラー映画の話にうつり、楽しそうに会話していた。
2人にとって、殺虫剤の存在はちょっと身近な有名人というだけで、なにがなんでも特定しようとしているわけじゃなさそうだった。肩の力が抜け、僕はほっと息をついた。
ピコン!
ふいにラインの通知が入った。
一瞬、さあやからの個別ラインかと思って慌てたけど、違った。相手はノアだった。
今日のお礼がびっしりと何十行にも渡って語られている。
最後は笑顔の絵文字とともにこう書かれていた。
『緊張して言い忘れていましたが、わたし、あのような音声はいっぱいあるんです。また会ってもらえますでしょうか?? 先生の創作のヒントになれば嬉しいです。
馴れ馴れしすぎて、すみません!!』
やっぱり、いい人じゃん。
ちょっと変な人だけど、まっすぐで一生懸命で、うん。いい人だよ。
知りもしないくせに『顔も見たくない』はねえだろ。ヘビ女。