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玲奈は男が――創造主を名乗るその男――細田が何を言っているのか、なかなか理解することができなかった。
自身がいわばパソコンの中の存在であると言われても、そこに現実感など全くなかった。
そんな映画や漫画のような創作めいた話を信用できるはずがないと思いながらも、しかし玲奈の身体は、その現実を今まさに受け入れようとしていた。
祖母や結奈、そしてタマモから聞かされてきたのみならず、自身も何度か訪れたことのある“あちら”のことを考えてみるに、細田から聞かされたその話はどこか説得力があるように思えてならなかったのである。
死者が実際にどのような存在なのかは色々な考え方ができた。この世に未練を残した魂というのは簡単だが、けれどそれならばそもそも魂とは何なのか、と玲奈は幾度も考えたことがあった。タマモやコトラのような妖怪と呼ぶべき存在がいる以上、死者というものもその範疇としてとらえることができる。しかし、実際にはそうではないのだとしたら? 実はこの世界に於けるバグのようなものなのだとしたら? 何かのエラーによって、本来なら消え去る運命であるはずの人の残像のようなものなのだとしたら? そう考えると、この世界が何者かによって産み出された仮想世界であるということを認めれば、全てが腑に落ちるような気がしてならなかった。
だが、もしそうだとして、細田はなんと言った?
私に、修正プログラムを組み込む? おばあちゃんやお姉ちゃん――麻奈ではなく朝奈というこの世に産まれなかった姉――のみならず、結奈や私にまでそのプログラムデータを組み込んで、相原さんに――ヨモツオオカミとなったイザナミに――立ち向かえと彼は言うのである。
言葉を失う玲奈に、けれど細田はじっとこちらを見つめながら、
「正直もう、時間はない。こちらから見えている限り、アイツは今まさにこの領域、神域に踏み込んできた。こちらのプロテクトを無理やり破壊しながら」
だから、と細田はゆっくりと玲奈の前に歩み寄ってきた。一歩あと退る玲奈のすぐ目の前で右手を伸ばし、その手のひらを玲奈に見せる。そこには一錠のカプセルのような小さなものがのせられており、
「――これをすぐに飲んでくれ」
すると、そんな玲奈と細田のやり取りを見ていた桜が口を挟んだ。
「な、なによ、それ。薬? 本当に飲んでも大丈夫なの? 玲奈までおかしくなったりしないの?」
「君たちでも受け入れられるようにした結果だ。君たちには薬の粒にしか見えていないだろうけど、こちらからは修正プログラムのファイルの形をしている。すでに香澄も朝奈もこの修正プログラムを受け入れている。問題はない」
問題はない、そう言われたって、ためらわないわけがない。
これを飲めば、私はこの世界が仮想現実であるということを完全に認めることになる。そしてヨモツオオカミに支配された相原奈央を、おばあちゃんやお姉ちゃんたちと一緒に退けなければならないのだ。
確かに、玲奈はこれまでも何度か死者たちを相手にしてきた。立ち向かってきた。
しかし、今回はそんな死者たちをはるかに凌駕したような存在だ。細田の話を信じるならば、最悪の場合、玲奈たちもあの脅威に呑み込まれて破壊、消滅することになる。
それが恐ろしくてならず、しかし立ち向かわずして消滅することにも恐怖を感じ、玲奈はカプセルを前にしばし逡巡する。
「――それ、私も飲まなきゃなんないんだよね?」
迷う玲奈の隣に、結奈が歩み寄ってくる。
「なら、私が先に飲むよ。それで大丈夫なら、あんたも飲みな、玲奈」
「……えっ」
「もう、ここまできたら仕方がないでしょ? 私も感じてるもん、アイツの気配を。もう、すぐそこまで迫ってきてる。階段をゆっくりと登って、あたしたちのところまで近づいてきてる。迷ってる時間、本当にないんだよ、玲奈」
言うが早いか、カプセルに手を伸ばす結奈。
けれど、細田はスッとそのカプセルを握り直し、
「すまないがこれは玲奈専用なんだ。結奈には、こちらを用意した」
ふたたび手のひらを開くと、そこには別の錠剤が現れた。それはまるで手品か何かのようだったけれど、今さらどうやったの? なんて玲奈は聞く気にもなれなかった。
結奈は「そう」とだけ短く答え、迷うことなくその錠剤を摘まみ、ひと口で飲み込んだ。
ごくり、とのどが動き、結奈は小さくため息を漏らす。それから――
「――んっうぅっ!」
胸を抑えて苦しそうに小さく呻いた。
玲奈は一瞬焦り、「大丈夫っ?」と手を伸ばして声をかけたのだけれど、結奈は「大丈夫だから」と右手で玲奈のその手を軽く払った。
ふう、と小さくため息を吐いてから、結奈は胸を撫で下ろして、
「……なるほど、そういうこと」
「な、なにが? 何がなるほどなの?」
何かを察したような表情の結奈に、玲奈は訊ねる。
けれど結奈はそれを無視するように、
「玲奈も早く飲みなよ。飲めばわかるから。私、この感覚をどう言葉にしたらいいのか解んない。だけど、大丈夫。私たちは、私たちにできることをやるしかないんだから」
なにそれ、どういうこと? 余計に困惑してしまう玲奈に、細田はスッとまた手のひらを閉じ、そして開いた。そこにはあのカプセルが現れ、玲奈の手が伸びることを心待ちにしているようだった。
細田は無言だった。
結奈も無言だった。
朝奈に顔を向ければ、朝奈も無言で小さく頷いた。
――大丈夫。そう言っているようだった。
玲奈はそんな姉たちの姿に心を決めた。確かに、迷っている時間なんてなかった。玲奈も感じていたのだ。異様な威圧感を持った何かがこの拝殿に近づいているということを。それはあからさまな殺気であり、邪気であり、何かに対する呪詛の言葉すら聞こえてくるようだった。
玲奈は細田の手にのるカプセルを摘まみ、小さく呼吸を整える。意を決し、そして玲奈はそのカプセルを口の中に放り込んだ。
――ごくり。
「――んっくうぅっ!」
その途端、玲奈は感じた。
自分の中の何かが激しく書き換えられていくようなその感覚に、思わず呻き声が漏れて出てきた。手足が痺れ、脳にこれまで知らなかった情報が流れ込んでくるのが解った。それは修正プログラムの概要、そしてこれから自分がすべきことのあらましだった。そこに玲奈の知る言葉などなかった。何らかの文字列であり、それを口にすることは決して出来ないのだけれど、それを瞬時に理解した自分に驚愕と絶望と、そして希望を同時に感じたのだった。
玲奈は小さく息を整え、結奈が口にしたその意味を理解した。
なるほど、そういうことか。
確かに、この感覚を言葉にすることは難しい。だけど――解る。解ってしまった。それが唯一の答えだった。
玲奈は朝奈と結奈と視線を交わし、そして同時に頷いた。
――やろう、互いにそう口にしているように感じられた。
細田もこくりと頷くと、
「――くる」
短く、そう口にしたのだった。