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第4話

 そこには憎しみばかりがあった。その憎しみは、あらゆる感情の上に成り立っていた。愛、慈、悲、そして、絶望。彼女の心を形成する全ての感情が憎しみへと繋がっていた。


 彼女は感情の赴くままに行動を始めた。声の主から与えられた権限を行使すると、そこにはいくつもの扉が現れた。扉の向こう側には彼女の知らない、別の世界が数多存在していた。


 魔法と呼ばれるものが人々の生活を支えている世界。


 絶え間ない争いが延々と繰り返されている世界。


 愛や恋といったまやかしが無慈悲に尊ばれている世界。


 不可思議な機械が人々を支配し蹂躙している世界。


 何者かに与えられたルールに従い、命を懸けて競い合っている世界――


 それらの世界は彼女にとって驚きと発見の連続であり、同時に新たな知識や感情を得られる場所であった。


 そして彼女はついに見つけだした。


 イザナギの創り出した世界のひとつを。


 そこは男性や女性というふたつの性別の他に、両性と呼ばれるものが存在する、性に奔放な狂った世界。人々は老いも若きも性交に耽り、愛し、愛され、互いの情報を常に交換し合う、彼女にとってあまりにも好都合な世界だった。


 そこで彼女は動き出した。


 まずはその世界で彼女と同じく恨みや憎しみを抱くひとりの女に近づき、接触し、その指示系統を掌握した。彼女はその世界の理を理解し、そして自らのコピーを生み出すことにした。それはとても簡単なことだった。そもそも性に奔放な世界であったために、複製を創り出す行為にその世界の者たちは何一つ疑念を抱かなかったのだ。


 彼女は両性具有の身体を手に入れ、男性、女性、両性を問わず次々に交わり自身の複製データを彼ら彼女らに組み込んでいった。全ては順調だった。このままこの忌まわしきイザナギの創り出した狂った世界を破壊できることに喜びを感じていた。


 けれど、そこに思わぬ邪魔が入った。巫と呼ばれる、異常をきたしたデータ体を修復するプログラムデータを持つ者が彼女の前に立ちはだかったのだ。


 彼女はその巫に抗ったが、しかし修復データはあまりにも強力だった。彼女は一時撤退を余儀なくされ、自身のコピーだけをその場に残して扉の外へと避難した。


 彼女は再び思考した。巫によって修復されたデータ体に再び接触し、その修復データがどのように出来ているのか、そしてその巫がどのような存在であり、この世界でどのように生活してきたのかを解析し、理解した。そして彼女は再び行動に出た。いま一度その世界を破壊せんと新たなデータ体に自身のコピーを生み出したのだ。それは巫の親友であり、女性データ体だった。彼女はその女性データ体のプログラムを改変し、両性具有へと変貌させた。それは巫の親友である女自体が望んでいたことでもあり、それゆえに簡単に女を支配することができた。


 あとは巫が修復しきれない数のコピーデータを創り出し、一気に攻め込むだけだった。


 巫は親友である女に油断していた。だから、巫のデータ体に彼女のコピーを創り出すことなど造作もないことだった。


 彼女のコピーとなった巫は、それまで修復データを拡散していった代わりにとてつもない早さで彼女のコピーを生み出していった。性に奔放であるがゆえに、彼女のデータは瞬く間にその世界の全てを破壊していった。


 最後に残ったのは、ただの暗闇だった。


 その世界の全権を手に入れた彼女は、そこに新たな世界を創り上げた。


 それはこれまでに訪れた数多の世界を参考にしながら、神懸かりと呼ばれる男と巫女に罪や穢れに塗れた人間を刈り取らせ、そしてその死者データ体で彼女の意のままに動く兵どもを量産するための世界だった。


 感情というものは実に面白いものだった。恨みや憎しみだけでなく、ただ愉しみの為だけに彼らは人間同士で殺し合った。その感情に染まった彼ら死者データ体を、彼女はいとも簡単に操ることができた。その数はあっという間に数千、数万を超えた。彼女は下僕となった彼らを率い、再び扉の向こう側へと動き出した。


 全ては、イザナギという神が創り上げた世界を破壊し尽くすためだった。


 彼女は盲目的に感情に従い、あらゆる世界を破壊していった。恋愛などというまやかしに支配された世界など言うに及ばず。戦争を繰り返すだけの世界などは彼女の良い餌食となった。そこに“感情”と呼ばれるデータがある限り、彼女によって破壊できない世界などないように思われた。


 そうして彼女が辿り着いたのが、今、目の前の神社に籠城している三人の巫がいるこの世界だった。


 彼女は――ヨモツオオカミと自称するようになったイザナミは、この世界で自身のコピーデータを組み込んだ生者や死者のデータ体、そして神懸かりの世界で創り出した死者データ体の軍勢――黄泉軍を率い、長い長い石段の上に見える社を不敵な笑みを浮かべながら睨みつけた。


 実に面白かった。彼女というデータを創り出した存在のひとりである男もあそこには居り、今まさに彼女を消そうと企んでいる。何故彼女を消そうとしているのか、理由は明白だった。彼女がウィルスと呼ばれる存在だからだ。世界に仇名すウィルスは必ず削除しなければならない、その一心で彼らは彼女を憎んでいるのだ。これまで何度も彼女を殺そうとしてきた修復データを創り上げたのも彼らだということを、彼女はしっかりと理解していた。


 だからこそ、彼女は扉を介し、ひとりの女を殺したのだ。


 女は愚かにも、視界を塞ぐように小型の眼鏡型コンソール“グラスギア”を用いていた。その画面をハッキングすることなど、彼女には簡単なことだった。何より簡単だったのは、彼女を殺すその方法だった。ただ画面を黒一色に塗りつぶすだけ。それだけですべては終わった。


 修復データを創り上げた女はギアの画面が黒一色に染まった瞬間、乗っていたバイクのハンドル操作を誤った。女はそのまま巨大なトラックに自ら突っ込み、そしてそのタイヤに無惨にも轢き殺された。


 それは想像するだけでも愉快な光景だった。


 意識を失いゆく女のグラスギアに、彼女は自身の姿を投影して、にんまりと笑った。これで邪魔者はいなくなったという確信があった。最後に女の死にゆく姿を拝みたいと心から願った。けれど、こちらから画面の向こうを覗き見ることは叶わなかった。彼女にはそれが実に口惜しかった。


 女さえいなくなれば、あとは容易なことだった。女の仲間たちには、女ほどの技術を持った者などひとりもいなかったからだ。それでも彼女は用心には用心を重ねた。闇に潜み、着実に自身のコピーデータ体を増やしていった。今やその数は圧倒的であり、三人の巫を彼女のコピー体としてしまえば、あとはあの性に倒錯した狂った世界のように、彼女らを足掛かりにしてこの世界もまた破壊し尽くすことが可能になるだろう。


 彼女はほくそ笑み、そして三人の巫が待っている赤い社に向かって、一歩足を踏み出したのだった。

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