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第2話

 メインプログラムには不可侵領域が存在する関係上、細田や田郎丸たちにできることなどたかが知れていた。けれど根本的なメインプログラムの修復は不可能であったとしても、少なくとも自分たちの大学用キャッシュサーバーを鎮静化させることだけは可能らしいことは、他大学との情報交換によりなんとか判明した。


 問題はどのようにその修復プログラムを女神データ――そして彼女のコピーデータたちに充てるかということだった。


 不可侵領域が関わっている以上、直接的な介入は不可能。けれど間接的に手を加えることは可能かもしれない。そこで田郎丸は、自身のアバターを介して特定のデータ体に修復プログラムを与え、そのデータ体と接触した別のデータ体に修復プログラムをコピーし、徐々に徐々に女神を鎮静化させていくという方法を試すことにした。


 実際、田郎丸自らが創り出した異常プログラムを鎮静化させることができたことから、細田たちはそこに希望を見出したのである。


 そこで田郎丸たちが接触したのが宮野首香澄、そして宮野首朝奈という二体の死者データ体だった。


 当然、二体のデータ体は自身がプログラム上に生み出された存在であるという事実に驚愕し、当初はそれを認めなかった。しかしながら、田郎丸たちの簡易的なデータ介入を目にしたとき、二体のデータ体は自らのプログラム的存在を認めるに至った。


 この世界システムには生者の存在する領域と、その領域での死を迎えたデータ体を一時的に保存しておく場所としての一時保存領域があった。その一時保存領域での削除を以てそのデータ体は真の死を迎えることとなる。つまるところ、それこそが香澄や朝奈たちが『あちら側』や『こちら側』と称していた場所なのだった。


 田郎丸はこの香澄と朝奈に接触を試み、香澄には修復プログラムを組み込み、朝奈には表裏一体となっている麻奈の眼を介しながら生者領域と死者領域双方からの女神データの探索を命令した。


 けれど、二体のデータ体の協力を以てしても女神データを見つけ出すことは困難だった。


 女神データは自身の存在を削除されるということに気づいたらしく(それすらも細田や田郎丸からすると驚愕の事実だった)、彼女らデータ体が近づくたびにより深い領域へと身を潜め、或いは囮となる存在をその場に残し、巧みに細田たちの隙を突くようにしてどこかへとその身を隠しながら、徐々に徐々に感染データを増やしていったのである。


 田郎丸はそのデータ修復に追われた。


 四六時中他大学の学生と情報交換を行い、仲間内からのクレームにも対応し――そうして疲弊しきったある日の通学中、バイクヘルメットの中で利用していた眼鏡型コンソール――通称“グラスギア”を女神データにハッキングされ――事故に巻き込まれて命を落としたのだった。


 細田たちのゼミはその事実と衝撃に、一旦は世界シミュレーターのプログラム修復から手を引いた。このまま世界をなるように任せて、自分たちの卒業如何を大学やいまだ行方不明のままである森秋教授に委ねることにしたのである。


 けれど、細田はそれが気に入らなかった。


 自分の恋人である田郎丸の命を奪ったデータ体を、どうしても許すことができなかったのだ。


 彼は単独でサーバー内データの修復を続けた。自身のアバターを介して香澄や朝奈だけでなく、自身を神と偽って(或いは本当に神と自称しても過言ではないかも知れない)宮野首結奈にも接触を図った。


 結奈はとても強い抵抗力の持ち主であり、修復プログラムを組み込むには最適な存在のように思われた。しかし、時を待ったうえで修復プログラムを組み込まなければ、今度もまた女神データにその存在を気づかれ、逃げられてしまいかねない。


 細田は世界の様子を常に監視しながら、その機会を待ち続けた。


 そんな細田の必死さが伝わったのだろう、田郎丸の死から数週間が過ぎ、彼のゼミ仲間たちが続々と戻ってきた。必ず田郎丸の仇を打とう、そうして自分たちの力でこの女神データを削除し、世界のプログラムを完全に修復しよう、そう誓い合ったのだった。


 そうして今、ようやく、細田たちの前に、そのチャンスは訪れた。


 それはこのプログラム世界の存亡を賭けたものでもあった。


 何故ならば、女神データは多くのデータ体に自らのウィルスを感染させ、その仲間を著しく増殖させていたからである。


 だがそれもまた細田たちの作戦のひとつ――つまるところ、相手が隠れる必要がなくなるまでにあえて力を付けさせ、自らその姿を現すようにして表舞台に引きこむというものだったのだ。


 そうして細田の作戦通り、女神は見事、その姿を彼らの前に現してくれたのだった。


「だからこれは――僕はあの女神との最終決戦だと思っている」


 細田は――細田のアバターはそう口にして、一堂に会した面々の顔を順々に見渡した。


 無言で息を飲むもの、信じられないといった表情を浮かべるもの、呆気にとられたように口をあんぐりと開けたもの、その全てを最初から知らされていたもの、彼ら彼女らもまた、そんな細田をじっと見つめた。


「……つまり、あんたはこの私にも修復プログラムを組み込もうとしてるってこと?」


 結奈が引き攣ったような顔で細田に訊ねた。それは彼の正気を疑うような、そしてこれから自分の身体に何をされるのか心底不安に感じているような――そんな顔だった。


「そうだ」

 細田は頷き、

「だけどもちろん、結奈だけじゃない」

 その顔を、玲奈に向けた。


 玲奈は小さく眼を見張り、そしてもう一度息を飲んだ。


 まさか、朝奈や結奈だけでなく――


「宮野首玲奈」

 細田ははっきりと、玲奈の名前を口にした。

「――香澄や朝奈、結奈だけじゃない。むしろ僕は君こそが、最も修復プログラムを拡散するに相応しいデータ体だと考えているんだ」

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