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第5話

   5


 地獄のような暑さから一転して、駅前のカラオケ店の中はひんやりとした空気に満たされていた。のみならず、どこかじめりとした、肌にまとわりつくような異様に湿った感覚もあって、玲奈は眉間に深い皺を作った。首筋に浮いた汗を右手の甲で拭い、次いで反射的に、スカートでその手を軽く拭く。


 店内は異様なほど静まり返っていた――いや、店内のBGMは流れ続けている。複数のサイネージには映像が映り続け、音声も流れている。けれど、カウンターに人影がない。通路を抜けた奥の個室の方からも、誰かが歌っているような声も漏れ聞こえていない。足音もなく、およそ人が活動しているような微細な物音ひとつ聞こえてはこなかった。


 玲奈は辺りを見回し、スタッフの姿を探した。


「……すみませ~ん」


 カウンターの向こう側、スタッフの控室と思しき空間にも声を掛けたが、そこも無人らしく人が出てくる気配もまるでない。


 次第に不安が募り、玲奈は無意識的に胸の前で両手を握り締め、一歩あと退った。


 ……明らかに様子がおかしい。まるで最初からここには人なんていないかのような空気がたちこめている。まるであちら側のような、空虚な感じ。


 咄嗟に玲奈はコトラの姿を探して肩から下げていたバッグに目を向けたが、どこへ行ってしまったのだろうか、そこに狐型のキーホルダーの姿はなかった。


「――コトラ?」


 周囲に目を配り、けれどやはり、コトラの姿はどこにもない。


 玲奈は危険を感じ、踵を返す。今しがた入ってきたばかりの自動ドアへ身体を向け、外に出ようと一歩足を前へ踏み出そうとしたところで、

「……ミヤノクビ」

 がしりと右腕を掴まれて、玲奈は驚き、振り向く。


 そこには微笑みを浮かべた、木村大樹が立っていた。


 力強く玲奈の腕を掴み、

「待ってたよ。さぁ、こっち」


「き、木村くん? こっちって」


「みんなが待ってる」


「みんな?」


 玲奈は首を傾げながら、木村に引っ張られるようにして奥の個室へと導かれた。


「桜や村田くんたちも来てるの?」


 返事はない。


 ただ淡々と、最奥にある大部屋のプロジェクタ―ルームに玲奈を引っ張る。


 その扉を前にして、玲奈はぞわりと、全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。


 この奥へ行ってはならない。この扉を開けてはならない。ここから先へ立ち入ってはならない。


 ――何かが、いる。


 咄嗟に玲奈は木村の手を振り解き、逃げるようにして背を向けて。


「……どうしたの? 大丈夫だよ」


 玲奈の両脇の下から木村の両腕が差し込まれ、力いっぱい、後ろに引き戻された。


「い、いや! はなして――!」


 その木村の腕から逃れようと玲奈は両腕を振り回し、力の限りに叫び声をあげた。どこかにいるであろう店員や他の客に聞こえるように、何度も何度も助けを求めた。それなのに、どこからも誰も出てこない。助けに来ない。人の気配が、まるでない。


 ばたん、部屋の扉が開け放たれ、むわりと生臭いにおいが鼻を突いた。


 玲奈は必死に抵抗を試みたが、木村の力は思っていた以上に強かった。その顔を何度も何度も叩いてみたり、両足をバタつかせて暴れてみたが、その力はあまりにも強固で、およそ玲奈の知るひ弱な印象の木村とはまるで異なっていた。


 どん、と玲奈は乱暴に大テーブルの上に投げ飛ばされ、ようやく木村の拘束から解き放たれた。身体の自由は得られたものの、玲奈はテーブルの上に横たわったまま、自分を取り囲むように見下ろしてくる複数の視線に身体が凍り付く。


「――大丈夫だよ、ミヤノクビ」


 木村が微笑みを浮かべながら、がっしりと玲奈の左の太ももを両腕で抱えこんだ。


 玲奈は驚愕して小さく悲鳴をあげる。太ももから木村の腕を引き剥がそうと両手を伸ばそうとしたところで、


「あきらめなよ」


 玲奈は引っ張られるようにして、右腕をテーブルの上に押し付けられた。その反動で身体がのけぞり、後頭部をテーブルの上に軽く打ち付けてしまう。


 誰、と顔をそちらに向ければ、どこかで――恐らく学校で――見たような覚えのある男がにたりと不気味な笑みを浮かべていた。その顔は半壊し、どろどろと溶け、片方の目玉がゆらりゆらりとぶら下がるようにして、玲奈の顔を見つめていた。


 玲奈は大きく目を見開き、悲鳴をあげた。まだ自由のきく左腕を振り上げ、その男の拘束から逃れようと試みる。


「暴れんなよ」


 聞き覚えのある声が左の耳元からして、玲奈は「ひっ」と息を飲んだ。その瞬間、振り上げた左腕が、右腕と同じように、何者かの手によってテーブルの上に押さえつけられた。


 春先から玲奈の身体を狙っていた、あのスーツ姿の男だった。あちら側で玲奈の手によって崩壊したはずの身体がそのまま目の前にあり、けれど右腕を押さえつけている男と同じように、その頭は半壊しかけ、どろどろの何かがぼとりと垂れて床に落ちた。


 両腕をテーブルに押し付けられ、左脚を木村に抱え込まれて、玲奈の頼みの綱は残された右脚のみとなっていた。せめて木村をこの右脚で蹴り飛ばし、足の自由さえ取り戻せれば、きっとここから逃げ出せるはず――!


 玲奈は右脚を力いっぱいに振り上げ、木村に振り下ろそうとしたところで、


「いいねぇ、この脚。すごく美味しそうだ……」


 ぬっと現れた茶髪の男が、玲奈の右太ももを、木村と同じようにその腕で抱え込んだ。のみならず、顔を寄せ、ぺろりと玲奈の太ももに舌を這わせる。その男の顔も半分崩れ、頭髪も抜けかけていた。


 玲奈は男のその行動にゾッとし、嫌悪し、恐怖し、そして絶望した。


 両手両足の自由を奪われ、玲奈はなんとか身体を上下させて抵抗を試みたが、もはやその行動は何の意味もなさなかった。


 ただ泣き叫び、喚き散らし、助けを求めることしか玲奈にはなすすべもない。


「ごめんね、ミヤノクビさん」


 そんな玲奈の顔を覗き込むように、はらりと長い黒髪が落ちてきた。


 整った顔立ち。涼し気な瞳。すっとした鼻筋。形のいい唇。


 にたりと笑みを浮かべた相原奈央の表情に、玲奈は抵抗をやめ、目を見張った。


「なんで、どうして、こんなことするの――」


 何とか玲奈が声に出して問いかけると、相原はすっと頭をもたげながら、


「――大樹から聞いたわ。あなた、かんなぎの家系なんですってね。しかも、あの忌々しいばばあのところの。知らなかった。あのばばあに、こんなに可愛らしい、綺麗な巫が三人も居ただなんて。きっと、ずっと隠し続けていたのね。ほんっと、イヤらしい女。もっと早く知っていれば、簡単なはなしだったのに」


 ばばあ? もしかして、おばあちゃんのこと? ずっと隠し続けてきた? 私たち姉妹を? どういうこと? 相原さんは、いったい何を言っているの?


 玲奈は思いながら、けれど相原のその身体のうちに宿る存在に、薄々気付いていた。ただ、それをどうしても認めたくなかっただけだ。


 相原さんの中には、今、あの喪服の少女が潜んでいる。


 今度はきっと、私の身体を乗っ取ろうとしているのだ。


 玲奈は再び両手両足を遮二無二暴れさせた。男たちからの拘束を何とかして振り解こうと身体を激しく揺り動かし、呻き、叫んだが、けれど玲奈の力ではどうすることもできない。


 そればかりか、他にも部屋の中に佇んでいた人影がわらわらと玲奈の周囲を取り囲み、玲奈の身体を四方八方から力いっぱい、テーブルの上に押さえつてきた。ぬるりとした気持ちの悪い感触に玲奈は絶叫したが、何もかもが無駄だった。


「は、離して! 離してぇ――――っ!」


「ダメよ」相原は玲奈の頬をすっと撫でながら、「お前はこれから、わたしになるのだから」


 相原はテーブルを回り込むようにして玲奈の足の方へと移動しながら、徐に上着を脱ぎ始めた。はらりと零れる長い黒髪の間に見える、露わになった乳房が揺れる。そのまま腰を屈めて履いていたズボンも脱ぎ捨て、玲奈の大きく開かれた股のところで立ち止まると、にたりと不敵な笑みを浮かべた。


 玲奈は唯一動く頭をわずかにもたげて、これから自身の身に降りかかろうとしている凶事に怯えながら相原の姿を見つめ――そして更なる恐怖に目を見開いた。


 一糸まとわぬ相原のその股間に、本来ならばあるはずのないモノをそこに見たのだ。


 玲奈は実際、ソレをまともに目にしたことは一度もなかった。


 いずれ眼にすることにはなったかもしれないけれど、それは決してそこではないはずだった。


 玲奈は初めて見るソレに怯え、恐怖し、言葉を失った。


 天高くそそり立つ、肉の塊。奇怪な形をした、長くて太い棒。


 生物学的に、女の身体には決してないはずの、その悍ましきもの。


 相原奈央のそこには――男根が生えていたのである。


「安心せよ」相原はくつくつと嗤い、「恐怖はすぐに終わる。快楽に身を委ねるようになる。そうしてお前もわたし――わたしに成るのだ」


 木村と見知らぬ男が玲奈の両脚を大きく左右に無理やり開いた。


 スカートの中がむき出しになり、相原が下着の間にその細く長い指を這わせる。


「そうか、まだ続いていたのか――まぁよい」


 下着に着けていたモノを下着ごと剥ぎ取り、相原は自身の陰茎を掴むと、玲奈の秘部に、その亀頭をそっとあてがう。


「やめて! やめて相原さん! 目を覚まして――っ!」


 懇願する玲奈に、けれど答えたのは木村だった。


「大丈夫だよ、ミヤノクビ。キミはこれから巫として奈央になるんだ。奈央になって、またたくさんの奈央を生み出すんだよ。その奈央がまた新たな奈央を生み出して、世界は奈央に満たされる。なんて素晴らしいことだって思わない? 世界は奈央のためにあるんだよ、ミヤノクビ。奈央が世界の母になるんだ。そのためにはキミが――キミとお姉さんたちが――巫が――サニワにならねばならないんだ」


 木村は本気で嬉しそうに笑っていた。


 玲奈の身体を押さえつけている男たちも、ケタケタと笑い声をあげていた。


 相原は玲奈の秘部を亀頭で軽く上下に擦り、嘲るように笑みをこぼした。


「ウケイの時だ、巫よ――」


 玲奈の秘部を、相原の男根が掻き分け侵入してこようとした、まさにその時だった。


 部屋の扉が激しく砕け散るように爆ぜ、何匹もの狐や鼠たちが部屋の中に押し入ってきた。それらは相原や玲奈を拘束していた木村と男たちに次から次へと襲い掛かった。


 阿鼻叫喚の中、相原が『何ヤツじゃ!』と声を張り上げる。


「退け! 忌み神が!」


 タマモが相原を弾き飛ばし、倒れた玲奈の身体を抱え上げた。


「た、タマちゃん?」


「逃げるぞ、玲奈。しっかり捕まっていろ」


「え、えっ!?」


「行くぞ、コトラ!」


「は、はい!」


 玲奈はタマモに担がれたまま、走り出したタマモの肩越しに、相原たちの姿を目にした。


 狐や鼠に逃げ惑う木村や男たちの中で、忌々しそうにじっとこちらを睨んでくる、相原の姿が見えていた。

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