5
初めては中学卒業と同時だった。
どちらから、ということもなく、ただそんな雰囲気になったから、いつのまにかそういうことになっていた。
幼いころから共に育ち、これからもずっと一緒に居るのだろうと思った。だから、それがいつであろうと桜にとってあまり変わりはなかったのである。
大人になった、なんて感覚も特になかった。村田一のそれを受け入れた時、あまりの痛さに身体が二つに裂けてしまうんじゃないかと桜は思った。けれどそれ以上に、ひとつに繋がれたことの悦びの方がはるかに勝っていた。
きっとそれは、ハジメも同じだったのではないかと桜は思う。
それ以来、月に一、二度くらいの頻度で桜はハジメと身体を重ねるようになっていた。これもまたどちらから、ということもなく、なんとなく、そんな雰囲気になったから、いつの間にか、それが当たり前のように、桜とハジメは互いに求めあうようになっていた。そしてこの関係は、きっとずっと続いていくのだろう。いずれは結婚して、家庭を持って、子供を産んで。多少前後の順番は入れ替わるかもしれないけれど、別にそれでもいいと桜は思っていた。
桜は相原奈央と並ぶ木村大樹に眼をやりながら、いずれはこのふたりもそういう関係になるのだろうか、と口元をほころばせた。或いはすでに、とも思ったけれど、見た感じふたりはまだまだ初々しく、そこまでには至っていないように見受けられた。今日も本当なら図書館で一緒に夏休みの宿題をするつもりだったらしいが、あいにく夏休み期間中は『自習お断り』になっていたらしく、急遽ソレイユでデートすることになったらしい。
「本当に良かったん?」桜は大樹の肩を小突く。「せっかくのデートだったのに」
大樹は苦笑いしながら、
「いいよ、別に。奈央とは昨日もデートしたし、奈央がみんなと一緒に遊びたいって言ったんだから、僕は気にしてない」
「ほんとに~?」
「ほ、ほんとだよ! そうだ、どうせなら村田も呼ぶ? みんなで遊ぶなら、あいつも誘ってあげないと。ひとりだけ蚊帳の外って可哀そうでしょ。奈央もいいよね?」
「もちろん」奈央はこくりと頷き、「大樹も男ひとりだけってちょっと居心地悪そうだし?」
「そ、そんなことはないけど……」
「それもそうか」桜も頷き、スマホを取り出すと早速ハジメにメッセージを送る。「どうせアイツも暇してるだろうし、すぐに来るよ。予定があっても無理やり呼び出すけど」
「矢野さんって、村田くんとはいつから付き合っているの?」
奈央の問いに、桜は「ん~」と小首を傾げてから、
「特にいつから、ってことはないかなぁ。お互いの両親が友達同士で近所に住んでいたから、なんか一緒に居るのが当たり前だったんだよねぇ。どこへ行くにも何をするにもさ」
「幼馴染が、そのまま恋人になった感じなんだ。そんなこと、現実にあるんだね。なんだか漫画みたい!」
「かもねぇ」桜はふっと笑み、「あたしは高校卒業したら、このままハジメと結婚しても良いかなって思っているけど」
「えぇっ! もうそんなことまで考えてるの?」
「まぁ、ね。ハジメはどうか解んないけど……」
すると玲奈と大樹が視線を交わし、
「村田くんもそう言ってなかったっけ?」
「いつも言ってる。自分の将来は決まってるから、今さら他の女の子に興味ないって」
「へぇ~!」結奈も感心したように、「相思相愛じゃん! 羨ましい!」
「喧嘩とかしないの? 嫌いになったりとかは?」
奈央が心底興味深そうに訪ねてきて、桜はぜんぜん、と首を横に振った。
「喧嘩はするけど、だからって嫌いになったりはしないなぁ。お互いに丁度良い距離感って感じ? もしアイツが浮気しても、最終的にあたしのところに戻ってきてくれるなら、あたしはそれでもかまわないって思ってるし」
「……浮気、許しちゃうんだ」
驚く奈央に、桜はそうだろうね、と思いながら、
「んまぁ、生まれてからずっと一緒だから、たまには違う人と付き合ってみたいって思うこともあるかもしれないでしょ?」
「ってことは、もしかして、矢野さんも他の男の人と……?」
それに対して、桜は「いやいやいや!」と否定する。それからすっと玲奈の背後に回り込むと、玲奈の身体を後ろからぎゅっと抱きしめながら、
「あたしには玲奈がいるし?」
「えぇっ? どういうこと?」
目を丸くする奈央に、桜はにんまりと笑みを浮かべて、
「ふっふっふ。あたしは女の子も好きなんだよね。特に玲奈のおっぱいは至高!」
そのまま玲奈の胸を揉みしだこうとして、するりと玲奈の身体が桜の腕から抜け出していった。
「あっ! なんで逃げるの!」
「逃げるに決まってるじゃない!」玲奈は頬を赤くしながら眉間に皴を寄せる。「こんなところでそういうことしない!」
桜は「へ~い」と唇を尖らせながら、不満のため息を大きく漏らした。
実際、桜は玲奈と本気でそういう関係になりたいと思っている。ハジメと同じくらい玲奈のことも愛しているし、度々そのことを桜は玲奈に伝えているのだけれど、玲奈自身は冗談だと思っているのか本当に嫌なのか、どちらとも言い切れない態度でただ「やめて」というだけだった。
友達以上、恋人未満。桜にとって、玲奈との関係は親友よりも少し上、という印象だった。
その証拠に、今も玲奈は『こんなところで』、『そういうことしない!』と口にした。それはつまり、『こんなところでなければ』、『そういうことをしてもよい』ということに他ならない、はずである。桜はそう受け止めた。
そんなやりとりを続けているうちに、ピロピロとハジメからのメッセージがスマホに届いた。
「ハジメ、今、家を出たってさ。たぶん、十分くらいで着くんじゃないかな。自転車でくるって」
「ほうほう」と結奈は頷いて、「んじゃぁ、私は帰ろうかな。あとは友達同士、みんなで一緒に回りなよ」
「えっ? ダメですよ。結奈さんも一緒じゃないと」
「でもほら、やっぱ友達どうして遊びたいでしょ?」
「いえいえいえ」と桜は首を激しく横に振って、「それだとほら」と玲奈に視線を向ける。
結奈は一瞬、どういう意味か解らないという表情を浮かべていたのだけれど、奈央と大樹、桜とスマホ、順番にちらちらと視線を彷徨わせた末に気づいたらしい。
「なるほどね」
このままだと、玲奈がひとり余るような形になってしまうのだ。
玲奈は決して気にはしないだろうけれど、姉である結奈が居るだけでその感じは格段に軽くなるはずだと桜は思った。
何より、結奈の胸も玲奈に負けず劣らずの迫力だ。むしろ玲奈みたいに隠そうとしない堂々とした服装とスタイルに、桜は心の底から『眼福眼福』と拝まずにいはいられなかった。
普段、このふたりと揃って遊びに出かけるなんてことはほとんどない。
こうして一緒に遊びに出かけられていることそのものが貴重であり、至福のひと時なのである。
「そうだね」と結奈は頷いて、「せっかくだし、そうしよっかな」
「やった!」思わず桜はガッツポーズで口にしていた。
どうせなら麻奈さんも一緒だったら完璧だったのに、と思わなくはないが、そこまで贅沢は口にするまい。
けれどいつかは三人に囲まれてみたいなぁ、なんて漠然と考えていると、
「あ、ごめん。ちょっと痛み止めを買いに行きたいんだけど、いいかな」
玲奈が言って、結奈が口を開く。
「薬、持ってないの? 私のをあげようか?」
「ありがとうお姉ちゃん。でも、予備もないから買っておきたいの」
「なら、私もリップとかファンデとか買っておきたいものあるし、三階のワンズ行こうよ」
そう口にしたのは奈央だった。奈央は大樹に「いいよね?」と振り向く。
「うん、大丈夫」
桜たちは三階の隅に位置するワンズ――薬や化粧品などを売っているお店に向かった。
「僕はここで待ってるから」と言った大樹を店前の湾曲通路に残し、桜たちは店内に入る。
玲奈と結奈は痛み止めのコーナーへ、桜と奈央は化粧品のコーナーへそれぞれ向かった。
たぶん、店を出た頃にはハジメも到着していることだろう。
桜はいろいろな色や種類のルージュやリップグロスなどが陳列された棚を眺めながら、
「相原さんは、いつもどんなの使ってるの?」
「基本的には小母さんに相談しながら、服に合いそうなもの、かな。こだわりはないよ」
「そうなんだ。相原さんなら背も高いし大人っぽいから、結構こういう真っ赤の似合いそう」
「あ、それいいね。すごい可愛い」
「それなら、こっちの色は?」
「う~ん、ちょっと暗めかなぁ。もう少し明るい方が好きかも」
「そう? 相原さんなら似合いそう。これなら黒い服にギターでも担いでたらバンドの人っぽいし」
「え~? なにそれ!」
「一回試してみなよ。案外、木村も喜ぶかもよ。あいつ、どっちかっていうと大人な女性って感じの方が好みだったと思うから」
「え、そうなの?」
「そうそう。だってアイツ、中学からの付き合いなのに、玲奈には一切興味を示さなかったからさ。たぶん、玲奈みたいな童顔っぽい顔立ちより、大人っぽい綺麗なお姉さんの方が好みなんだよね。相原さんは美人だし、絶対に似合うって」
「じゃぁ、ちょっと試しに買ってみようかなぁ」
「そうそう! 絶対に似合うから!」
桜の勧めたリップグロスに手を伸ばす奈央を見て、不意に「そうだ」と桜はぽんっと手を叩いた。
「ちょっと待ってて!」
「え? うん?」
奈央をその場に残して、桜は店内を衛生用品の方へ向かった。目的のものを発見して、ニヤリと口元に笑みを浮かべる。これを見て相原がどんな表情をするのか、それを想像するだけで面白そうだと桜は思った。自分たちがいつも使っているモノを手に取ると、桜はもう一度奈央の方へと戻った。
ファンデーションを物色している奈央に、桜は「おまたせ~」と駆け寄る。
「何を持ってきたの?」
奈央に訊ねられて、桜は「へっへっへ」と口にしながら、
「これ、そろそろ相原さんたちに必要なんじゃないかと思ってさ」
その目の前に、コンドームの箱を掲げてみせた。
さぞや慌てるに違いない。そう思っていたのだけれど。
「要らぬ」
無表情に、低い声で奈央は言った。
それはあまりにも予想外な態度と声で、桜は一瞬、凍り付くような思いだった。
奈央のその瞳からは光が消えうせ、まるで見下すような視線を桜に寄こしていた。
口を真一文字に引き結んで、その人形のような無表情で桜を見つめる。
桜は思わずたじろぎ、奈央の目の前に掲げていたコンドームの箱を下ろしながら、
「え、あ、ご、ごめん。ちょっと、ふざけ過ぎちゃったかな……」
しどろもどろになりながら謝ると、けれど次の瞬間、それまでの無表情が嘘であったかのように、奈央の顔が耳まで真っ赤に染まっていった。
「ま、まだ早いよ! 私たちには!」
眼を固く瞑って、動揺する奈央。
その豹変ぶりに、桜は大きく眼を見張った。
え、なに? 今の、どういうこと? 本当に、同じ人? あの一瞬、明らかに相原さんの雰囲気がいつもと違っていたけれど、あれはいったい何だったわけ?
戸惑いながら、桜は「え、あ、ごめんごめん」ともう一度謝罪の言葉を口にする。
「そ、そうだよね! も、戻してくるから!」
そう言い残して、売り場に品を戻しに行こうと背を向けたところで、
「……あ、待って!」
奈央に呼び止められて、思わず桜の身体がびくりと震えた。
桜は恐る恐る振り向き、
「な、なに……?」
すると奈央は、視線をそらせるように桜に手を伸ばすと、
「で、でも、一応、あった方が、良いよね?」
「……へっ?」
呆気に取られて、桜は奈央の言っている意味が解らなかった。
そんな桜に、奈央は「だ、だから」と心底恥ずかしそうな様子で、
「もしかしたら、要ることになるかも、だよね……?」
「え、あ、あぁっ! そ、そりゃまぁ、あった方が、ね? なんかその、感情が昂ってそういう気持ちになっちゃったときにさ!」
「そ、そうだよね? あった方が良いよね?」
「う、うん、もちろん!」桜は自分のその不安な気持ちを吹っ切るように、思いっきり首を縦に振って、「これ、おすすめ! あたしたちも使ってるやつだから!」
「そ、そうなんだ――」と奈央は口にして、その途端、様子が一気に変わる。「――えっ! えぇっ! えっ! えっ! そ、そうなのっ? 矢野さんと村田くん、そうだったのっ?」
眼を見開き、驚愕の表情を浮かべる奈央。
桜は頬を掻きながら、
「え、あ、うん、まあ、一応――」
「そ、そう、だったんだ……」
それから奈央は、一瞬にして興味津々といった様子で眼を輝かせて、桜のコンドームの箱を持つ手を急に握り締めてきながら、
「よ、良かったらでいいんだけど、く、詳しく聞いても、いい、かな?」
「え? えっ? えぇっ?」
桜もその勢いに思わず驚き、眼を見張ってしまう。
「だ、ダメ? 矢野さん!」
桜はそんな奈央に、小さく笑みを零してから、
「――いいよ。わかった」
「ありがと! ぜひ参考にさせて!」
嬉しそうに微笑む奈央に、桜は「あ、そうだ」と口にする。
「あたしのこと、桜って呼んでよ。あたしも相原さんのこと、奈央って呼ぶからさ」
その途端、奈央は満面の笑みを浮かべる。
「――ありがとう、桜!」
「ううん、いいよ、奈央」
奈央は桜からコンドームの箱を受け取ると、レジへと向かいながら、
「じゃぁ、またあとでアドレス交換してね」
「うん!」
桜は大きく、頷いた。