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絶対に嫌われた。気持ち悪がられて避けられた。きっとそうに違いない。そうでなければ、あんなふうに逃げるようにして駆けて行っちゃうなんてこと、あるはずがない。あぁ、もうダメだ、生きていけない――大樹は大きなため息を吐くと、机の上に突っ伏した。
胸の奥がズキズキ痛くてしかたがない。うまく息が出来なくて、ため息ばかりが漏れてくる。
昨日、要らない勇気なんて振り絞らずに話しかけなきゃよかった。偉そうなことを口にしなければよかった。何が『ちょっとずつ慣らしていけば、そのうち自分から自然に会話ができるようになる』だよ。自分だって緊張していたくせに。きっと相原さんも気を悪くしてしまったに違いない。だから、あんな難しい顔をして僕から逃げていったんだ。そうに決まっている。
「――あぁ、死にたい」
思わず言葉にして吐き出すと、
「えぇ! ど、どうしたんだよ大樹。突然!」
物思いに耽るあまり気が付かなかったが、いつの間にか大樹の隣には村田一の姿があって、眼をまん丸く見開きながら、空いていた前の席にどかりと腰かけ、
「なんかあったか? 大丈夫か?」
「……別に」
大樹はため息交じりに、そう返事した。
村田が心から心配してくれているのは理解していたが、何があったかを話してしまうと、今自分が考えていたことがまるで現実であるかのような気がして、まったく話す気になれなかった。言語化しなければ、それはまだ自分の中に存在するだけの、ただの心配事でしかない。
「別に、ってお前」
「大丈夫だよ、気にしないで」
「いや、だって、死にたいなんて言ったこと、今までなかったじゃん」
「今までは今まで。今はそういう気分なんだよ」
「だから、何があったのか言ってみ? 何とかなるかもしれないだろ?」
「……話したからって、何ともならないかもしれないだろ」
「でも、話せばちょっとは楽になるかもしれないだろ?」
「……楽にならないかもしれない」
「そんなん、話してみなきゃわかんないだろ? ほら、話せよ。親友だろ? 何か困ってることがあるんなら、俺が全力で手伝ってやるからさ!」
「村田には何ともできないことだよ」
「なんだよそれ、それこそ話を聞いてみないとわかんないだろ!」
「もう、だから、良いってば!」
「おいおい、なんだよ、そんなにムキになって」
村田は大樹のその態度に、それでも諦めることなく口元に笑みを浮かべながら、
「ってことは、アレか。相原さんの件か」
それに対して、大樹は言い返すことが出来なかった。そればかりか、思わず村田に向けていた視線を逸らせてしまう。
しまった、と思った時には、もう遅かった。
村田は眼をランランと輝かせながら、
「もしかして、フラれた?」
その無神経なひと言に、大樹の心臓はぐさりと貫かれる。
こ、こいつ、言ってはならない言葉をやすやすと口にしやがった……! だから話なんてしたくなかったのに!
大樹は村田を睨みつけてやりながら、
「フラれてなんかない。そもそも告白すらしてないのに」
けれど、村田はうんうん頷きながら腕を組んで、
「そうかそうか、告白すらさせてもらえなかったってことか。そりゃぁ、ツラかったなぁ」
ズケズケと無意識に追い打ちをかけてくるこの男に、大樹は湧き上がる殺意を必死で抑えるが、
「うるさい、黙れ。もう話しかけてくんな馬鹿野郎」
「なんだよー、せっかく心配してやってんのに」
「頼んでない」
「頼まれなくても心配してやるのが友達、親友ってもんだろ?」
「本当に親友なら、しばらくそっとしておいてくれ」
「イヤだね。死にたいって口にしてる親友を放っておけるわけないだろ? 俺は、黙って見てることなんてできない質なんだ。知ってるだろ?」
「……知ってるけど」
「まぁ、それにアレだよ。別に女ひとりにフラれたからって、そんなに気にすんなよ。世の中には、もっともっとたくさんの女がいるんだ。気にすんなよ」
「なんだよ、その定型文みたいな慰めは」
「だって、事実だし。定型文だけど」
「なら、僕だって定型文で返してやる。確かに世の中にはたくさん女の人がいるけど、相原奈央は世界にひとりしかいないんだよ」
「わかんないぞ。もしかしたら、もうひとりくらいいるかも知れない」
「ドッペルゲンガ―的な?」
「いやいや、ほら、よく言うだろ。世の中に同じ顔の人間は最低でも三人はいる、みたいなやつ」
「それ、顔が似てるってだけで本人じゃないよね? 顔の問題じゃないんだけど」
「なんだよ、それ。顔じゃなかったら何の問題なんだよ」
「えっと……中身?」
「服の中身って話なら、宮野首の方が巨乳だぞ」
「お前サイテーだな」
「いやいや、そこ重要だろ」
「その話、矢野にもできるか?」
「いつもしてる。で、殴られてる」
「……よく愛想つかされないな」
村田一と矢野桜がいつごろから付き合い始めたのか、なんてことは考えるだけ無駄なことだった。ふたりはいわゆる幼馴染であり、幼稚園に入る前からこの高校までずっと一緒だ。家族ぐるみの付き合いがあるらしく、物心ついた時には常に互いに隣にいたらしい。そのまま気付くと恋人同士に移行していた、というのだから、そんな現実もあるのかと正直驚く。
「でもさ、実際、なんで宮野首じゃダメなわけ?」
改めてそう問われて、大樹は返答に窮した。
「別に、ダメなわけじゃないけど……」
特に惹かれるものがない、というわけでもない。見た目は小柄で可愛らしいし、性格も大人しい。村田の言うように、ふくよかなその胸は、常に思春期の男子生徒たちから注目の的だった。そんな下心が大樹にもないわけではなかったが、しかし周囲が思うほどに大樹はそこに重きを置いてなどいなかった。そもそも、中学生の頃の大樹には恋愛感情自体がなかったのだから、そういう気にもなることがなかったのだ。
そんな大樹が初めて恋や愛という感情を抱いた特別な存在、それが相原奈央だった。
だからこそ、大樹はどうしても相原のことを諦めることができず、悶々としてしまうのだ。
「でもまぁ、わからなくもないけどな。宮野首、いわゆる霊感体質っていうの? アレがあるからな。今まで俺たちが巻き込まれてきた幽霊とか妖怪とか化物とか、そういうのとも、今以上にずっと付き合っていかなきゃならなくなるわけだろ? 確かに、恋人同士になるとか相当な覚悟が必要になりそうだよな」
村田の話題が相原奈央から宮野首に移ったことで、大樹は少しばかりほっとする。
なるべく相原のことを考えないように、傷ついた心をこれ以上抉られないように、大樹はこのまま宮野首の話題を何とかして引き伸ばしたかった。
少なくとも、HRの予鈴が鳴るまでは。
「確かにそうだよね。少なくとも、僕にもずっとは無理。今ですら大変な思いをしているっていうのに、これが死ぬまで続くと思うとさすがに怖いよ」
「だよなー。けど、俺たちはアイツの友達だろ? 親友だろ? できる限り宮野首の助けになってやりたいよな?」
「それはまぁ、そうだけど――」
「よし、じゃあ、決まりだ。今から宮野首にコクりに行こうぜ!」
右腕を天井に突き上げて立ち上がる村田に、大樹も目を丸くしながら、
「――な、なんでそうなるんだよ!」
「え? いや、だってほら、フラれた悲しみをあの胸が癒してくれるかもしれないだろ」
「なんだよ、そのイヤな下心は! そんなもん、僕は求めてないぞ!」
「それにほら、お前が宮野首のカレシになってやったら、宮野首だって心強いだろ。なんつっても、俺たちは今まで四人で怪異ってやつに立ち向かってきた仲なんだからさ。慣れがあるだろ、慣れが。な?」
「な? じゃないし、そういう問題でもない!」
「もう~、なんだよ~、俺がせっかく傷ついたお前の心を何とかしてやろうとしてんのに~。お前にとっても良いし、宮野首にとっても良いし、一石二鳥だろ~?」
「だ・か・ら! そういう問題じゃないんだってば!」
大樹が思わず声を大にして叫んだ瞬間、教室のスピーカーから予鈴が鳴った。
村田は「あ、チャイム」と口にして、
「まぁ、悪い考えでもないだろ? ちょっと考えとこうぜ!」
んなっ? と自分の席へとそそくさ駆けて行ったのだった。
大樹はそんな村田の背中を見つめながら、
「――なんだよ、勝手なことばかり言いやがって」
つい、呟いてしまうのだった。