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第2話

   2


「今日は助かったよ。ありがとう、相原さん」


 大樹は隣を歩く相原に、にっこりと笑いながらそう言った。


 時刻は‪午後六時をとうに過ぎ、時計の針はもう間もなく‪午後七時を指し示そうとしていた。


 思ったよりも長い時間、一緒に居られたことを嬉しく思いながらも、けれどこんな時間まで付き合わせて本当に悪かったな、と大樹は反省する。相原のおかげで、おすすめ図書コーナーの準備は粗方終わってしまったくらいだ。大樹の代わりに相原が作ってくれたポップなど、自分だけじゃなく、同じく図書委員の相方である真鍋にすらあんなに可愛らしく魅力的なものなど作ることはできなかっただろう。


「ううん」と相原は首を横に振り、「私もずっとカウンターで小説を読み続けてるよりは、何かやってる方が良かったから」


 確かに、それはその通りだったかもしれない。特に相原のクラスの相方は小林という、あまりお喋りしないタイプの大人しい男子生徒だ。大樹もひと言ふた言くらいしか口をきいたことはなく、静かで寡黙、というよりは、何だか根暗な印象が彼にはあった。何を考えているのか解らない、人を寄せ付けないような、そんな感じの。だから、相原も相当息の詰まる思いをしていたんじゃないだろうか。


「そう? ならよかったよ」言って大樹は奈央に顔を向け、「でも、ちょっと安心した」


「え?」こちらに顔を向けた相原はぱちぱちと目を瞬かせ、「何が?」


「だって相原さん、今まであんまり喋ってるの見たことなかったから。ほら、小林君と同じタイプの寡黙な人だったらどうしようって思ってたんだ。ちょっと苦手なんだよね、小林君」


 正直に口にすると、相原はふと周囲を見回すような仕草を見せた。恐らく近くに小林がいないことを警戒したのだろう。図書室を出るときは確かに小林と三人一緒だったけれど、彼は大樹や相原と違い自転車通学ではないらしく、ひとりスタスタと校門の方へ行ってしまって、今ここに居るのは大樹と相原のふたりだけだった。


 相原は小林の姿がないことにほっと安堵のため息を漏らして、

「……あんまり自分から話しかけようと思わないだけだよ」


「そうなんだ?」


 大樹は答えて、それから次に何を話せばいいのか少し迷うように言葉を探し、

「……もしかして、人と話すの苦手だったりする?」


「う~ん、どうだろう」相原は曇り空を仰ぎ見るようにしながら、「苦手って言えば苦手かも。私が口にした言葉で相手が何を思うのか、何を感じるのか、それを想像すると何となくこっちから話しかけるのが気が引けちゃう感じ」


「それって、相手の反応が怖いってこと?」


「――えっ」


 その言葉に、相原は一瞬、口をつぐんだ。それから足を止めて立ち止まり、大樹の方に改めて顔を向けてきた。


「あぁ、ごめん」大樹はしまった、と思いながら慌てて両手を振って、「気を悪くしたなら、謝るよ」


 そんな大樹に相原も「ううん、大丈夫」と首を横に振り、

「でも……そうだね、確かに……怖い。私が臆病過ぎるだけなのかもしれないけれど。人との会話って、私にはすごい勇気がいることなんだと思うの。元々転校してばかりで親しい友達も作れなかったから、人とどう接していいか分からなくて、怖いんだと思う」


 相原は言って、小さく、けれど深い深いため息を吐いた。


 それに対して、大樹は「でもさ」と口を開く。


「今こうして、僕と普通にお喋りしてるでしょ? 今も怖い? 僕が相原さんの言葉で何をどう思っているのか考えたら、不安?」


「それは――」と言いかけて、相原は何故か再び口を閉じた。それからどこか困惑したように眉根を寄せる。


 大樹はそんな相原に、なるべく微笑みを浮かべながら、

「ちょっとずつ慣れていけばいいんじゃないかなぁ」


 その言葉に、相原は「えっ」と小さく声を漏らした。


 大樹は続ける。


「無理して話をすることはないと思う。その代わり、ちょっとずつ慣らしていくんだよ。対人恐怖症とか緘黙症とかってわけじゃないんでしょ? なら、慣らしていけばそのうち自分から自然に会話ができるようになるんじゃないかな」


 まぁ、口から出まかせだけど、と大樹は言って、にっと笑った。


 なんだかちょっといい加減な言葉だっただろうか、とも思ったけれど、自分だってそこまでお喋りが得意な方というわけじゃない。だからこそ、ここまでなかなか相原奈央に話しかけられずにいたのだから。けれど、実際こうして話してみればなんてことはない。あれほど緊張していた話しかける前の自分が嘘のように、今は自然と相原と会話することが出来ていた。話していればだんだんと慣れてくる。それは相原さんもきっと一緒のはずなのだ。


 そんな大樹をまじまじ見つめていた相原だったが、やがて彼女も大樹につられるように微笑みを浮かべ、言った。


「……そうかもね」


 それから二人並んで自転車を引きながら校門を抜けたところで、大樹は勇気を振り絞って、その言葉を口にした。


「そういえば相原さん、どっち?」


「え?」と相原は首を傾げ、「なにが?」


「帰る方向。駅の方? それとも、西区方面?」


 相原がどこに住んでいるのか知りたいという下心を悟られないよう、大樹はちょっと緊張しながら質問した。警戒されないだろうか、変に思われないだろうか、気持ち悪いなんて思われないだろうか。


 けれど相原にそんな様子はなく、「駅の方だよ」とあっさり教えてくれた。


「駅前を抜けた先、峠を超えた向こう側」


 その言葉に、大樹は思わず「あぁ……」と声を漏らし、眉を寄せた。


 ってことは、三つ葉の辺りだ。少し前まで自分が住んでいた町で、今もあの三人の友人たちが住んでいるところ。


 そうか、もし引っ越さなければ、もしかしたら相原さんと一緒に帰れたかもしれないのか、と思うと何だか残念で仕方がなかった。


 しかも、あの辺りは――確か――今――


「……えっ、なに? どうかしたの?」


 そんな大樹の態度に、相原も心配になったのか眉を寄せる。


 大樹は真剣な眼差しで、相原を見つめながら、


「……気を付けてね。最近あの辺、不審者が多いから」


 そう、注意を促したのだった。

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