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玲奈は暗闇の中、男に身体を
いやだ、イヤだ、嫌だ、厭だ! 誰か、誰か助けて! 誰か!
けれど、玲奈の声はただ暗闇の中に、無情にも飲み込まれていくだけだった。
男は玲奈の胸を激しく揉みしだき、股の間にその汚い手を伸ばしてくる。或いは暴れる玲奈の身体をがっしりと抱きしめ、その首筋に舌を這わせてきた。ぬらりとした気持ちの悪い感触に、玲奈は高い悲鳴を上げた。その悲鳴に興奮した男は、執ように玲奈の耳を甘噛みする。
「あぁ――なんて可愛らしい甘い悲鳴なんだ」玲奈の耳元で、男は生臭い息を吐きながらくつくつ嗤った。「やっぱり良いなぁ、僕の思った通りだよ、キミの身体は。柔らかくて、温かくて、とても良い匂いがするよ。さぁ、俺と一つになろう。こちらの世界で、終わりのない快楽に身を委ねるんだ。将来のことなんて考えなくていい。学校生活や友人関係、親の拘束すら考えなくていい。それに、肉体を手放してしまえば、このままの時間がいつまでもいつまでも続いていくんだ。その若さのままでいられるんだよ。嬉しいだろう? 歳をとることも無い。皺くちゃのおばあちゃんになることもない。いつまでもいつまでも、その魅力的な身体のままでいられるんだよ! だから……さぁ、僕とひとつになろう。ぐちゃぐちゃになろう。身体をひとつにして、溶けあって、混じりあって、全てを手放して、いつまでも続く快楽に溺れるんだ。それがどんなに気持ちが良いことか、僕がキミに教えてあげるよ。本当はあの石上とかいう女の子の新しい身体にすることになっていたんだけど、あの子はどこか遠くに消えてしまった。それなら、僕がキミとひとつになってもかまわないだろう? 僕はひと目キミに会った時から、キミの虜になってしまったんだ。キミのあのパンチを受けた時から、胸のトキメキが止まらないんだ! その可愛らしい顔、大きな瞳、みずみずしい唇、小さな体に見合わない柔らかい大きな胸! 全てが俺の理想通りだ。まるで僕のモノになるために生れてきたような身体なんだ。僕は、僕をこちらに誘ってくれた彼女に感謝しなければならない。彼女とのひと時も最高だったけれど、やはり僕にはキミしかいないんだよ……!」
だから、と男は目を大きく見開き、玲奈の股の間に、その奥に、手を這わせながら、
「さぁ、さぁ、僕を受け入れるんだ。ひとつになろう! ひとつに! ひとつに! ひとつに!」
体中をいくつもの腕で羽交い絞めにされて、玲奈はそれ以上抵抗することができなかった。何か悍ましいものが自分の中に侵入してこようとしていることがわかりながら、けれどそれに対抗する手段がまるでないまま、玲奈の唇に男の唇が重ねられる。男がうねる舌で玲奈の口腔内を犯そうとするのを、玲奈は固く口を閉じてそれを拒んだ。
すべてが気持ち悪かった。気味が悪かった。恐ろしくて仕方がなかった。
脳裏に浮かび上がる、死の間際の石上の姿。彼女はあの若い男に玩具のように扱われ、犯され、凌辱され、そして殺された。歪んだ欲望のはけ口にされて、絶望の中で命を落とした。そんな石上の姿がやがて玲奈自身の姿に置き換わり、ドロドロに溶けてこの男とひとつになって……
――いやだ。イヤだ。嫌だ。否だ。厭だ。イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ――!
「イヤああああぁあああぁああぁああぁああっ――――――――っ!」
その瞬間、玲奈は全身の力をその一点に集中させた。
硬く右拳を握り締めて、羽交い絞めにされたその腕を必死に暴れさせ、男の拘束から一時的に何とか抜け出す。
それでもなお玲奈の身体にがっしりとしがみつき、何本もの腕を触手のように蠢かせながら玲奈を見つめる男の嘲笑うようなその顔面に、玲奈は振り上げた右拳を、力いっぱい、振り下ろした。
玲奈の拳が男の顔を激しく殴打したその瞬間、くぐもった呻き声と共に男の頭がぐにゃりと歪み、一気に大きく弾け飛んだ。
赤黒い水が辺りに飛び散り、玲奈の顔や身体を真っ赤に染める。
頭部を失った男の身体からは徐々に徐々に力が抜けて、玲奈を犯さんとしていた何本もの腕が、ぼとりぼとりと落ちていく。ぐったりと倒れた男の身体はドロドロに溶けると、それっきり、ぴくりとも動かなくなったのだった。
その液状化した男を見下ろしながら、玲奈はどくどくと激しく脈打つ胸を必死に抑える。
……やった。ついに、ついに私にも、あの気合いパンチとやらを繰り出すことができたんだ。自分の力だけで、死者に打ち勝つことができたんだ。
玲奈は震える息を大きく吐くと、だけど、と辺りを見回す。
――帰り方が、解らない。
どこまでも続く闇の中で、どろどろに溶けた肉塊を足元に、玲奈は湧き上がってくる恐怖と不安に涙が浮かんでくる。
「どうしよう、どうすればいいの、私――」
玲奈は両手を組み、胸に当てて不安を抑えようと試みる。
その時だった。
暗闇の中で、小さな光を見つけたのだ。
あれは、と玲奈はその光に向かって歩き出した。
その光はとても優しく、温かく、玲奈が近づくにつれて大きくなっていく。
「――やっぱり居たんだね、麻奈おねえちゃん」
そこに居たのは、玲奈の姉、アサナだった。
アサナは男の体液で真っ赤に染まった玲奈の顔を、その白い袖で綺麗に拭ってくれると、
「よく頑張ったわね、玲奈。でも、もう大丈夫よ。すべて終わったわ」
「すべて、終わった……?」
それはいったい、どういう意味だろう。
あの男のこと? それとも、何か他の……?
「さあ、瞼を閉じて。あなたは帰らないといけない。皆の待つ、あちら側へ」
「……う、うん」
玲奈はアサナのその言葉に、素直にゆっくり、瞼を閉じた。
額にアサナの指先の感触があり、次いで身体がふわりと浮かび上がる感覚を覚える。
玲奈がうっすらと瞼を開くと、白く輝く光の中で、微笑みながら遠ざかっていくアサナの姿がそこにはあって――