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「それってつまり、どういうことさ?」
桜が眉を寄せながら玲奈に訊ねてきたけれど、玲奈は首を横に振りながら、
「……わからない」
としか答えることはできなかった。
一時限目が終わり、玲奈は桜と共に廊下に出ると、向かい合って小声で授業中に何があったのかを話し合っていた。
桜は一時限目の授業中に、コトラが何かあって吠えたことだけは理解することができた。ただ、桜の席は廊下寄りの最前列に位置しているためか、玲奈が嗅いでいた生臭いニオイまでは感じられなかったという。
その代わり、玲奈の席周辺では間違いなくあの臭いが漂っていたらしく、何人かの生徒は授業終わりに、「何か変な臭いがしなかった?」「したした」などと会話しているのだけは聞こえてきた。
「あたしはてっきり、また玲奈の身に何かあったんだとばかり思ってたけど……」
「私も、またあの男が私のところに現れたんだって思ってた」
けれど、それは違った。
現れたのは複数の死者――死霊たち。しかも、その標的は玲奈ではなく、玲奈のすぐ後ろの席に座る相原奈央の身体だった。
いったい、何故?
玲奈は眉間にしわを寄せ、廊下から教室の中を覗き込んだ。
相原奈央は自分の席で、まるで何事もなかったかのように文庫本を読んでいるが、その様子は明らかに何かを警戒しているように、時折視線だけをあちらこちらに向けていた。
――たぶん、相原は自分の身が何らかの危険にさらされていることを知っている。
桜も玲奈と同じように、廊下から教室を覗きながら、
「どうする? 直接訊いてみる?」
「う~ん、なんて言って?」
「ほら、こないだ親戚の人――響紀さん、だっけ? 家から出て行っちゃったって相談受けたでしょ? どうなった、って訊いてみるのは?」
「確かに、それなら訊きやすいかも知れないけど……」
そこから、さっきの死霊たちの件に、どうやって話を繋げればいいのかがわからなかった。
まさか無理矢理話をこじつけて、「何か霊障に悩まされてない?」なんて訊ねられるわけもない。どう考えたって、怪しい人と思われそうだ。
なら、件の喪服の少女と話を繋げて――いや、そんなわけにもいかない。あの件にはそもそも関わるなと祖母や結奈たちから釘を刺されているのだ。喪服の少女と繋げて変な方向に話が進んでしまっては本末転倒だ。
「……そんなに悩む必要ある? 相原さんもたぶん、何かに気付いてはいるんでしょ?」
「――たぶん」
「なら、やっぱりもう、直接訊いちゃえばいいんじゃない?」
「……だけど、普通に考えたら明らかに怪しい話じゃない」
「普通に考えたらね。でも、実際、普通じゃないことが起こってるんだよ?」
「それはそうだけど……」
「ねぇ、玲奈は何を心配してるの?」
眉間にしわを寄せる桜に、玲奈は口ごもりながら、「それは……」と言いよどむ。
何を心配しているのか、と問われたって、それもまたどう答えたらいいのか玲奈には解らなかった。
あのスーツの男の件もあるのに、それに加えて相原を狙って現れた死霊たちにまで関わりたくない、という思いも少なからずある。
けれどそれと同時に、本当に相原が何らかの霊障に悩まされているのであれば、相談に乗るべきなんじゃないかと思う自分もいる。
相反する思いの中で、玲奈はただただ迷うばかりだった。
何となく、結奈の気持ちもわかる気がした。
確かに、自分のこともあるのに他人のことまで気を回す余裕なんて、ないに等しい。
桜は大きなため息をひとつ吐いて、
「――もう少しだけ、様子を見てみる?」
「……うん」
「でも、それで相原さんの身に何かあったら――」
「大丈夫だよ」
そう答えたのは、玲奈ではなかった。
玲奈も桜も驚いて声のしたほうに顔を向ければ、そこには木村大樹の姿があって、
「僕が、相原さんを見てるから」
「……木村くん、いつからそこに?」
「ごめん、立ち聞きする気はなかったんだ。相原さんのことが気になって、ちょっと様子を見に来ただけだったんだけど……」
そんな木村に、桜は眉を寄せながら、
「あんた、本当に大丈夫なの? っていうか、もしかして何か知ってる?」
それに対して、木村は首を横に振って、
「何も知らないけど、何かあったら、すぐにふたりに知らせるから、大丈夫」
その言葉に、玲奈はほっと胸を撫でおろす。身構えていた身体が、少しだけ軽くなったような気がしながら、
「そう? お願いね、木村くん」
「うん」
頷く木村に、桜は訊ねる。
「っていうか、前も聞きたかったんだけど、あんたいったい、いつから相原さんと?」
「一年生の頃から、ずっと図書委員で一緒に仕事をしてたんだ」
「へぇ、一年生の頃から」桜は目を丸くして、「全然気づかなかった。言ってくれればよかったのに。あたしはてっきり、あんたは女に興味が無いんだと思ってた」
「なにそれ」木村は苦笑しながら言って、「そんなことはないよ。僕だって、いつまでも村田とばかり遊んでるわけじゃないんだから」
「玲奈には興味なかったくせに?」
「えぇっ!」
木村は困ったように、玲奈に視線を向けてくる。
「ほら、何年か前に四人で花火を見に行った時も、傍から見たらダブルデートって感じだったのに、あんたはそんな素振り一切なかったでしょ? 玲奈も結構可愛い方だと思うけど、これまで一度も告ろうとしなかったし」
「そ、それは……」
それを見て、玲奈は思わずため息を吐いてから、
「桜、やめよう、そんな話」
そもそも、玲奈も木村を恋人の対象として見たことは一度もなかった。あくまで玲奈のことをよく知る、仲の良い友達のひとりだ。それは桜や村田に対する感情と同じであり、それ以上の感情を抱いたことはまるでなかった。
それは多分、木村も同じ。好きと思えるタイプの違い。
そういうことだと玲奈は思っていた。
「そう?」桜は唇を尖らせて、「あたしは気になるんだけどなぁ……」
その時、二時限目の授業を告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
木村は「それじゃぁ」とふたりに手を振って慌てたように踵をかえすと、
「とにかく、相原さんのことは僕に任せて。何かわかったら、すぐに連絡するから」
「うん、よろしくね」
玲奈と桜も手を振り返して、教室へと戻るのだった。