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魂というものが実際に存在するのか、玲奈には確証というものがまったくなかった。
確かに、玲奈の眼は死者をうつしだす。のみならず、触れることもできる。会話することもできる。
けれど、それが魂の存在を肯定するものとは思っていなかった。
そもそも、死者となった祖母ですら、自身の存在が不確かな何か、という、漠然とした結論を語っていたからだ。
玲奈の祖母はある日、突然亡くなった。
亡くなったことに玲奈が気付いたのは、祖母自らが玲奈の前に現れ、そう語ったからだ。
実感はなかった。
何故なら、玲奈はその「自分は死んだ」と口にした祖母を目の前にして、触れることもできたからだ。
祖母曰く、事故だった、らしい。
何らかの理由で、意図せず河に落ち、溺れて死んだ。
玲奈は最初、祖母が何を言っているのか理解が出来なかった。
祖母は確かにそこにいて、触れることが出来て、にもかかわらず自分はすでに死んでいると口にする。何かの冗談にしか聞こえなかったが、けれど後日、実際に河の下流から遺体が見つかり、祖母の言っていたことが事実なのだということを思い知った。
祖母の葬儀の間、祖母もその場にいた。にこやかに自分の遺体を見送っていた。火葬場で焼かれた、自身の遺骨まで興味深そうに眺めていた。
何とも言えない状況だった。
玲奈は結奈とふたり、どう反応すれば良いのか困惑したことを覚えている。
祖母は死んだことを、後悔などしていなかった。
むしろ“あちら”について調べるのに好都合だとばかりに、死を受け入れていた。
当然、祖母の姿は父にも母にも、長姉の麻奈にも、親戚縁者一同にも見えてはいなかった。
祖母は自身の肉体が焼かれている間、玲奈と結奈に自身の存在についての考察を嬉々として語った。傍目には玲奈と結奈が会話しているようにしか見えなかっただろうが、間違いなく、ふたりの間には祖母がいたのだ。
死者となった祖母には、物理的制約がなくなった。その原理がどうなっているのか、祖母はとても興味深いと語っていた。果たして自分は魂と呼ばれる存在なのか、それともそれに相当する別の何かなのか、科学的な物質によって構成されているものなのか、或いは科学ですら超越した何かなのか、だとしたらそれは如何なるものなのか――
あんなに楽しそうな祖母を、玲奈はかつて見たことがなかった。死んでいるというのに、むしろ生き生きしている祖母の姿に違和感すら覚えた。
そんな祖母の姿に、眉間にしわを寄せるものがいた。
タマモである。
タマモは大きな白い狐――周りからは犬と認識されていた――の姿で祖母の傍らにお座りし、葬儀から納骨まで、気に入らなそうにそっぽを向いていた。
やがて祖母は、タマモとともに姿を消した。
何かあれば、また会いに来ると言い残して。
――あれから、何年経っただろうか。
二年? 三年?
祖母はあれ以来、一度も戻ってきてはいない。
祖母は確かに亡くなった。
けれど、祖母は確かに、まだ存在している。
魂と呼ばれるであろう、不確かな何かとなって。
不確かな、何か。
それはあの、死者となった男もそうだ。
そして祖母と同じように、肉体的制約を失い、自由を得た。
その自由は、人間的関係性や物理的で物欲的な幸福を一切拒否したもので、ただただ私欲的に玲奈には感じられた。のみならず、死という概念すら愚弄し、ただその死を利己的に利用しているようにか思えなかった。
あの男が、どのような理由で死んだのかはわからない。事故だったのか、病気だったのか、それとも、自ら命を絶ったのか。
――いつ?
少なくとも、昨夜の時点ではまだ生きていたはずだ。コトラの鼻が利かなかったのがその証拠だ。コトラの鼻は生霊には利かない。つまり、あの男が亡くなったのはあのあとの事。昨夜から今朝の間、ということになる。
そんな短い間に、あの男の身に、いったい何が?
玲奈はシャワーを頭から浴びながら、ずっと考え続けていた。
足元では、コトラが鼻をひくひくさせながら、いつ現れるとも知れないあの男を警戒している。
いずれにせよ、あの男は玲奈の前に何度も姿を現している。目的が何であれ、標的が玲奈であることはまず間違いない。桜に怯えて一旦は退いたようだが、それで諦めたとは到底思えなかった。たぶん、あの男は再び玲奈の前に現れるだろう。その目的を達成するために。
「――玲奈ぁ?」
脱衣場から結奈の声がして、玲奈はハッと我に返った。考え事に集中するあまり、ずいぶん長いことシャワーを浴びていたようだ。
玲奈は慌ててシャワーを止めて、
「な、なにー?」
「いや、あんまり長いこと入ってるから気になって」
「ご、ごめん。すぐ出る!」
「いや、いいよ別に」
ガラリと音がして、風呂場のドアが大きく開く。
「えっ? なにっ?」
驚く玲奈に、素っ裸の結奈が遠慮なしに入ってくるなり、
「もうこのまま入っちゃうから」
と玲奈の後ろを通り、ざぶんと湯船に身体を沈める。
その水飛沫を派手に頭からかぶったコトラが、プルプルと身体を震わせた。
「あぁ、ごめんごめん。コトラ」
言って結奈は湯船から両手を伸ばし、コトラを抱え上げて風呂に浸けると胸に抱く。
「今日は私がお前を洗ってやろう」
「い、いいです! 自分で洗えますから!」
「そんなこと言って、最近、家の中があんたの毛だらけになってんのよ」
「……え? 本当ですか?」
ほんとほんと、と結奈はくしゃくしゃとコトラの頬を親指で揉むように、
「だから覚悟しな。徹底的に洗ってやるから」
「あ、いや、だったら玲奈さんがいいです。結奈さんの洗い方は荒いので……」
「あぁん? なんだって?」
結奈は眉間にしわを寄せ、コトラの頬を引っ張り上げる。
「ひ、ひたいれふ! ひゃめてくらはい!」
バシャバシャ暴れるコトラを見て、玲奈は大きくため息を吐く。
「もう、辞めてあげてよ。コトラが可哀そう」
「いや、あんまりにも可愛いから、つい」
「桜と同じこと言ってる」
呆れる玲奈に、結奈はくすりと笑みながら、
「あぁ、桜ちゃんとは気が合うからねぇ、気持ちわかるわ」
ほれほれ、ほれほれ、とコトラの身体をもてあそぶ結奈。
コトラは「ひゃーっ!」とくすぐったそうに身体をくねらせるが、そこまで嫌がっているようには見えなかったので、玲奈もそれ以上は止めなかった。
むしろその光景に、今まで悩んでいたことがどこかへ消え去ったようだった。
そんな玲奈に、結奈は言う。
「――何考えてんのかわかんないけど、なんかあったらすぐに相談しなよ、玲奈」
「……えっ?」
「また何かあったんでしょ?」
見透かすような瞳で見つめられて、玲奈はこくりと頷いた。
「実はね――」